中国山地が水源で広島湾に注ぐ。下流部の広島市街で元安川、京橋川などにも分かれ、デルタ地帯を形成。歴史的に水運で活用されてきた。原爆ドーム前を流れる元安川では毎年8月6日、犠牲者を悼み灯籠流しが行われる。
更新日:
出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
広島県西北部の
上流部は支流域を合わせて芸北山地一帯にわたり、年平均気温摂氏一三度以下、降水量一八〇〇ミリ以上、無霜期間一六〇―二〇〇日で、比較的開発の遅れた地域である。山県郡
毛利輝元は領国統治の拠点を吉田盆地の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
広島市中央を貫流する川。広島県西部の冠(かんむり)山(1339m)に源を発して北東に流れ,加計で南東に転向してから深い穿入(せんにゆう)曲流谷をつくり,可部より下流は南西に細長い広島平野を形成し,広島湾に注ぐ。幹川流路延長103km,全流域面積1690km2。その間,左岸から三段峡(特名)をつくる柴木川,滝山川,根之谷川,三篠(みささ)川などの支流を,右岸から筒賀川,水内(みのち)川,安川を合わせる。これら本・支流がおりなす河系模様は,北東~南西方向に卓越する格子状をなす。流域面積の9割が山地と高原で,平地は下流に限られ,そこに広島市街地が発達する。都会の川としては太田川の水はきれいで(懸濁物量は全国225河川平均の1/4),また著しい渇水がない。これは流域が山がちのうえ,上流に2000mm以上の降水があるためである。流域には杉,ヒノキ,アカマツ,および各種の広葉針葉樹混交がみられ,それによる蒸発や浸透,河川流量などにかかわる水文調節機能は本流の上流域,滝山川,水内川で高く,やせたアカマツ林の多い下流域できわめて低い。
広島市街地は太田川三角州の上に発達した〈デルタの町〉であり,太田川の治水事業は広島市にとって宿命ともいえる大きな課題であった。1589年(天正17)の毛利氏築城以来,海に向かって新開地(干拓地)の拡張が続けられるとともに,太田川の築堤がたえず行われた。藩政時代には城下町広島と上流の可部,加計を結んで米,木材,木炭を主とする水運が栄えた。1965年に完工した太田川改修事業は1932年以来の大工事で,太田川の水を市街地北部の大芝・祇園間で太田川放水路と市内の天満,太田,元安,京橋,猿俣の5河川とに分流させたため,市街地は洪水の危険から解放された。太田川の上・中流部に明治末から水力発電所が建設され,1997年現在の最大総出力は83万2070kWで,中国地方一の電源地帯となっている。これらは発電専用のため,太田川の流況に大きく影響し,なかんずく渇水期と洪水時の流量調節が難しい。2001年,山県郡加計町(現,安芸太田町)北方の峡谷に多目的の温井ダムが建設された。年ごとに増加し複雑に競合しあう利水各部門を調節し,合わせて洪水時の疎通能力を高めるため,75年に現在の広島市安佐南区と安佐北区の境に高瀬堰が建設された。この工事に加え,可愛(えの)川土師(はじ)ダムから水をひくことによって,太田川は従来の呉地区への給水のほか,水不足に悩む瀬戸内の島々や内陸の東広島市にも上水を供給できるようになった。川岸に沿って山陰山陽連絡道路が通じ,また国鉄(現JR)可部線が1954年加計まで,69年三段峡まで通じた(2003年可部~三段峡間は廃止)。
執筆者:藤原 健蔵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広島県西部を流れて広島湾に注ぐ川。一級河川。山口・島根県境に近い冠山(かんむりやま)(1339メートル)に発し、中国山地を嵌入(かんにゅう)蛇行しながら東流し、広島市北部で、県東部から流れてきた三篠(みささ)川と合流する。三篠川との合流点付近から向きを南に転じ、広島市街で猿猴(えんこう)川、京橋川、元安(もとやす)川、太田川(本川)、天満(てんま)川、太田川放水路の六つに分かれ、デルタを形成する。延長103キロメートル、流域面積1710平方キロメートル。中国山地を流れる上流部には峡谷が多く、支流柴木川(しわきがわ)には国の特別名勝の三段峡がある。三篠川との合流点以南から広島湾までの約20キロメートルは、沖積平野である広島平野を形成する。かつて中国山地に多くみられた「たたら製鉄」は、洪水を招くので太田川流域では禁止されていた。藩政時代には現在の安芸太田(あきおおた)町まで舟運があり、広島藩内の交通の大動脈であったが、昭和初年には陸上交通にとってかわられた。流域は林業地帯をなし、また水力発電が盛んに行われている。
[北川建次]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…このように,日本の鵜飼いは,各地の風土,社会的・経済的条件に適合した独自の技法をとっていたが,かつて鵜飼いを行っていた地方は全国で150ヵ所ほど確認されており,動物性タンパク源として川魚に対する欲求がいかに高かったかを示している。明治前期の太田川(広島県)では,1羽のウが1夜でとる魚は300尾を下らなかった。貪食なウが川を狩りつづけると魚に安住の場をあたえず濫獲になる。…
…広島県南西部,太田川下流部の平野。中流部の古生層地域を穿入(せんにゆう)曲流してきた太田川は,広島市の可部で三篠(みささ)川と根ノ谷川を合わせ,南南西に流れて広島湾に注ぐ。…
※「太田川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新