デジタル大辞泉 「在家」の意味・読み・例文・類語
ざい‐け【在家】
2 いなかの家。ざいか。「
3 中世、荘園・公領で、農民と耕地とを一体のものとして賦課の対象としたもの。東国や九州に多くみられる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
(1)家にあって,職業をもち,家庭生活を営む人,またはその状態をさす。俗人,在家人,居家(こけ)ともいう。出家に対する語。在家人で三帰・五戒を受けた男女を優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)と称する。出家して十戒を受けたものを沙弥(しやみ)というが,日本では,髪をそるのみで,俗家にあって妻子を養う沙弥があり,このようなものを在家沙弥とも入道ともいう。古代より民間には,半僧半俗の宗教者が多い。
執筆者:伊藤 唯真(2)平安中期~室町期には,住屋,付属の耕地,農民を含めた,在家役収取の単位を在家とか百姓在家とか称した。律令制的収取体系は租,調,庸,雑徭,出挙(すいこ)等より成るが,律令体制崩壊の過程で変質を遂げ,中世的な収取体系(あるいは荘園制的収取体系)としての年貢,雑公事,夫役の体系に移行する。租や正税出挙利稲の系譜を引く年貢は,田地(または畠地)について段別(地積別)に賦課されたが,調,庸,雑徭の系譜を引く雑公事,夫役の賦課は段別,名(みよう)別,在家別の3通りがあった。平安末期以降中世を通じて,国衙領,荘園の田畠は名田編成を中心として成り立っていたので,多くの賦課が名役として名田にかけられていた。しかし,雑役等を名役に転化できなかったところでは,在家別収取が行われた。
在家の初見史料は,山城国乙訓郡川原埼の在家に関する1072年(延久4)の太政官符に引く山城国司解であるが,1101年(康和3)の史料では,在家を役家とも称している。34年(長承3)の三条家領淀相模窪領在家の場合,御領の畠7段余で在家は26宇あり,在家役として,地子藁,五月昌蒲,七月瓫供瓜茄子,歳末節料薪などのほか,必要に応じて臨時に鮮物を進上させ,また輿(こし)や船のしたくに連日召し使ったという。12世紀に入ると,国衙,荘園において行われる検注の対象に田,畠,山,野,河原,池などとともに在家が含まれるようになる。これは,平安末期・院政期における権力の再編成と相応ずるもので,人と土地の二元支配を克服して両者を一体として把握しようとする方向の一環であった。
鎌倉時代以降,在家に関する史料が東国や九州など比較的後進地域とみられる地方に多いが,これらの地方では,農民的土地所有権の成熟度が低いために,在地領主が領主名の名主となり,一般農民は名主身分を獲得することができず,領主名の下における在家農民という形で把握されたのであろうという見解がある。この見解によると,在家農民は田地保有権が弱く,領主,名主に対して奴隷的な性格をもつという。これに対して,在家の本質は在家役負担という側面にあり,名主が名役負担者の身分呼称であるのと同様に収取体系上の呼称であり,在家,名主は異名同体であるという見解もある。検注帳上に固定された在家(本在家)に対して,新たに収取の対象とされた在家を脇(わき)在家(新在家)と称するが,本在家-脇在家の関係は本家-分家の関係に比すべきものとの見方もある。また在家支配がまず非農業民に関して出現することから,これを権力による分業,生産活動の掌握・統制に結びつけて意義づけようとする見解もあり,今後の研究がまたれる。
執筆者:阿部 猛
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(1)出家に対して,世俗の人。(2)中世,住人,家屋,付属する畠地,宅地を一括した在家役の収取単位。10世紀後半から供御人(くごにん)・神人(じにん)などの非農業民を在家として編成することが始まり,12世紀初頭には国衙(こくが)による公郷在家支配が開始された。その後,荘園で百姓名編成が進んだ畿内などでは,公事(くじ)賦課の対象としての在家は副次的な役割をはたすにとどまったが,東国や九州では室町時代にいたるまで在家支配が基本であり,在地領主が売買・譲渡の対象とした在家も存在した。また町場や港津など都市的な場においても在家支配が導入されている。
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…また婚姻を必須の条件としない寺社においても,資産や地位は父子に擬した師資の間に継承され,家的世界がつくられて寺社家と呼ばれたが,構成員である僧侶・神人(じにん)たちは神仏をかかげて平等に結合している面が強く,一般の家のごとき家長支配は貫徹しなかった。さらに農民・商人・職人等は家族的経営体が在家の名で上から把握されたが,直接生産者としての性格上,私産や地位の確立や継承はもっとも不完全であったと考えられる。 身分・階層・分野によって以上のような多様性をもつ家は,成立の歴史にも差異をもっていた。…
…優婆塞(サンスクリットupāsakaの音写。清信士・近事男などと漢訳される)は男性の在家信者,優婆夷(サンスクリットupāsikā,その俗語形uvāyiの音写。漢訳は清信女・近事女など)は女性の在家信者のこと。…
…装束は宗派によって規定を異にし形態を異にし名称を異にして多岐にわたるが,どの宗派でも,日常的で小規模な法要に比べて臨時の大規模な法要には盛装で出仕するのが一般である。
[寺事と在家の関与]
寺事は法要が構成の主軸となるから,当然,僧侶または尼僧が中心となって執行される。少なくとも法要は出家が勤修し,在家は関与しないのが原則である。…
…免在家ともいう。在家とは中世の荘園や公領における一種の徴税賦課単位で,農民が屋敷や薗地(えんち)と一体になった形で把握され,夫役・雑公事などの一定の負担を領主・国衙に対して義務づけられていたものと考えられる。…
※「在家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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