川名の初見は承和二年(八三五)六月の太政官符(類聚三代格)に「参河国飽海矢作両河各四艘」とあって、河口付近は
原始時代においては、河口付近は湾入し、現在の豊川市東南部、
古代において下流域の人々の生活用水として利用されたが、一方、中央と東国を結ぶ重要な交通路である東海道にとっては、交通上の障害でしかなかった。承和二年の太政官符に「崖岸広遠不得造橋」といわれるように架橋が困難であって渡船が置かれ、右岸に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
愛知県南東部の市。2006年2月旧豊川市が一宮(いちのみや)町,08年1月音羽(おとわ)町と御津(みと)町,10年2月小坂井(こざかい)町を編入して成立した。人口18万1928(2010)。
豊川市北東部の旧町。旧宝飯(ほい)郡所属。人口1万6450(2005)。豊川下流域に位置する。豊川沿いの低地では米作,野菜栽培,台地では柿,ミカンなどの果樹栽培が行われ,豊川用水の完成後はイチゴ,メロンなどの施設園芸が養鶏,養豚とともに盛んになっている。JR飯田線が通じ,東名高速道路豊川インターチェンジの近くにあって,多くの企業が進出し,非鉄金属,輸送機器,食料品などの工業生産が伸びている。近年,住宅建設が盛んで,人口は増加を続ける。北部の本宮山南麓は本宮山県立公園に指定され,三河国一宮の砥鹿(とが)神社がある。丘陵地帯に縄文時代から古墳時代にかけての遺跡が数多く分布し,出土品は歴史民俗資料館に展示されている。
豊川市北西部の旧町。旧宝飯郡所属。人口8690(2005)。北は岡崎市,南西は蒲郡市,南東は旧豊川市に接する。中心地の赤坂は中世から東海道の宿場町として栄え,1868年(明治1)には三河県庁が設置された。北西から南東へ国道1号線,名鉄本線,東名高速道路が並行して走り,現在も交通の要地である。近年大規模な住宅団地が建設されて,岡崎市などのベッドタウンとして発展している。美濃三河高原南縁の丘陵地で,町域の7割を山林が占め,田畑は少ない。町内には多くの文化財を有する竜源寺,長福寺,浄泉寺などの古刹(こさつ)があり,南端には紅葉の名勝地として知られる宮路(みやじ)山がある。
豊川市南端の旧町。旧宝飯郡所属。人口2万1881(2005)。北は旧豊川市,南は豊橋市に接し,南部を豊川放水路が貫流する。JR東海道本線,飯田線,名鉄本線,国道1号,151号線が貫通する交通の要地で,多数の工場が進出し,軍需工場跡地を中心に繊維,食品,輸送,機械,窯業などの工場が集中する。住宅地化が進み,人口が増加を続けている。養鶏,養豚,酪農をはじめ,野菜や果樹の栽培も行われる。縄文時代の樫王第1貝塚,弥生時代の銅鐸を出土した伊奈銅鐸出土地など多くの史跡があり,風祭で知られる菟足(うたり)神社もある。
執筆者:萩原 毅
豊川市中部の旧市。1943年市制。人口12万0967(2005)。古代,東三河の中心地であり,三河国の国衙が市内の国府付近に,国分寺,国分尼寺(跡はともに史跡)が八幡に置かれた。近世には,東海道と姫街道(本坂通り)の分岐点の宿駅として御油(ごゆ)が栄え,豊川は妙厳(みようごん)寺,すなわち豊川稲荷の門前町として発展した。1939年に海軍工厰が設置されたのを契機に軍需工業都市として活況をみせたが,第2次大戦後工厰が閉鎖され市勢も衰えた。57年工厰跡地へ各種企業の進出が始まり,69年の東名高速道路豊川インターチェンジの開設により流通施設団地の操業が開始され流通機能も高められた。農業では,輸送園芸地帯としての転換をいち早く行い,促成・抑制野菜や花卉,果実などを中心とした市場性の高い作物を生産している。御油の松並木,牛久保のナギの木は天然記念物に指定され,大聖寺には今川義元の墓がある。国道1号線,JR飯田線,名鉄名古屋本線が通じる。
執筆者:溝口 常俊
豊川市南西部の旧町。旧宝飯郡所属。人口1万3456(2005)。豊橋平野西部にあり,東は旧豊川市,西は蒲郡市に接し,南は三河湾に面する。北西部は丘陵地帯であるが,それ以外は平たんで田畑が開ける。音羽川河口の御馬(おんま)は江戸時代,年貢米の積出港であった。1888年,東海道本線開通に伴って御油(ごゆ)駅(現,愛知御津駅)が開設され,駅前周辺に集落が形成された。米作のほか,野菜やミカンの栽培が盛んで,都市近郊型の農業が営まれる。工業は繊維工業が斜陽化する一方,輸送機器,金属製品の伸びが著しい。
執筆者:萩原 毅
愛知県東部,東三河地方を流れる川。木曾川,矢作(やはぎ)川と並ぶ県内三大河川の一つで,幹川流路延長77km,全流域面積724km2。県北部の段戸山(1152m)に源を発して南下し,長篠城跡の南で支流の宇連(うれ)川(三輪川)を合わせ,そこから南西に流路を変えて豊橋市北方で三河湾に注ぐ。上流部は寒狭(かんさ)川と通称される。上流の水源地域は木曾山脈の南に続く美濃三河高原で,花コウ岩,領家変成岩,設楽火山岩などの地層によって構成され,随所に隆起準平原のなごりをとどめる平たん地が開けている。年平均降水量2500mm前後の多雨地帯で,森林資源に恵まれ,天竜奥三河国定公園に指定されている。中・下流は段丘上の洪積台地と沖積地からなる豊橋平野を形成する。豊川は流路延長が短く,河道のこう配が大きいのに,流域の降水量に季節的変化が大きいため,河況係数(年間の最大流量の最小流量に対する比)は8.1と全国主要河川の中では最高値を示している。このため過去何度も洪水にみまわれ,鎧堤と呼ばれる堤防を築いたり,民家のまわりに石垣を築くなど対策が講じられてきたが,最終的に解決されたのは1965年の豊川放水路の完成によってである。豊川を利用した灌漑用水としては,古くからの松原・牟呂両用水に加えて,68年に完成した豊川用水がある。近世初期から明治後期に豊川鉄道(現,JR飯田線)が敷設されるまで,三河と信州を結ぶ豊川の舟運は交通上の重要な役割を果たし,河口部の豊橋(吉田)は中・近世に港町としてにぎわい,山の港と呼ばれた中流部の新城(しんしろ)は中馬と舟運の結節点として栄えた。
執筆者:溝口 常俊
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愛知県南東部、東三河地方にある市。1943年(昭和18)豊川、牛久保(うしくぼ)、国府(こう)の3町と八幡(やわた)村が合併して市制施行。1955年(昭和30)八名(やな)郡三上村、1959年宝飯(ほい)郡御油(ごゆ)町を編入。2006年(平成18)一宮町(いちのみやちょう)、2008年音羽町(おとわちょう)、御津町(みとちょう)、2010年、小坂井町(こざかいちょう)を編入。JR東海道本線、飯田線(いいだせん)、名古屋鉄道名古屋本線・豊川線、国道1号、23号、151号、247号(小坂井バイパス)、362号が通じ、東名高速道路の豊川、音羽蒲郡(がまごおり)の二つのインターチェンジがある。豊川(とよがわ)右岸の河岸段丘と豊川氾濫(はんらん)原に位置する。豊川地区は豊川稲荷(いなり)(妙厳寺(みょうごんじ))の門前町。牛久保地区は中世城下町として、その後、伊那(いな)街道沿いの市場町として栄え、現在はたんすの製造販売で全国に知られる。牛久保のナギの木は国の天然記念物。国府地区には古代三河国の国衙(こくが)が、八幡地区には三河国分寺・国分尼寺が置かれた。また、御油地区は東海道五十三次の宿駅で、そのころの家並みが部分的に残っており、赤坂宿までの松並木は国の天然記念物に指定されている。1939年建設された海軍工廠(こうしょう)は第二次世界大戦で壊滅し、戦後、跡地は大型工場群と自衛隊によって利用され、2018年(平成30)豊川海軍工廠平和公園も開園されている。また、南西部には県造成の豊川工業団地がある。豊川氾濫原では米、蔬菜(そさい)栽培、花卉(かき)園芸が盛んで、スプレー菊、バラなどは日本でも有数の産地になっている。遺跡、史跡に富み、三明寺(さんみょうじ)の三重塔と本堂内宮殿、財賀(ざいか)寺の仁王像、仁王門、本堂内厨子(ずし)は国の重要文化財に、三河国分寺・国分尼寺跡は国の史跡に指定されている。妙厳寺の境内鎮守は吒枳尼天(だきにてん)(豊川稲荷)、同寺の地蔵菩薩(ぼさつ)立像2体は国の重要文化財。面積161.14平方キロメートル、人口18万4661(2020)。
[伊藤郷平]
『『豊川市史』全2巻(1973、1975・豊川市)』▽『『新編豊川市史』全11冊(1998~ ・豊川市)』
愛知県東三河地方を貫流し、三河湾に注ぐ川。一級河川。延長77キロメートル、流域面積724平方キロメートル。天竜川水系の大千瀬(おおちせ)川との分水嶺(ぶんすいれい)は池場(いけば)峠である。流路は八名(やな)・弓張(ゆみはり)山地と三河山地の間の中央構造線に沿っている。美濃(みの)三河高原の段戸山(だんどやま)付近に発し、宇連(うれ)川(三輪(みわ)川)その他の支流を新城(しんしろ)市の長篠(ながしの)付近であわせ、豊橋市で三河湾に流入する。上流を寒狭(かんさ)川ともよぶ。上流部はみごとな河岸段丘をつくり、下流部に沖積低地、河口付近は遠浅な海岸である。下流の沖積地はたびたび氾濫(はんらん)を起こし、洪水防御のため戦国時代霞(かすみ)堤(鎧(よろい)堤)がつくられた。現在は豊川放水路が設けられている。1968年(昭和43)豊川用水が開削され、段丘上と渥美(あつみ)半島の乏水性を解消させた。
[伊藤郷平]
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…(2)については,幕府は主要河川に分一番所を設けて分一を徴収した。たとえば三河(愛知県)の豊川では,東上村に番所を設けて川を下る船から分一を,近くの伊那街道を下る荷物からは陸分一を徴収し,また同じ三河の矢作(やはぎ)川では,細川村に分一番所を設けてここでも分一を徴収していた。分一の内容は,東上番所の場合,品目ごとに10分の1から100分の1の6段階に税率を分け,また同一品目でも容量によって差があった。…
…西三河は三河国造の統治下にあり,その本拠は二子古墳を中心に古墳群を形成する現在の安城市桜井町地域であろう。大化改新以降,三河・穂両国造の領域を合わせて三河国を建て,国府を穂国の内,現豊川市国府町に置き,音羽川下流の御津(みと)(現,宝飯郡御津町)の地がその外港とされた。 郡は,初め碧海(あおみ),賀茂,額田(ぬかた),幡豆(はず),宝飫,八名(やな),渥美(あつみ)の7郡で,903年(延喜3)宝飫郡の北東部を割いて設楽(したら)郡を設け8郡とした。…
※「豊川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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