三公(読み)サンコウ

デジタル大辞泉 「三公」の意味・読み・例文・類語

さん‐こう【三公】

律令制における太政大臣左大臣右大臣。のちに、左大臣・右大臣・内大臣の称。三槐
中国の官名。最高の地位にあって天子を補佐する三人。内容は時代によって変わり、周代では太師太傅たいふ太保前漢では大司徒大司馬大司空、または丞相太尉御史大夫後漢・唐では太尉司徒司空、宋・元・明・清は周代に倣う。三槐。

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精選版 日本国語大辞典 「三公」の意味・読み・例文・類語

さん‐こう【三公】

〘名〙
① 中国の官名。最高の地位にあって天子を補佐する三人。時代によって内容が変遷するが、周は太師・太傅・太保、秦・前漢は丞相・太尉・御史大夫で、時に大司徒・大司馬・大司空とも称し、後漢から唐までは多く太尉・司徒・司空、宋・元・明・清は周制にもどって太師・太傅・太保をいうが、後世になるほど空名化した。三槐。三事。
※本朝文粋(1060頃)一・孫弘布被賦〈源英明〉「三公職高。執謙、臥於布被」 〔書経‐周官〕
② 令制官職のうち太政大臣・左大臣・右大臣の総称
※家伝(760頃)下「大宝元年、選良家子、為内舎人、以三公之子、別勅叙正六位上、徴為内舎人
※続日本紀‐霊亀元年(715)八月丁丑「高田首久比麻呂献霊亀。長七寸。闊六寸。左眼白。右眼赤。頸著三公。背負七星。前脚並有離卦
④ (「公」は接尾語) 湯屋の奉公人の三助の略称
滑稽本浮世風呂(1809‐13)三「ヲイ三公(サンカウ)、うめて呉(くん)な」

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普及版 字通 「三公」の読み・字形・画数・意味

【三公】さんこう

天子を補佐する臣。太師・太傅・太保。〔老子、六十二〕物の奧、善は人の寶なり。~故に天子を立て三を置く。拱璧りて以て駟馬(しば)(四頭立ての馬車)を先だたしむと雖も、坐して此のむに如(し)かず。

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改訂新版 世界大百科事典 「三公」の意味・わかりやすい解説

三公 (さんこう)
sān gōng

中国における最高の官位。秦代では丞相・御史大夫・太尉を指し,前漢もこれを踏襲した。哀帝のとき官名と序列をあらためて大司徒(もと丞相)・大司馬(もと太尉)・大司空とし,三公の上に大傅(たいふ)を置いた。王莽(おうもう)が実権を掌握すると,三公以外に《周礼(しゆらい)》にならい太師・太傅・太保の三師を併せ設けた。後漢では太尉・司徒・司空を三公と呼び,上公として太傅を置き,いずれも多く録尚書事に任命された。魏・晋以降唐代までは(ただし北周を除く),太尉・司徒・司空を,宋代以後清朝末期までは太師・太傅・太保をもって三公と称しているが,これは実権を伴わない名誉の加官贈官にすぎない。日本では,律令制の太政大臣,左大臣,右大臣を三公と総称する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三公」の意味・わかりやすい解説

三公
さんこう

中国で、天子の側にあって政務を総裁する3人の高官の総称。内容と機能とは時代により異なる。すでに周代にあったというが確かではない。この場合、司馬(しば)、司徒(しと)、司空(しくう)とする説と、太師(たいし)、太傅(たいふ)、太保(たいほ)とする説がある。漢代では名実ともに最高官であり、前漢の三公は丞相(じょうしょう)(大司徒)、太尉(大司馬)、御史大夫(ぎょしたいふ)(大司空)、後漢(ごかん)のそれは太尉、司徒、司空である。明(みん)・清(しん)に至るまでこの名称は受け継がれたが、唐代以降は実務を伴わない栄誉号となった。

尾形 勇]

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旺文社世界史事典 三訂版 「三公」の解説

三公
さんこう

中国で天子の側で政務をとる3人の高官の総称
周代では太師・太傅 (たいふ) ・太保をさすなど諸説があり,秦・漢では丞相 (じようしよう) ・太尉・御史大夫をさすが,漢の儒学国教化以来,正式に官制化された。前漢末期には大司徒・大司馬・大司空,後漢 (ごかん) は太尉・司徒・司空をさし,唐に及んだ。宋から清までは上記の周代の名にならった。三公の名称は清代まで続いたが,唐代以後は実務を伴わない名誉称号化した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三公」の意味・わかりやすい解説

三公
さんこう
san-gong; san-kung

中国の天子を補佐する官名。周の成王のとき,補佐教導の役の太保,太傅,太師の三公がおかれたという。秦,漢では丞相,太尉,御史大夫をさし,政務担当の官。後漢から唐では太尉,司徒,司空で,宋から清までは太師,太傅,太保をさすが,名目的な役職となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「三公」の解説

三公
さんこう

太政大臣・左大臣・右大臣の総称
律令制の太政官の最高官人のこと。太政大臣は適当な人物がいなければ置かれない(則闕 (そつけつ) の官)ので,そのときは左大臣・右大臣・内大臣をさす。

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世界大百科事典(旧版)内の三公の言及

【漢】より


[郡国制と中央集権体制の確立]
 劉邦(高祖)は前202年に皇帝の位につくと,秦の統治方式を踏襲して中央集権的な官僚制と郡県制を施行した。すなわち皇帝の下に行政・軍事・監察の最高責任者として丞相・太尉・御史大夫のいわゆる三公をおき,政務分担機関として太常(儀礼祭祀),光禄勲(宮殿警備),衛尉(宮門警備),太僕(車馬),廷尉(司法),大鴻臚(外交),宗正(宗室),大司農(国家財政),少府(帝室財政)の九卿(きゆうけい)(九寺)をおいて中央政府を構成した。いっぽう地方は大きく郡に分けられ,郡の下には県がおかれた。…

【宰相】より

…秦・漢時代は中央政府最高官として丞相,太尉,御史大夫が置かれ,軍事をつかさどる太尉(一時大司馬という),監察官の御史を統率する御史大夫(のち大司空という)に対し,皇帝を輔佐し政務を総攬し百官を統率する丞相がまさに宰相に相当していた。前漢末に丞相・大司馬・大司空の3官が宰相職を三分したときにいわゆる三公制が行われたことになる。また同じく前漢末に丞相が大司徒と改称された。…

【三司】より

…三司とは3種の役所という意味であるから,時代によって指す官職が異なった。(1)三公を三司という。三公とは漢代の中央政府の最高官であった丞相(司徒),太尉,御史大夫(司空)のことで,これを三司とよぶことも多かった。…

【太尉】より

…中国の官名。秦・漢初は武官の最高のもの,尉の大なるものの意味であったが,漢の武帝以後は大司馬に変わり,後漢では三公の首におかれた。その後太尉と大司馬は並んで置かれ,北魏では大司馬と大将軍を二大と称し,その下に太尉・司徒・司空の三公が置かれた。…

※「三公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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