金蓮寺(読み)コンレンジ

デジタル大辞泉 「金蓮寺」の意味・読み・例文・類語

こんれん‐じ【金蓮寺】

京都市北区鷹峯藤林町にある時宗四条派の本山。山号は錦綾山。応長元年(1311)浄阿が祇陀林ぎだりん寺を改めて開創。大正15年(1926)現在地に移転。四条道場。

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精選版 日本国語大辞典 「金蓮寺」の意味・読み・例文・類語

こんれん‐じ【金蓮寺】

  1. 京都市北区鷹峰藤林町にある時宗の寺。もと四条派本山。山号は錦綾山。応長元年(一三一一後伏見天皇が創建。開山は浄阿。もと四条京極にあり、四条道場とよばれた。「一遍上人絵伝」を所蔵する。

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日本歴史地名大系 「金蓮寺」の解説

金蓮寺
こんれんじ

[現在地名]北区鷹峯藤林町

時宗、錦綾山と号し、本尊は阿弥陀如来。大正一五年(一九二六)まで現京都市中京区中之なかの町の四条大路北、東京極ひがしきようごく大路東に位置し、時宗四条派の本山として四条道場とも号した。中世、京都には七条道場金光こんこう寺・六条道場歓喜光かんきこう寺・市屋道場金光こんこう寺・霊山道場正法しようぼう寺など、多くの時宗道場が建立されたが、当道場もその一つ。応仁の乱以後の景観を描くとされる中昔京師地図に四条大路北、京極大路東の佐々木京極館南に「四条道場」と記される。これは中之町東側南と、御旅おたび(現京都市下京区)の北の地にあたる。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔開創〕

「浄阿上人行状」「浄阿上人伝」「浄阿上人絵詞伝」などを総合すると、時宗第二祖他阿真教の弟子浄阿真観が、延慶二年(一三〇九)京洛化益のため祇陀林ぎだりん(現京都市上京区)にとどまったが、応長元年(一三一一)後伏見上皇后広義門院寧子の難産につき、護符三枚を与えたところ、無事皇子(光厳天皇)を出産。この効験によって宣を受け、八月二七日京極に道場を建立、錦綾山大平興国金蓮寺と号したという。次いで正和元年(一三一二)浄阿に上人号が与えられ、以後代々住持は浄阿を名乗り、四条派の本山として栄えた。寺号の額は花園天皇宸筆と伝える(浄阿上人絵詞伝)

〔足利義満の外護〕

延文元年(一三五六)八月二三日、佐々木高氏(導誉)が、元弘(一三三一―三四)以来の敵味方の菩提を弔うために、四条京極の宅地を寄進した(金蓮寺文書)


金蓮寺
こんれんじ

[現在地名]松前町西古泉

西古泉にしこいずみの金子にある。玉松山十二光院と号し、真言宗智山派。本尊は薬師如来。寺伝によれば、寛喜三年(一二三一)唐僧明海の開基とされ性尋しようじん寺と号し、朝廷の尊崇厚く勅願の道場として栄えた。

「金蓮寺再建記」によれば、当寺は河野氏の庇護を受け、明応二年(一四九三)三月には河野教通、同五年九月には河野通元、享禄五年(一五三二)八月には河野通直が、金蓮寺に対してそれぞれ禁制を掲げている。


金蓮寺
こんれんじ

[現在地名]垂井町 垂井

宮処ぐうしよ寺跡の東にある時宗寺院。神護山瑠璃光院御所野道場金蓮寺と号し、本尊阿弥陀如来。伝教大師の開基と伝え、もと南宮なんぐう神社の別当寺で、塔頭三三院、境内は四町四方であったという。応永一七年(一四一〇)自空の美濃巡教の折時宗に転じ、清浄光しようじようこう(現神奈川県藤沢市)内院の仏像を移したと伝える。永享一二年(一四四〇)結城氏朝が足利持氏の子春王丸・安王丸を擁立して挙兵するが、嘉吉元年(一四四一)氏朝は敗れて自殺、春王丸・安王丸も捕らえられ、「鎌倉大草紙」によれば同年五月一六日「濃州垂井の道場金蓮寺」で殺されている。


金蓮寺
こんれんじ

[現在地名]吉良町饗庭 七度ヶ入

矢崎やさき川の東岸、饗庭あいばの北に連なる幡豆山地の終わるところにある。青竜山と号し、曹洞宗。本尊阿弥陀如来。もと安泰あんたい(現幡豆町)の末寺。寺伝に、文治二年(一一八六)源頼朝の建立というが明らかでない。初め真言宗であったが、寛政九年(一七九七)に希外透聞を開基として曹洞宗に改める。鎌倉時代初期の三河国守護安達藤九郎盛長が建てたという三河の七御堂の一つがこの寺に残る。


金蓮寺
こんれんじ

[現在地名]因島市中庄町

おお川東方の谷奥にあり、宝鏡山と号す。本尊薬師如来。曹洞宗。因島村上文書の金蓮寺棟札写によれば文安六年(一四四九)に宮地妙光と子の大炊助資弘が願主となって建立されたものという。造営の大工は沙弥永金藤満村、小工一二人で、当時の住持は権大僧都法印快秀、領主は村上吉資とある。また宝徳二年(一四五〇)の在銘瓦(県指定重要文化財)が数枚残り、造営に関係した僧侶や職人、中庄なかのしようや近隣の住人の名がみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金蓮寺」の意味・わかりやすい解説

金蓮寺
こんれんじ

京都市北区鷹峯藤林(たかがみねふじばやし)町にある時宗(じしゅう)四条派の本山。四条道場ともいう。1308年(延慶1)、京都祇陀林(ぎだりん)寺の浄阿(じょうあ)が、後伏見(ごふしみ)天皇の皇后広義門院の安産を祈願したところ、皇子(光厳(こうごん)天皇)が生まれた。その功によって宣を受け、1311年(応長1)祇陀林寺を改めて金蓮寺と号し、開山となった。のち四条京極(きょうごく)の地に伽藍(がらん)を創建し、上人(しょうにん)号を許された。1788年(天明8)大火で堂宇を焼失したが、1825年(文政8)再建され、1926年(大正15)現在地に移った。寺宝に『一遍上人(いっぺんしょうにん)行状絵伝』20巻がある。室町時代の歌僧頓阿(とんあ)も住した。

[平井俊榮]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金蓮寺」の意味・わかりやすい解説

金蓮寺
こんれんじ

愛知県南部,西尾市南部の吉良にある曹洞宗の寺。創立は明らかでない。弥陀堂 1棟が残っており,文治2(1186)年の建立といわれるが,様式的にみて鎌倉時代中期のものとみられる。住宅風仏堂としてこの時代の代表作で,国宝に指定されている。

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デジタル大辞泉プラス 「金蓮寺」の解説

金蓮(こんれん)寺

愛知県西尾市にある曹洞宗の寺院。山号は青竜山。寺伝では源頼朝の創建とされるが不詳。鎌倉時代後期に建てられた弥陀堂は国宝に指定。

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