首里城(読み)シュリジョウ

デジタル大辞泉 「首里城」の意味・読み・例文・類語

しゅり‐じょう〔‐ジヤウ〕【首里城】

沖縄県那覇市にある旧琉球王城。15世紀から19世紀まで尚氏の居城であった。昭和20年(1945)の沖縄戦で灰燼に帰したが、その後、守礼門・正殿などが復元された。平成12年(2000)復元前から残る城壁の一部などが「琉球王国グスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録。令和元年(2019)の火災でほぼ全焼した。→琉球

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「首里城」の意味・わかりやすい解説

首里城
しゅりじょう

沖縄県那覇(なは)市首里当蔵(とうのくら)にある城跡。琉球(りゅうきゅう)王国時代の王宮にあたり、東西最長約400メートル、南北最長約270メートル、全体に楕円(だえん)形の城域をもつ。面積4万6167平方メートルの規模をもち、堅牢(けんろう)な石垣で囲まれていた。外郭に四つの石造拱門(きょうもん)(アーチ門)、内郭に八つの門があり、その内部には正殿をはじめ多くの施設が建ち並んでいた。有名な守礼門(しゅれいもん)は首里城に至る第二の外門にあたる。15世紀初期に尚巴志(しょうはし)の手で整備され、以後、火災などによりしばしば損壊を受けたが、そのつど再建され、王国の拠点としての偉容を誇った。1879年(明治12)、明治政府の命により国王尚泰(しょうたい)が城を明け渡すことにより王国は崩壊、王宮としての首里城の歴史にも終止符が打たれた(琉球処分)。その後、熊本鎮台沖縄分遣隊の営所として用いられたが、伊東忠太(いとうちゅうた)らの尽力で1923年(大正12)大修築が行われ、その2年後に国宝に指定された。第二次世界大戦中の1944年(昭和19)日本軍第三二軍の司令部壕(ごう)がその地下につくられたためアメリカ軍の砲爆撃を受け全壊した。戦後、アメリカのきもいりで跡地琉球大学ができ(1950)、1972年国指定史跡となった。その後、大学が移転したため、1986年から正殿、城壁、城門の復原工事が進められ、1992年(平成4)沖縄海洋博覧会記念公園とあわせて国営沖縄記念公園が開園したのに伴い、首里城跡一帯は同公園の首里城地区(通称、首里城公園)となった。なお、首里城公園では歴史的景観の再現を目ざして、建造物や庭園の整備が行われた。しかし2019年(令和1)10月31日に発生した火災により正殿、南殿、北殿が全焼するなど7棟約4800平方メートルが被害を受けた。また、この火災により琉球王朝時代の工芸品など約400点が焼失した。

 2000年、琉球地方の独特な文化遺産群を対象に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産(文化遺産)に登録された。登録遺産群は、(1)首里城跡、(2)園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、(3)玉陵(たまうどぅん)、(4)識名園(しきなえん)、(5)今帰仁城(なきじんじょう)跡、(6)勝連城(かつれんじょう)跡、(7)座喜味城(ざきみじょう)跡、(8)中城城(なかぐすくじょう)跡、(9)斎場御嶽(せいふぁうたき)、の9か所であるが、首里城跡はその代表的史跡としても知られる。

[高良倉吉]


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改訂新版 世界大百科事典 「首里城」の意味・わかりやすい解説

首里城 (しゅりじょう)

沖縄県那覇市首里当蔵町にある旧琉球王城。御城(うぐすく)ともよばれる。東西400m,南北270mで県下最大の規模をもつ。14世紀末ごろ察度(さつと)が中山の出城として築城したといわれる。1406年尚巴志が中山を攻略して以後,〈琉球国〉支配の中心地となり,1879年まで尚巴志王統7代,尚円王統19代の居城であった。伝説では巴志は大里城の城壁を壊し,その石を手渡しで首里城へ運び大修築したともいわれる。また,明の冊封使を迎えるため,1427年竜漳池をつくった。巴志の死後,炎上した城内の建造物を再建したのは巴志の末子尚泰久である。泰久は仏教に帰依し,城下に広厳,普門,天竜の3寺を建立し,城北に末吉宮を創建した。尚円王統3代の尚真は城北に隣接して1492年に円覚寺を建て,1501年城西に玉陵(たまうでん)を建立,翌年に円鑑池を造った。中国風に城内を一新するため08年はじめて円墀(えんち)(庭)に石欄および竜柱を建てた。正殿(国殿ともいう)は床と正面に日本の神殿形式の向拝が突き出ており,和漢折衷の建造物であった。また,西向きの正殿の斜め北側に冊封使を接待する北殿を建立,正門にあたる歓会門,久慶門を建てて城を拡張し,19年城外北西に隣接して園比屋武御巌(そのひやんうたき)の石門,城東に弁ヶ巌の石垣と石門を造った。22年には首里石門より真玉橋を経由して那覇港南岸に至る道路を開通し17世紀末から18世紀にかけて主要道路の板橋は石橋に,傾斜地は石畳道に改修された。守礼門は尚清王(在位1527-55)のころに建立され,80年冊封使がきたとき,〈守礼之邦〉の扁額を掲げたが,1663年から常時この扁額を掲げるようになった。また尚清は継世門を創建,東南の城壁を二重にした。薩摩侵入後,薩摩の役人の接見のため,南殿が建設された。1660年正殿その他が全焼し,72年に再建されるが,このとき屋根が板葺きから瓦葺きになった。1925年国の特別保護建造物に指定されたが,第2次世界大戦末期に爆撃により,木造建造物は灰燼(かいじん)に帰した。50年から82年までは琉球大学のキャンパスとなっていた。72年に国の史跡に指定。同年から復元工事が開始され,92年首里城正殿が復元されたのを機会に11月3日一般に公開された。城壁は現在も年次計画で復元中である。2002年首里城跡などが〈琉球王国のグスク及び関連遺跡群〉として世界遺産に登録された。
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百科事典マイペディア 「首里城」の意味・わかりやすい解説

首里城【しゅりじょう】

那覇市北東部の丘陵にある旧琉球王城。1406年尚巴志(しょうはし)の中山(ちゅうざん)攻略以後,1879年の琉球処分による明渡しまで,尚巴志王統(第一尚氏)7代,尚円王統(第二尚氏)19代の居城。石積みの二重の城壁は沖縄独特の波状形で,外郭にはアーチ門が付く。主郭の正殿は和漢折衷の木造3階建。1458年には殿内に〈万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘〉が掛けられた。正殿両翼には冊封使接待所で内装が中国風の北殿と,薩摩役人接待所で和風の南殿があり,北殿は通常評定(ひょうじょう)所に使用。これらの建物に囲まれた〈御庭〉と呼ばれた広場が,城の中枢的空間で,種々の儀式を行った。建物は数度火災に遭うが,その都度再建,1925年国の特別保護建造物に指定された。1944年地下に第32軍司令部が造られたため,翌年米軍の爆撃をうけて完全に破壊。戦後,琉球大学のキャンパスとなるが,守礼(しゅれい)門などが復元され,1992年正殿・北殿・南殿を復元。国指定史跡。2000年首里城跡は,ほかの琉球王国時代の八つのグスクなどとともに世界文化遺産に登録された。→尚氏首里王府
→関連項目沖縄[県]グスク首里琉球文化琉球貿易

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日本の城がわかる事典 「首里城」の解説

しゅりじょう【首里城】

沖縄県那覇市首里にあった琉球王朝の王城。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地に築城され、県内最大規模を誇った。城は外郭と内郭からなり、御庭(うなー)と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中している。内郭には瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)など9つの門が、外郭には歓会門、久慶門など4つのアーチ門があった。戦前は正殿などが国宝であったが、1945年(昭和20)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残った。本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。2000年(平成12)には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。市内線バスで首里城公園入口下車、徒歩約5分。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「首里城」の解説

しゅりじょう【首里城】

沖縄の泡盛。一般酒と古酒がある。原料はタイ米、黒麹。アルコール度数30%、43%。蔵元の「津波古酒造」は明治31年(1898)創業。所在地は那覇市与儀。

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事典・日本の観光資源 「首里城」の解説

首里城

(沖縄県那覇市)
新おきなわ観光名所100選」指定の観光名所。

首里城

(沖縄県那覇市)
日本100名城」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の首里城の言及

【琉球征服】より

…島津氏の目的は琉球に対する領土拡張にあった。島津軍は09年3月4日山川港を出帆,途中大島,徳之島を攻伐して沖縄島に至り,4月1日首里城を落とし,5月25日国王尚寧(しようねい)を捕虜にして鹿児島に帰陣した。7月7日家康は琉球征服の功を賞して島津氏に琉球を与えた。…

※「首里城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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