出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
コロンビア西部,バジェ・デル・カウカ県の都市。大都市域人口29万4805(2005)。1794年にアメリカ資本がタバコ生産を始めるまで一寒村にすぎなかったが,カウカ河谷地帯の開発とともに発展した。このあたりの河谷低地部ではサトウキビ,米,タバコ,トウモロコシなどが栽培されている。なお,ここには1929年以来,少数だが日本人が入植して,大豆,スイカ,花などを栽培し成功している。
執筆者:上谷 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
パルミュラとも表記される。1~3世紀にシリア砂漠のオアシスに栄えた隊商都市。パルミラ商人はシリアとメソポタミアを結ぶ交易だけでなく,ペルシア湾からインド北西部へかけての海上でも活躍した。3世紀半ばすぎのゼノビア女王の時代には,シリアを征服しエジプトにまで進出したが,272年アウレリアヌス帝の指揮するローマ軍に敗れ,翌年破壊された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…270年以後皇帝に推挙され,バンダル族やユトゥンギ族の攻勢を退けたが,その際,ローマ市の城壁を再建したことは名高い。さらに,女王ゼノビアの率いるパルミュラを破壊したことは彼の声望を高めた。彼は軍人皇帝時代の数十年に及ぶ混迷期にあって,帝国の統一に統治者としての才能を示したことで〈世界の再建者〉と呼ばれた。…
… 南アラブは前8世紀のころから一連の古代南アラビア王国を建設したが,その繁栄の基礎は灌漑農業と遠隔地通商にあり,のちのアラビア文字とは異なる独特の文字で記した多くの碑文を残している。北アラブはシリア砂漠を包む広い地域で遊牧生活を送り,ヘレニズム時代にはナバテア,パルミュラの両王国を建設し,ともにアラム文字で記した碑文を残している。4世紀に南アラブの国家と社会は崩壊し,南アラブの一部は遊牧民となって北方への移住を余儀なくされた。…
…また,海面下の地溝では局地的に熱帯性気候が見られ,川沿いの緑と周囲の茶褐色の山肌とが著しい対照をつくり出す。その東側は遊牧民と隊商都市(パルミュラ,ダマスクス,ボストラ,ペトラ,ゲラサ)の世界であった。そこと海岸部,とくにフェニキアの海港都市とは,山間の道路網で結ばれていた。…
…狭義のパルティア美術はこの後期のものを指すが,その本質は〈グレコ・イラン的〉,〈グレコ・オリエンタル〉などと規定されている。パルティア美術は従来,ギリシア美術の堕落した形式とみなされていたが,シリアのドゥラ・ユーロポスやパルミュラの発掘研究が進展した1930年以降は,別の価値観,イデオロギーに基づく独自の意義を持った美術として再評価されるに至った。 イラン系(後期)の美術は,ほぼ次のような特色を有する。…
※「パルミラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新