龍華寺(読み)りゅうげじ

精選版 日本国語大辞典 「龍華寺」の意味・読み・例文・類語

りゅうげ‐じ【龍華寺】

  1. 静岡市清水区にある日蓮宗の寺。山号は観富山。寛文一〇年(一六七〇)日近が開創境内蘇鉄は国の天然記念物で、ここを深く愛した高山樗牛の墓がある。富士見寺。

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日本歴史地名大系 「龍華寺」の解説

龍華寺
りゆうげじ

[現在地名]金沢区洲崎

洲崎すさき町北端、町屋まちや町境にある。知足山と号し、真言宗御室派、本尊大日如来。「風土記稿」は龍源りゆうげん寺とし、徳川家康参詣の折、龍華寺を誤って龍源寺と奏したところ立源の音吉兆なりとして龍源寺と改めたという寺伝を載せる。寛文五年(一六六五)寺領五石の朱印状(寛文朱印留)にも龍源寺と記すが、「鎌倉志」「攬勝考」などの諸書は龍華寺とする。

寺伝によれば、源頼朝が伊豆三島明神を瀬戸せと勧請、社頭造営ののち文覚とともに六連むつら山中に精舎を建立、弥勒菩薩を安置して四方に僧坊を構え、浄願寺と号して、中将姫繍絵の曼荼羅、弘法大師自作の愛染明王を納めたという。正嘉年中(一二五七―五九)忍性が住して戒律を広め、弘長二年(一二六二)東寺の僧能禅が住持弁誉のために灌頂を修した。


龍華寺
りゆうげじ

[現在地名]清水市村松

有度山うどさん丘陵の東麓、眼下に清水港と三保みほの松原を見下ろし、駿河湾を隔てて富士を望める景勝の地にある。日蓮宗、山号は観富山。本尊は十界大曼荼羅。開山は甲州本遠ほんのん(現山梨県身延町)四世日近で、寛文一〇年(一六七〇)の開創。日近は以前から富士山の雄大さにひかれており、この地の富士の姿が最も荘厳であると五三歳のときに本遠寺から移り、大野別院と称したという。


龍華寺
りゆうげじ

今高野山の本寺とされ、真言宗醍醐派。愛染院龍華寺と号し、もと今高野山の一二子院の一。御影堂の本尊絹本著色弘法大師像(県指定重要文化財)は鎌倉時代初期の作で、縦二三二センチ・横一四七センチ。古くから「またたきの大師」として知られ、紀州高野山、善通ぜんつう(現香川県善通寺市)のそれとともに日本三大師像と称される。観音堂の本尊木造十一面観音立像二体(国指定重要文化財)はいずれも藤原初期の作で収蔵庫に安置。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「龍華寺」の意味・わかりやすい解説

龍華寺
りゅうげじ

静岡市清水(しみず)区村松(むらまつ)にある日蓮(にちれん)宗の寺。観富山(かんぷざん)と号する。有度(うど)山の東北麓(ろく)にあり、清見潟(きよみがた)や富士山の眺望がよく、俗に富士見寺という。1670年(寛文10)ごろ徳川頼宣(よりのぶ)の生母養珠院(ようじゅいん)(お万の方)の甥(おい)、甲府本遠寺の日近を開山とし、頼宣(紀州)、頼房(よりふさ)(水戸)兄弟の寄進により堂宇・庭園がつくられた。境内の池泉観賞式の庭園(観富園)は東海の名園として知られる。また、生前この地を愛した高山樗牛(ちょぎゅう)の墓や樹齢1000年を超える大ソテツ(天然記念物)がある。

[浅井円道]

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世界の観光地名がわかる事典 「龍華寺」の解説

りゅうかじ【龍華寺】

中国の上海の龍華鎮にある、三国時代に創建されて1700年の歴史を持つ禅寺。最大規模の仏教寺院であり、境内には高さ40m、8角7層の龍華塔がそびえて、敷地面積は2万m2。雄大な建築で、弥勒殿、天皇殿、大雄宝殿、三聖殿、方丈殿が並び、彫塑は精美、仏具は珍しいものが多く、境内には数多くの書道名人の肉筆題字があって、いずれも貴重なものといわれる。

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