野市(読み)ののいち

日本歴史地名大系 「野市」の解説

野市
ののいち

中世における加賀国の政治・流通経済の中心地。現在の野々市町市街のほん町一―六丁目付近を中心とした地に比定され、野々市とも記す。白山本宮の水引神人の一根拠地で、加賀守護富樫氏の守護所が置かれたとされる。また野市・馬市うまいちなどの地名は、商品流通の要衝としての市場の存在を推測させる。

正和元年(一三一二)と推定される白山水引神人沙汰進分注文案(三宮古記)に「野市石河也」とみえ、紺二端を白山本宮に上納する水引神人が存在した。文和三年(一三五四)七月一八日の水引神人和与状案(同書)によれば、白山しらやまつるぎ(現鶴来町)の紺掻と野市・押野おしのの紺掻が白山本宮の臨時祭礼などの所役勤仕をめぐって相論に及んでいる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野市」の意味・わかりやすい解説

野市
のいち

高知県中央部、香美郡(かみぐん)にあった旧町名(野市町(ちょう))。現在は香南市(こうなんし)の西部を占める地域。高知平野東部に位置する。旧野市町は、1926年(大正15)町制施行。1955年(昭和30)香宗(こうそう)、富家(ふけ)、佐古(さこ)の3村と合併。2006年(平成18)赤岡、香我美(かがみ)、夜須(やす)の3町および吉川村と合併して市制施行、香南市となった。物部(ものべ)川下流左岸の台地、香宗川下流低地、三宝(さんぽう)山を中心とする丘陵部とから構成される。台地面は江戸時代初期に土佐藩執政の野中兼山(けんざん)が灌漑(かんがい)水路掘削、郷士募集により開田化された新田地帯。かつての二期作にかわり、施設園芸、早掘りサツマイモなどを主とした農業が盛ん。中心街区は、新田開発に伴って設置された市町に由来。近時住宅地化が進んでいる。国道55号、龍河洞(りゅうがどう)スカイラインが通じる。2002年土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が開通した。四国八十八か所第28番札所の大日寺(だいにちじ)は木造大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)(国指定重要文化財)などを蔵する。兎田(うさいだ)八幡宮所蔵の銅剣も国の重要文化財に指定されている。佐古地区には、応天門の変(866)に連坐して配流されたと伝えられる紀夏井邸跡(きのなついやしきあと)(県指定史跡)がある。

[大脇保彦]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野市」の意味・わかりやすい解説

野市
のいち

高知県東部,香南市西部の旧町域。香長平野物部川下流東岸にある。 1926年町制施行。 1955年佐古村,富家村,香宗村と合体。 2006年赤岡町,香我美町,夜須町,吉川村と合体して香南市となった。江戸時代に土佐藩家老の野中兼山が香長平野開発の拠点としたところで,米の二期作,野菜の促成栽培が行なわれる農業先進地。四国八十八ヵ所第 28番札所大日寺で知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「野市」の意味・わかりやすい解説

野市 (のいち)

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