太田川(読み)オオタガワ

デジタル大辞泉 「太田川」の意味・読み・例文・類語

おおた‐がわ〔おほたがは〕【太田川】

広島県西部を流れる川。冠山かんむりやまに源を発し、広島湾に注ぐ。水質が良く、水道取水源として利用される。長さ103キロ。広島市街で六つに分流する。

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共同通信ニュース用語解説 「太田川」の解説

太田川

中国山地が水源で広島湾に注ぐ。下流部の広島市街で元安川、京橋川などにも分かれ、デルタ地帯を形成。歴史的に水運で活用されてきた。原爆ドーム前を流れる元安川では毎年8月6日、犠牲者を悼み灯籠流しが行われる。

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精選版 日本国語大辞典 「太田川」の意味・読み・例文・類語

おおた‐がわおほたがは【太田川】

  1. [ 一 ] 福島県西白河郡泉崎村の地名。奥州街道小田川と踏瀬(ふませ)の間の宿場として発達。
  2. [ 二 ] 広島県西部を流れ、広島湾に注ぐ川。河口は六つに分流して、デルタを形成し、広島市の市街地が発達する。全長一〇三キロメートル。可部川。八木川。

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日本歴史地名大系 「太田川」の解説

太田川
おおたがわ

広島県西北部のかんむり(一三三九メートル)の東南麓に発し、北東の山県郡加計かけ町に流れ(上流部)、次に南東の広島市安佐北区可部かべ町に向かって穿入曲流(中流部)、ここで南西に向きを変えて広島平野の沖積地を形成して広島湾に注ぐ(下流部)。延長九〇キロに及ぶが、上流域で柴木しわぎ川・いたたに川・筒賀つつが川・滝山たきやま川・ようろ川などの支流を合わせ、中流域で水内みのち川、可部で根谷ねのたに川・三篠みささ川などを合わせ、全体の支流河川数は六六に達し、流路延長は五八五・八キロ、流域面積は一千六九〇平方キロに及ぶ。また最下流では猿猴えんこう川・京橋きようばし川・元安もとやす川・ほん(太田川)天満てんま川・太田川放水路に細分化され、そのデルタ地帯に広島市街が広がる。

上流部は支流域を合わせて芸北山地一帯にわたり、年平均気温摂氏一三度以下、降水量一八〇〇ミリ以上、無霜期間一六〇―二〇〇日で、比較的開発の遅れた地域である。山県郡戸河内とごうち町を中心とした流域一帯が太田郷とよばれたことが文献に現れるのは一四世紀末以降であり、一六世紀中葉には毛利元就に抵抗する太田山里一揆などが起こっている。

毛利輝元は領国統治の拠点を吉田盆地の郡山こおりやま(跡地は現高田郡吉田町)から新しく太田川河口デルタの地に移すため、天正一七年(一五八九)広島築城の鍬初めを行っている。


太田川
おおたがわ

周智しゆうちもり町と榛原はいばら川根かわね町境の大日だいにち山西斜面に源を発するよし川と、大日山の北側、周智郡春野はるの町と森町との境に位置する春埜はるの山の南斜面から発する三倉みくら川とがほぼ南へ流れ、森町大鳥居おおどりいで合流して太田川となり南西流したのち、磐田市で敷地しきじ川を合せ南流、浅羽あさば町で原野谷はらのや(諸井川)を、福田ふくで町でぼうそう川を合せて遠州灘に注ぐ。全長四三・九キロ、流域面積五〇二平方キロ。


太田川
おおたがわ

那智勝浦町の北端、大雲取おおくもとり山南麓の口色川くちいろがわ辺りを最上流部とし、付近の水を集めて南流、小匠こだくみの字出合であい戸矢倉とやくら山の東・南地域の水を集めて東流してきた高野たかの川を合流、流路を東に向け、下里しもさとで熊野灘に注ぐ。延長二四キロ余、流域面積一一五平方キロ。支流になかノ川・井鹿いじし川などがある。

現在上流部は熊瀬くませ川と称されるが、古くは色川とよばれ、「続風土記」は「口色川村の南十一町余、荘中の産土神深瀬明神を祀れる処、両山石巌壁立する事十五六丈、両峡の間僅に一丈余にして渓水その間を流る、色はうろにして渓流宇呂の中を流るゝを以て宇呂川といひしを、転して伊呂川となれるなり」と記す。

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改訂新版 世界大百科事典 「太田川」の意味・わかりやすい解説

太田川 (おおたがわ)

広島市中央を貫流する川。広島県西部の冠(かんむり)山(1339m)に源を発して北東に流れ,加計で南東に転向してから深い穿入(せんにゆう)曲流谷をつくり,可部より下流は南西に細長い広島平野を形成し,広島湾に注ぐ。幹川流路延長103km,全流域面積1690km2。その間,左岸から三段峡(特名)をつくる柴木川,滝山川,根之谷川,三篠(みささ)川などの支流を,右岸から筒賀川,水内(みのち)川,安川を合わせる。これら本・支流がおりなす河系模様は,北東~南西方向に卓越する格子状をなす。流域面積の9割が山地と高原で,平地は下流に限られ,そこに広島市街地が発達する。都会の川としては太田川の水はきれいで(懸濁物量は全国225河川平均の1/4),また著しい渇水がない。これは流域が山がちのうえ,上流に2000mm以上の降水があるためである。流域には杉,ヒノキ,アカマツ,および各種の広葉針葉樹混交がみられ,それによる蒸発や浸透,河川流量などにかかわる水文調節機能は本流の上流域,滝山川,水内川で高く,やせたアカマツ林の多い下流域できわめて低い。

 広島市街地は太田川三角州の上に発達した〈デルタの町〉であり,太田川の治水事業は広島市にとって宿命ともいえる大きな課題であった。1589年(天正17)の毛利氏築城以来,海に向かって新開地(干拓地)の拡張が続けられるとともに,太田川の築堤がたえず行われた。藩政時代には城下町広島と上流の可部,加計を結んで米,木材,木炭を主とする水運が栄えた。1965年に完工した太田川改修事業は1932年以来の大工事で,太田川の水を市街地北部の大芝・祇園間で太田川放水路と市内の天満,太田,元安,京橋,猿俣の5河川とに分流させたため,市街地は洪水の危険から解放された。太田川の上・中流部に明治末から水力発電所が建設され,1997年現在の最大総出力は83万2070kWで,中国地方一の電源地帯となっている。これらは発電専用のため,太田川の流況に大きく影響し,なかんずく渇水期と洪水時の流量調節が難しい。2001年,山県郡加計町(現,安芸太田町)北方の峡谷に多目的の温井ダムが建設された。年ごとに増加し複雑に競合しあう利水各部門を調節し,合わせて洪水時の疎通能力を高めるため,75年に現在の広島市安佐南区と安佐北区の境に高瀬堰が建設された。この工事に加え,可愛(えの)川土師(はじ)ダムから水をひくことによって,太田川は従来の呉地区への給水のほか,水不足に悩む瀬戸内の島々や内陸の東広島市にも上水を供給できるようになった。川岸に沿って山陰山陽連絡道路が通じ,また国鉄(現JR)可部線が1954年加計まで,69年三段峡まで通じた(2003年可部~三段峡間は廃止)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太田川」の意味・わかりやすい解説

太田川
おおたがわ

広島県西部を流れて広島湾に注ぐ川。一級河川。山口・島根県境に近い冠山(かんむりやま)(1339メートル)に発し、中国山地を嵌入(かんにゅう)蛇行しながら東流し、広島市北部で、県東部から流れてきた三篠(みささ)川と合流する。三篠川との合流点付近から向きを南に転じ、広島市街で猿猴(えんこう)川、京橋川、元安(もとやす)川、太田川(本川)、天満(てんま)川、太田川放水路の六つに分かれ、デルタを形成する。延長103キロメートル、流域面積1710平方キロメートル。中国山地を流れる上流部には峡谷が多く、支流柴木川(しわきがわ)には国の特別名勝の三段峡がある。三篠川との合流点以南から広島湾までの約20キロメートルは、沖積平野である広島平野を形成する。かつて中国山地に多くみられた「たたら製鉄」は、洪水を招くので太田川流域では禁止されていた。藩政時代には現在の安芸太田(あきおおた)町まで舟運があり、広島藩内の交通の大動脈であったが、昭和初年には陸上交通にとってかわられた。流域は林業地帯をなし、また水力発電が盛んに行われている。

[北川建次]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太田川」の意味・わかりやすい解説

太田川
おおたがわ

広島県西部を流れる川。中国山地の西縁,冠山山地の冠山 (1339m) に源を発し,断層谷に沿って北東へ流れ,柴木川 (しわきがわ) ,滝山川,水内川 (みのちがわ) を合わせて南東流し,下流で三篠川 (みささがわ) を合流したのち南西に流れて広島市で猿猴川 (えんこうがわ) ,京橋川,元安川,天満川,太田川 (本流) ,太田川放水路の6本の川に分流して広島湾に注ぐ。全長 103km。流域の大部分は山地。上流域では浸食作用が激しく,支流柴木川の中流に三段峡,滝山川に滝山峡などの峡谷が発達。三段峡は,付近一帯の植物の美観と相まって特別名勝に指定され,西中国山地国定公園に属する。中流域の加計から可部までは曲流が多く,穿入蛇行の峡谷がみられる。広島平野は太田川が形成した典型的な三角州平野。江戸時代から盛んであった砂鉄の採取とそれらを運ぶ太田川水運は,1899年加計までの軽便鉄道の開通で機能を失った。上流には多くのダムがあり,電力・飲料・工業用水の供給源となっている。

太田川
おおたがわ

静岡県西部を南流して遠州灘に注ぐ川。全長約 44km。森町の北端,春埜山 (はるのさん) に発し,磐田原台地の東側に沖積地を形成する。河口の磐田市福田は遠州灘の漁港の一つ。天竜川の漂砂が沿岸流などによって運ばれ,河口付近に砂丘が発達。そのため下流域は排水不良で低湿地となり,自然堤防上の集落ではチャ (茶) ,温室メロン,イチゴの栽培が行なわれている。河口付近は御前崎遠州灘県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディア 「太田川」の意味・わかりやすい解説

太田川【おおたがわ】

広島県西部の中国山地に発し,広島湾に注ぐ川。長さ103km,流域面積1710km2。下流に三角州が発達,広島市街がある。かつて広島藩水運の動脈で,茶・紙・鉄・木炭などが運ばれ,またアユ漁も盛んであった。電源,林産資源の開発が進む。支流の柴木川に三段峡(特別名勝)がある。
→関連項目加計[町]戸河内[町]広島[県]広島[市]

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事典・日本の観光資源 「太田川」の解説

太田川(中流域)

(広島県広島市西区)
名水百選」指定の観光名所。

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デジタル大辞泉プラス 「太田川」の解説

太田川(中流域)

広島県を流れる一級河川、太田川の中流域。1985年、環境庁により名水百選のひとつに選定された。

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世界大百科事典(旧版)内の太田川の言及

【鵜飼い】より

…このように,日本の鵜飼いは,各地の風土,社会的・経済的条件に適合した独自の技法をとっていたが,かつて鵜飼いを行っていた地方は全国で150ヵ所ほど確認されており,動物性タンパク源として川魚に対する欲求がいかに高かったかを示している。明治前期の太田川(広島県)では,1羽のウが1夜でとる魚は300尾を下らなかった。貪食なウが川を狩りつづけると魚に安住の場をあたえず濫獲になる。…

【広島平野】より

…広島県南西部,太田川下流部の平野。中流部の古生層地域を穿入(せんにゆう)曲流してきた太田川は,広島市の可部で三篠(みささ)川と根ノ谷川を合わせ,南南西に流れて広島湾に注ぐ。…

※「太田川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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