日本歴史地名大系 「賀美郷」の解説
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・東急本とも訓を欠く。訓は
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
「和名抄」にみえるが、諸本ともに訓はない。天平八年(七三六)一二月付優婆塞貢進解(正倉院文書)にみえる「安宿郡上郷」に相当する。郷域は石川の支流
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。奈良時代の史料には加美と出る場合が多い。郷名の初見は天平一二年(七四〇)一月一〇日付山背国宇治郡加美郷長解案(東南院文書)で「加美郷」とみえ、擬大領正八位上宇治宿禰水通の名がみえる。このほか奈良時代の東南院文書・正倉院文書の家地売券に加美郷が散見され、宇治姓の居住が知られる。また同一七年九月のものと思われる智識優婆塞等貢進文(正倉院文書)には「賀美郷」の用例がみられる。
郷域は天平一七年一一月三〇日付次田連広足宇治宿禰大国連署状案(東南院文書)に、「加美郷堤田村」がみえ、山城国山科郷古図(彰考館旧蔵)によれば「堤田村」は宇治郡条里の五条六里・七里、六条六里の三ヵ里(現宇治市木幡檜尾・同南山付近)にあたるので、江戸時代の
賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
賀美郷
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賀美郷
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賀美郷
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賀美郷
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賀美郷
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賀美郷
かみごう
賀美郷
かみごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報