アラビア文学(読み)あらびあぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アラビア文学」の意味・わかりやすい解説

アラビア文学
あらびあぶんがく

アラビア語で表現された文学。古典文学近代文学とに2大別できる。前者はひとりアラブ人だけでなく、中世のイスラム世界の多くの民族が参加したもので、とくにイランの民や、アラブ化したエジプトイベリア半島の民なども多数の作品を残している。後者はおもにアラブ民族によるもので、イラン民族などは近代ペルシア語をもって文学活動を行うようになった。しかし聖典コーランをはじめ、現在でも広くイスラム世界で読誦(どくしょう)されているアラビア語の古典が数多く存在する。アラビア語はセム語の一つで、もとはアラビア半島の中部以北で使われていたが、7世紀にイスラム教がおこると、唯一神アッラーの啓示のことばとして、いたく尊重され、この教えとともに広大な地域に普及するに至った。

前嶋信次

草創期――コーランとムアッラカート

アラビア語による最古の文学作品として保存されているのは、6世紀初めころまでさかのぼることができる遊牧諸部族の詩人たちの作で、それよりも古いものは残っていない。6世紀初めころには、すでに洗練された詩のことばや韻律が発達していたのであるから、その起源はおそらく、もっとはるか古代にあったのであろう。多くの詩形のうち流行の主流となったのは「カシーダ」で、7人の大詩人の代表的カシーダを集めた『ムアッラカート』という名詩選をはじめ、アラビア古代詩人の作品を集めた書が多数残っているが、このようにイスラム以前の詩を文字に写してまとめたのは8世紀以後のことである。アラビア文字で記されたアラビア語の最古の書物は聖典コーラン(アル・クルアーン、読誦するものという意)だが、ムハンマドマホメット)の没後、久しからずして編纂(へんさん)されたもので、アラビア語、アラビア文学の基準となって今日に至っている。

[前嶋信次]

黄金時代――ウマイヤ朝からアッバース朝へ

遊牧諸部族の詩人たちの生き方や思想には、イスラム教の精神にそぐわぬところがかなりあったので、イスラム時代に入ると、従来の奔放な情熱を歌い込めた詩は一時衰えを示した。しかし、ウマイヤ朝時代(661~750)になると、中央アジアからイベリア半島にかけて広がったイスラム世界から卓越した詩人たちが輩出するようになり、アラビア半島だけに局限されない新時代の清新な作品が続々と現れ始めた。ことにアフタル、ジャリール、ファラズダクの3人が傑出していたが、3人ともイラクの出身であった。アラビアからもメッカの人ウマル・イブン・アビー・ラビーアのように新ジャンルとしての恋愛叙情詩の開拓者が現れているが、これにはペルシアやギリシアの歌謡の影響もあったものとみられている。彼はまた、荒野の民が独占していた観のあったアラビア詩界で、珍しくも都市出身の優れた詩人としての栄誉を担っている。

 散文もこの時代に発達し始めたが、次のアッバース朝時代の前期(750~1055ころ)に黄金時代の繁栄を示すこととなった。ラサーイル(書簡体)という散文文学の一形式もウマイヤ朝の末期に始まって、アッバース朝時代に盛んになったし、散文による最初の偉大な作家と評されているイブヌル・ムカッファーの活動もウマイヤ朝の末であった。彼はイラン系の人で『カリーラとディムナ』など不朽の名作を残したが、このころすでにイラン人のアラビア文学への寄与が、このような域にまで達していたことをも示している。

 アッバース朝の文学活動の中心は初期にはバスラとクーファの2都市だったが、762年以来バクダードに新都が営まれるとそこが一大中心となり、さらに東は中央アジアのサマルカンドやブハラ、イランの諸都市、シリアやエジプト、北アフリカの諸都市、さらにスペインのコルドバその他もアラビア語による文学活動の重要な拠点となり、無数の散文作品や詩が生み出され、ことばどおり百花乱れ咲く観があった。広大なイスラム世界もアッバース朝の初期から早くも政治上の分裂が始まったが、アラビア語とイスラム教とは諸民族の間に浸透し続けた。宗教上では他宗教を捨てなかった人々も、アラビア語のほうは受け入れ、アラブ化するものが多かった。アラビア語の文法研究、豊富な語彙(ごい)の収集、ギリシア、中世ペルシア、インドなどの古典類のアラビア語への翻訳などが盛んに行われ、アラビア語は世界第一級の文明語となった。この時代の無数の詩人を代表するものとしてはアブー・ヌワース、アブー・タンマームアブル・アターヒヤ、ムタナッビーらはぜひあげるべきであろう。散文ではジャーヒズとイブン・クタイバらがもっとも偉大で、彼らの多くの著書はアラビア文学の価値を高からしめている。2人はまたアラブ人の文化遺産や、ギリシア人やペルシア人の英知の所産などについての深い教養のうえにたって、民衆によくわかり、かつ楽しんで読まれるアダブの大成者でもあった。アダブは元来は官庁や貴族の秘書たちの心得るべき作法とか教養を意味したが、やがて文学のジャンルの名となり、さらに後世には純文学そのものを意味することばとなっている。この時代には歴史、地理、哲学、医学その他各分野に大物が現れ、それぞれの名作を残した。

[前嶋信次]

白銀時代――文学の衰退期

アッバース期の後期(1055ころ~1258)を白銀時代とよぶ者もあるが、イラン人の間に近代ペルシア語によって文学活動をする気運が盛んとなり、アラビア語の勢力は漸次縮小する傾向となった。また政治上ではトルコ人が西アジア一帯の支配権を握り、アラブ人はその下に抑圧され、自由な文学活動は阻害された。しかしイランの人ハマザーニー(通称バディー・ウッ・ザマーン)の『マカーマート』(集会)は世に流行し、アラビア文学の一ジャンルとなり、バスラのハリーリーの同名の作はこの系統の最高峰とされ、文章の洗練や技巧を極点にまで推し進めたものとされている。

 アッバース朝の滅亡(1258)ののち、アラビア文学の中心はイラク地方を去って、マムルーク朝治下のエジプトに移った。民間文学の傑作の一つである『千夜一夜物語』(『アラビアン・ナイト』)は、アッバース朝の初期に早くもその母体が現れ、バクダードで発達したのち、15世紀ごろのカイロで現存のものに整えられたのであろうという説が有力である。13世紀から19世紀ごろまでは、アラビア文学の衰微時代で、独創的な輝きをもつ傑作は少数しか現れていないが、そのなかにチュニスのイブン・ハルドゥーンの『世界史』(とくにその序説)、モロッコのイブン・バットゥータの『旅行記』など貴重な文献も現れている。

[前嶋信次]

近代化の動き

ナポレオンのエジプト侵入(1798)は、アラブ人にヨーロッパ近代文化への目を開かせる機会を与えた。またレバノン地方にも19世紀中ごろからアラブの伝統文化への目覚めが始まった。フランスをはじめヨーロッパ諸国の文学の取り入れにより、新しい文学運動が興り、20世紀に入ると、よくこれをアラブ社会に調和させた魅力に富む作品が増加してきた。戯曲その他新しいジャンルも発達し、社会の種々の面と歩調をあわせ、文学にも近代化の動きが著しくなった。

[前嶋信次]

現代の文学

近代を迎えるやアラブの現代文学も、欧米およびロシアの文学の衝撃を受け、大いに鼓舞されたが、西欧からのインパクトを作家主体が受け止め、その体験が作品に昇華した一連の小説がまず現れた。すなわち、スハイル・イドリースSuhail Idrīs(1925―2008。レバノン)の『カルチエ・ラタン』(第5版・1965)、タウフィーク・アル・ハキーム(エジプト)の『オリエントからの小鳥』(1938)、ヤヒヤー・ハッキー(エジプト)の『ウンム・ハーシムの吊り灯籠(つりどうろう)』(1944)などであるが、これと時を同じくして、外国の文学を摂取すべく、旺盛(おうせい)な翻訳活動が遂行され、アラブ世界でも世界の文学を共有しうる地盤が用意された。

 その後に展開されたものは、世界文学から啓発されたアラブ諸地域の作家主体による、自己の資質と自分が帰属する固有の世界を創作の場としての瞠目(どうもく)に値する創作活動であった。作家たちによる自己の帰属する世界への内化という文学的営為は、アラビア語でインティマーウというが、これは、自分が生まれ出てきた轍(わだち)を逆にたどり返し、自己の本来のありようを見届けようという原点復帰の行為であり、そうすることによってこそ世界文学の一端に連なることのできる作品が生み出しうる契機がつかめ、そこにこそ創作の場があるという自負が若いアラブの作家たちにはうかがえる。

 現代アラブ小説群は陸続と生み出され、すでに多様な広がりをみせているが、ここではこの原点復帰という文学的営為を視座にして、パレスチナ、エジプト、スーダン、モロッコの各地の主要な作家と作品について略述してみる。

[奴田原睦明]

パレスチナ

パレスチナの文学は、1948年に祖国を奪取されるという不条理と、その後の祖国なき民衆がたどった運命とに苛烈(かれつ)な収斂(しゅうれん)をみせている。パレスチナの作家としては、まずガッサーン・カナファーニーがあげられる。彼はPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の公式スポークスマンとして活躍中、シオニストの仕掛けたダイナマイトにより愛車ごと吹き飛ばされ、壮絶な死を遂げたが(1972)、四半世紀に及ぶ同胞の悲惨な運命を作家としてのある確かな予見をもって見守り続けた。パレスチナ人は祖国喪失後、混迷を極め、多くの犠牲を払いながら試行錯誤の繰り返しののちに、世代の交代を契機として、ついに不退転の抵抗者の集団へと変貌(へんぼう)を遂げていったが、その行程が彼の遺作集にはつぶさに記録されている。

 カナファーニーがパレスチナ革命の渦中に身を置いて創作に向かったのに対し、占領下パレスチナに踏みとどまって創作にあたった作家としては、詩人のマフムード・ダルウイーシュと左翼作家のアミール・ハビービーがいる。自作の詩を大衆集会で朗詠するというアラブの伝統によったダルウイーシュの詩作は、パレスチナ人自身が生み出した抵抗の武器となった。アミール・ハビービーはイスラエルの厳しい検閲下にあって、アラブ人だけに理解できる幾重にも屈折した表現法と辛辣(しんらつ)な風刺により、完成度の高い作品を生み、その作品は、異郷にある同胞に対しての、占領下の祖国から発せられた勇気を奮い起こさせるメッセージとなった。

 第3番目の範疇(はんちゅう)に入る、異郷にあって創作にあたっている作家としては、ハリーム・バラカートやジャブラー・イブラヒーム・ジャブラーJabrā Ibrāhīm Jabrā(1920―1994)がいるが、いずれも主要な作品のテーマは、「パレスチナ問題」に激しく収斂している。ジャブラーの代表的な作品として、『長い夜の叫び』(1955)、『ワリード・マスウード』(1978)、自伝的作品に『最初の井戸』(1987)がある。

[奴田原睦明]

エジプト

アラブ文学のなかでもっとも強力な磁場となっているのはエジプトだが、それらの作品の主要な舞台は、大別すると、カイロやアレクサンドリアのような大都会と、カイロを基点とし上下(かみしも)エジプトに二分される農村地帯に分けられる。カイロの下町の庶民の生活を歴史の激動のなかに置いて見守ってきた作家には、ナジーブ・マフフーズがいる。彼の『バイナル・カスライン』(1956)を第一作とする三部作では、両世界大戦間において揺れ動くエジプト社会を生き抜いていく一商人の家族の姿が、世代の交代とともにつづられており、歴史を庶民の側からみるという興趣も加わって、すでに大河小説として不動の位置を占めるに至っている。最近注目され始めた作家にはスヌアッラー・イブラヒームがいるが、彼の処女作は『あの匂(にお)い』(1964)で、独自の生理でエジプト社会と対峙(たいじ)し、カフカ的世界を織り成している。アスワン・ハイ・ダム建設にまつわる作品『八月の星』(1974)も注目を集め、その後の作品に『委員会』(1981)、『ザート』(1992)などがある。新しい世代の大衆作家としてもてはやされているのはイスマイール・ワリイ・アル・ディーンIsmā'īl Walī al-Dīn(1937― )で、『銭湯マラティーリ』(1970)という作品がある。

 もっとも注目すべきは、農村を舞台にし、農村に帰属する若い作家たちによる創作の産物である。その領袖(りょうしゅう)はユースフ・イドリースだが、『ハラーム・禁忌(きんき)』(1959)という作品において彼は季節労働者に焦点をあて、その生活の実態を描くとともに、頑迷な社会規範の専横ぶりに鉄槌(てっつい)を下した。農民は長い間家畜並みに扱われ、収奪の対象としてみられるばかりで、農民にまつわる事柄の多くが不問に付されてきた。農村出身の若い作家たちは、創作の矛先を、閉ざされた農村社会の内部に向け、それまで一方的に社会および宗教規範によって裁断されてきたものを、人間の問題としてとらえ直し、人間の領域に引き戻して個々に見直そうとする。そのような規範に対する激しい糾弾が多くの作品を貫いているが、同時に、土俗・民俗の豊饒(ほうじょう)な世界も、農民たちの生活言語を介して明かされている。

 新しい世代の代表的作家には、ユースフ・アル・カイードYūsuf al-Qa'īd(1944― )やヤヒヤー・アル・ターヒル・アブドッラーYayā al-āhir 'Abd Allāh(1938―1981)があげられるが、農村文学の嚆矢(こうし)としてのアブド・アル・ラフマーン・アル・シャルカーウィ'Abd al-Ramān al-Šarqāwī(1920―1987)の『大地』(1954)の存在は忘れることができない。

[奴田原睦明]

スーダン

ナイルをさらに遡行(そこう)すると、自然は濃密かつ強大になり、自然が人間から主役を奪い返していくが、スーダンの漆黒の闇(やみ)のなかから突如、タイイブ・サーレフという一文学的資質が現れた。彼の代表作は『北へ遷(うつ)りゆく時』(1966)であるが、この作品の出現は、そのテーマからは、異文化との衝突および摩擦という主題は時代ごとに新しい相貌(そうぼう)と意味とをもちうることを、またサーレフの出現そのものからは、伝統はなくとも作家に固有の創作の場と文学的資質とによって世界文学に連なることが可能であることを実証した点で、大きな意味をもったといえよう。

[奴田原睦明]

モロッコ

西のモロッコに目を転じると、注目をひく作家ムハンマド・ショクリーがいる。彼はモロッコの山岳地帯に生まれたが、この地は周期的な旱魃(かんばつ)にみまわれ、彼の一家もその例にもれず1943年の大旱魃のときに飢えを逃れてタンジェ(タンジール)に下った。飢えと背中合わせのすさまじい極貧のなかで少年期を送ったショクリーは、やがてその体験を赤裸々に自伝的作品『裸足(はだし)のパン』(1980)に結晶させた。この作品は大きな反響をよび、十数か国に訳された。モロッコのアトラス山脈の南には、サハラ砂漠が広がっているが、タイイブ・サーレフがスーダンに突如現れたように、サハラ砂漠を作品世界とするトゥアレグ人出身の作家、イブラーヒーム・アル・クーニーがこの地に出現した。彼の作品は、駱駝(らくだ)と人間の不思議な絆(きずな)を描いた『ティブル』(1992)をはじめ40冊に達しているが、すべてサハラ砂漠のトゥアレグ人とその社会に終始している。

 サーレフやアル・クーニーの例にみるように、アラブの現代文学は今後も確実に一定の時の経過とともに稀有(けう)な文学的才能を送り出していくだろう。それがどの国、どの風土になるかは予測できないが、いずれの地にしろ生まれ出た才能は文学作品によってのみ可能な、その地に関するいまだ明かされなかったことへの示唆や発見をわれわれに与えてくれるだろう。

[奴田原睦明]

『川崎寅雄著『アラブ近代文学の群像』(1971・潮出版社)』『野間宏責任編集、堀内勝ほか訳『現代アラブ文学選』(1974・創樹社)』『野間宏・前嶋信次編『現代アラブ小説全集』全10巻(1978・河出書房新社)』『関根謙司著『アラブ文学史――西欧との相関』(1979・六興出版)』『H・A・R・ギッブ著、井筒豊子訳『アラビア文学史』(1982・人文書院)』『奴田原睦明ほか訳『集英社ギャラリー 世界の文学20 中国・アジア・アフリカ』(1991・集英社)』『竹内泰宏著『第三世界の文学への招待――アフリカ・アラブ・アジアの文学・文化』(1991・御茶の水書房)』『ヤハヤー・ターヒル・アブドッラーほか著、高野昌弘訳『黒魔術――上エジプト小説集』(1994・第三書館)』『奴田原睦明著『遊牧の文学』(1999・岩波書店)』『A・ミケル著、矢島文夫訳『アラビア文学史』(白水社・文庫クセジュ)』『H・A・R・ギブ著、井筒豊子訳『アラビア人文学』(講談社学術文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アラビア文学」の意味・わかりやすい解説

アラビア文学
アラビアぶんがく
Arabic literature

アラビア語で書かれた文学作品の総称であるが,アラブ人のほか,イラン人やスペイン人など多くの民族のなかから作家を出している。最古の作品にはジャーヒリーヤ時代の詩や若干の散文があるが,6世紀以前にさかのぼるものはない。多くの詩形のうち「カシーダ」と呼ばれるものが最も一般的で,7人の遊牧アラブ詩人の代表的カシーダを集めた名詩選『ムアッラカート』は特に有名である。イスラム教が興り,大征服によりアラブ人が3大陸にわたって進出すると,アラビア語も広い範囲に普及し,まず聖典『コーラン』が編まれた。イスラム帝国の時代に入ると散文も発達の緒につき,アッバース朝に入ってアラビア文学は黄金時代を迎え,ことに9~11世紀には詩や散文にも傑作を生み出した。9世紀に入るとイスラム帝国は政治的に分裂し,10世紀頃からはイランでは近世ペルシア語による文学が勃興してきたが,アラビア語文学も衰えることはなかった。一方,スペインを中心に西方イスラム世界のアラビア語文学も,ようやく東方イスラム世界の文学に迫る水準を示すようになった。ダイラム人が建国したブワイフ朝のもとでもアラビア語文学は栄え,「マカーマート」という技巧の点では最高のジャンルが興っている。 13世紀に入ると,もはや昔日の精彩はなく,次第に沈滞期に入るが,14世紀後半には民間文学も流行し,『千一夜物語』の完成は,このような衰退期のうちにおいてであった。アラビア語圏のほぼ全域がオスマン帝国に征服された 16~17世紀,アラビア文学は事実上壊滅した。
19世紀のシリア,エジプト,レバノン,イラクでの文芸復興に始る近代文学は,西洋との接触と,偉大な古典文学に対する新たな関心から推進された。エジプトでは,フランスによる短期間の占領期 (1798~1801) とそれに続くムハンマド・アリー朝期に近代文学が始り,より自由な環境であったこの地に,シリアとレバノンの作家が移住してきたため,エジプトは文芸復興の中心になった。のちにこの流れは他のアラブ諸国にも広がり,とりわけ第1次世界大戦後のオスマン帝国の解体と,第2次世界大戦後の独立の実現が引き金となった。これらの発展の原動力となったのは,アラビア語出版の出現と教育の普及および近代化であった。しかし,中世と異なる点は,もはや他民族はこれに加わらず,もっぱらアラブ人の間でのみ,この文学が行われるようになったことである。

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世界大百科事典(旧版)内のアラビア文学の言及

【アラブ文学】より

…アラビア語を用いて創造された文学をさすが,その担い手はアラブ人に限定されず,イスラムとアラビア語の拡大によってイランからイベリア半島まで多くの地域に広がり,その文化的伝統も継承された。アラビア文学とも呼ばれる。アラブ文学は5世紀末から歴史に現れた。…

※「アラビア文学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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