福知山(市)(読み)ふくちやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「福知山(市)」の意味・わかりやすい解説

福知山(市)
ふくちやま

京都府北西部、福知山盆地の中心をなす市。1937年(昭和12)市制施行。1949年西中筋(にしなかすじ)、下川口(しもかわぐち)、上豊富(かみとよとみ)の3村、1955年上六人部(かみむとべ)、中六人部、下六人部、上川口、三岳(みたけ)、金谷(かなや)、金山、雲原(くもはら)の8村、1956年佐賀村の一部を編入。2006年(平成18)大江(おおえ)、三和(みわ)、夜久野(やくの)の3町を編入。中心市街地は福知山盆地の西部、由良(ゆら)川とその支流土師(はぜ)川の合流点に位置し、JR山陰本線・福知山線、京都丹後鉄道宮福線、国道9号、173号、175号、176号、426号、429号が通じ、舞鶴若狭(まいづるわかさ)自動車道福知山インターチェンジがある。1579年(天正7)明智光秀(あけちみつひで)は塩見氏の居城横山城を攻略し、その跡に三層の天守をもつ福知山城を築造した。明智氏滅亡後、城主はめまぐるしくかわったが、1669年(寛文9)に朽木稙昌(くつきたねまさ)が3万2000石で入封、以後朽木氏の城下町として栄え明治に至った。

 江戸時代から日本海へ至る由良川水運起点であったが、1899年(明治32)大阪―福知山間に阪鶴鉄道(はんかくてつどう)が開通、ついで1904年舞鶴(まいづる)まで全通すると水運は衰微した。1909年山陰線京都―福知山が開通して、福知山は丹波(たんば)、丹後(たんご)の中心になった。一方、1898年には歩兵二〇連隊が置かれ、軍都ともなった。また由良川流域の養蚕業を基盤に、大正期には郡是(ぐんぜ)(現、グンゼ)、鐘紡(かねぼう)(のちカネボウ、現、クラシエホールディングス)などの製糸工場が設置された。その後、1974年(昭和49)に近畿圏整備計画の一環として、南東部の長田野(おさだの)台地に工業企業団地が造成された。現在は製造品出荷額でみると、精密機械、化学、電気機械などが多い。天寧寺は夢窓疎石(むそうそせき)の弟子愚中の開山で、絹本著色十六羅漢像、絹本著色即休契了(しっきゅうけいりょう)像は国指定重要文化財である。動・植物園や児童科学館がある三段池公園、郷土資料館となっている福知山城などのほか、自衛隊駐屯(ちゅうとん)地がある。2000年(平成12)京都創成大学が開学、2010年に成美大学に改称し、2016年に公立の福知山公立大学となった。面積552.54平方キロメートル、人口7万7306(2020)。

[織田武雄]

『『福知山市誌』全4冊(1953~1975・福知山市)』『『福知山市史』全7巻(1976~1992・福知山市)』


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