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中東[古代] ちゅうとう[こだい]Middle East, ancient

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中東[古代]
ちゅうとう[こだい]
Middle East, ancient

東方 Orient (ラテン語の日の出 oriensに由来) の領域は普通イタリア半島より東方をさし,中東とはそのうちバルカン半島および小アジア,そしてときにシリア,パレスチナなどのレバント地方をも含んだ地域をさすが,現在では西アジアを中東または中近東と称している。またそこにはアフリカ北東部のエジプトなどを含むこともある。バルカン半島では前 2000年頃からその南端のヘラスの地にギリシア世界が成立し,イリュリア人,トラキア人,ダキア人がそれぞれ西・東・北部を占めていたが,アドリア海,エーゲ海,黒海の沿岸地域はギリシアの植民都市が支配した。その状態はアレクサンドロス3世 (大王) の東征まで続いた。一方小アジアでは前 18世紀,ハリュス川沿いのハットゥシャシュ (現ボガズキョイ) を首都としてヒッタイト王国が成立して小アジアの中央部を平定し,さらにシリアや北メソポタミアに進出した。しかし前 1200年頃からエーゲ海から進出したと思われる「海の民」の大移動とトラキア人の攻撃を受けてヒッタイトは滅び,代ってフリュギア王国が成立した。前7世紀はキンメリア人が東方から侵入し,フリュギア王国を滅ぼした。またサルディスを都としたリュディア王国は前 546年キュロス2世の率いるアケメネス朝ペルシアによって滅ぼされ,小アジアは4つの総督領とされた。シリア地方では前3千~2千年紀ビブロス,ウガリトなどの港で都市国家が繁栄し,前8世紀の初め頃まで独立を保った。この時期のパレスチナではヘブライ人がカナンに定着し,ダビデ,ソロモンの統一国家が形成され,エルサレムが都となった。その後,アッシリア帝国が再興し,シリアとパレスチナのイスラエル (北) 王国が征服された。南のユダ王国だけが残ったが,アッシリアのあとに新バビロニアが興って,ユダ王国も滅んだ。その後ペルシアがシリアとユダを支配したが,前 334~331年のアレクサンドロス3世 (大王) の東征によって全近東がヘレニズム世界に組込まれた。その後,7世紀にアラブに征服されるまで,いくつかの王国が形成された。

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