アテネ(ギリシア)(読み)あてね(英語表記)Athínai

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アテネ(ギリシア)」の意味・わかりやすい解説

アテネ(ギリシア)
あてね
Athínai

ギリシアの首都、およびアッティカ県の県都。また、古代ギリシアのアッティカ地方を占めたポリス都市国家)の名称。「アテネ」は日本の慣用で、古称はアテナイ、現代ギリシア語ではアティネまたはアスィネと発音され、英名はアスィンズAthens。市名は古代における市の守護神「アテーネー女神」に由来する。この項目では現代ギリシアの首都としてのアテネを、6世紀以降の歴史とともに扱い、ポリスのアテネについては別項を参照。

 現代ギリシア第一の都市で、政治、経済、文化の中心地。外港ピレウスを加えたアテネ大首都圏の人口は約310万、アテネ市街のみでは74万5514(2001)。アッティカ半島中央のサロニカ湾に面した平野部に位置する。東はヒメトス(イミトス)山、北東はパルネス山、西はアイガレオス山に囲まれ、ケフィソス川とその支流イリッソス川に挟まれている。市内にはアクロポリス(標高156メートル)を中心として、リカベトス(277メートル)、フィロパポス(147メートル)、プニックス(109メートル)、アレオパゴス(115メートル)など、いくつかの小丘がある。古代にはアクロポリスの周辺、ことに北側が市の中心であった。1834年にギリシアの首都となる以前は人口5000人ほどの寒村であったが、同年以降、国王オットー1世Otto Ⅰ(1815―1867、在位1832~1862)の命により、ババリア出身の建築家によって首都としての体裁が整えられ始めた。その後、共和国政府の首都としても発展を続け、いまや大都市圏を形成してさらに新市街、住宅地区がつくられつつある。今日、旧市街のおもかげはアクロポリス北側のプラカ地区に残っている。

 市の南12キロメートルにヘレニコン国際空港があり、ギリシアの各主要地と定期航空便で直結している。市の北西部のラリッサ、ペロポネソス駅からは南北に通じる鉄道、バスが発着する。その近くのオモニア駅からの鉄道はピレウス港に通ずる。オモニア広場と議事堂(旧王宮)に面するシンタグマ(憲法の意)広場、および両者を結ぶスタディオウ通りと大学通り(またはベニゼロウ通り)周辺が中心部で、そこには大ホテルや商店が立ち並ぶ。アテネ大学、ギリシア国立図書館をはじめ、西欧諸国の考古学研究所などの文化施設も市内に集中している。パルテノン神殿など古代の遺跡が多く、考古博物館、ベナキ博物館などもあって海外からの観光客を集めている。外港ピレウスはギリシア第一の港で、これを含む大アテネでは、製鉄、繊維、衣服、機械、化学、食品などの諸工業が発達している。1960年代以降は大気汚染など都市問題が表面化している。

[真下とも子]

歴史

6世紀中葉以来、ギリシアには南スラブ人が南下、移住するようになった。ギリシアのスラブ化が進行するなかで、ヘラクレイオス朝のもとにビザンティン帝国は法令および布告にギリシア語を使用するようになり、ギリシア古典文化の伝統とキリスト教を中核とするビザンティン文化の成熟をみた。9世紀以来ギリシアはイスラム教徒、ブルガリア人、さらにはノルマン人やベネチア人の侵略を受け、13世紀には第4回十字軍の侵略と分割支配を受けた。1453年にはオスマン・トルコ帝国によってコンスタンティノポリス(イスタンブール)が占領され、アテネも1456年に征服された。そして以後400年にわたってトルコの支配が続いた。この間パルテノンはイスラム寺院となっていたが、1687年ベネチア人がアテネを攻撃した際に大きな破壊を被った。

 18世紀末のフランス革命ののち、ヨーロッパには自由主義、民族主義が高揚しつつあったが、この動向のなかでギリシア独立の運動もさかんになり、外国の援助もあって、1821年ペロポネソスでトルコ支配に対する反乱が起こり、翌1822年エピダウロス付近で、自由、解放の憲法が宣言された。トルコは反乱の鎮圧に努め、エジプト太守メフメット・アリーの増援を得たが、1827年、イギリス、ロシア、フランス3国の艦隊はトルコとエジプトの艦隊をナバリノの海戦で破り、ギリシアの独立を承認させ、1832年バイエルンの王子オットーを迎えた。1834年に首都をアテネと定め、1844年憲法を制定してギリシアは立憲王国となった。

 ギリシアはその後、強国の利害によって動揺を続けたが、領土をしだいに広げ、1924年国民投票によって王政が廃止され、ギリシア共和国が生まれた。しかし1935年にはクーデターによって王政が復活し、第二次世界大戦中はドイツ軍占領のもとでゲリラの抵抗も続いたが、1944年イギリス軍の援助のもとで解放され、1946年イギリスの支持する右派政府が王政の存続を決定した。しかし、ギリシアの政情不安は続き、1965年にはクーデターによって軍事政権が成立した。同年国王コンスタンティノス2世Konstantinos Ⅱ(1940―2023、在位1964~1974)は逆クーデターに失敗して亡命し、軍事政権は安定したかにみえたが、圧制下に成長した社会主義的諸勢力が1981年政権の座についた。この間アテネは近代的国際都市として成長するとともに、ヨーロッパ文明の源流をなす古典文明を象徴する都市として世界の観光客をひきつけている。

[太田秀通]


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