百科事典マイペディア 「蓋馬高原」の意味・わかりやすい解説
蓋馬高原【かいまこうげん】
→関連項目咸鏡南道|三水|慈江道|清川江|長津江|赴戦江|赴戦嶺山脈|両江道|狼林山脈
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朝鮮半島北東部の溶岩台地。咸鏡山脈の北側には,鴨緑江,豆満江河谷にかけて標高1000~2000mの緩傾斜地が広く分布しており,そのうち摩天嶺山脈以東を茂山高原,狼林山脈までの西部を蓋馬高原という。平均高度1200m,面積は約4万km2に達する。蓋馬高原は中央部の頭雲峰(2487m),遮日峰(2506m)などの突出部を境として東の甲山高原と西の長津高原に分かれる。高原上はモミ類などの針葉樹林帯がよく発達し,恵山,新賀坡鎮などを中心に林業が盛んである。年平均気温は2℃前後,特に冬季は0℃以下の月が5ヵ月も続く。農業には適しないがイモ類やムギ,アマなどの寒冷地農業のほかヤギなどの畜産業が行われている。高原上には鴨緑江の支流がいくつかゆるやかに流れているが,日本統治下の1920年代末以後,これらの支流に水力発電用のダムが建設されるようになった。長津湖,赴戦湖など大規模な人工湖の湖水が水路によって,落差およそ1000mの咸鏡山脈南面の急崖に落とされ,山麓で発電されるようになり,この流路変更式発電所の開発によって,日本海沿岸の清津,咸興などに化学,金属工業が発達した。水力や木材以外にも銅やマグネサイトなどの地下資源が採掘されているが,交通網が整備されておらず,輸送問題の解決が蓋馬高原開発の今後の課題となっている。
執筆者:谷浦 孝雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
朝鮮北部の中央を占め、面積2万平方キロメートルに及ぶ広大な高原。地形的には赴戦嶺(ふせんれい/プチョンリョン)山脈と狼林(ろうりん/ランニム)山脈に囲まれた高位置準平原で、高原の平均高度は1200メートル。高原の南東部は豊西高原、赴戦高原、長津(ちょうしん)高原が展開し、東側は咸鏡(かんきょう)山脈が北東から南西へ走っている。高原の西限はほぼ南北方向に走る狼林山脈であり、朝鮮第一の白頭山(はくとうさん/ペクトサン)(2750メートル)から南南東に摩天嶺(まてんれい)山脈が走っている。これらの高原には、河川の侵食作用や隆起運動によって階段状の平坦(へいたん)面を形成する2000メートル級の峻峰(しゅんぽう)が多い。
蓋馬高原の気候は、中央部の高山地帯は寒冷で、周辺部は温和な大陸性気候である。年降水量も800ミリメートル以下の少雨地帯である。蓋馬高原に源を発する虚川江、赴戦江、長津江は、流域変更式による水力発電によって朝鮮東北工業地帯の大動脈の役割を果たしている。このほか原木生産と加工業が行われ、農業は耐寒性の麦類、ジャガイモ、亜麻(あま)、ホップなどの畑作物が主である。
[魚 塘]
「ケマ(蓋馬)高原」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…解放後は平壌で記者をつとめるかたわら小説を書きはじめ,大学で文学教育にも当たったが,のち創作に専念。長編に解放後の北部高原地帯の農民生活を描いた《蓋馬高原》(1956)のほか,抗日武装闘争を内容とした《息子と娘》(1965),南北2人の科学者の運命をテーマとした《新しい航路》(1980)など。短編にアメリカ軍の仁川上陸作戦に抗して散った若者たちを描いた《燃える島》(1959)のほか《牧畜記》《炭脈》《妻》など,中編に《幸福》がある。…
※「蓋馬高原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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