バック(読み)ばっく(英語表記)Pearl Sydenstricker Buck

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バック」の意味・わかりやすい解説

バック(Linda B. Buck)
ばっく
Linda B. Buck
(1947― )

アメリカの医学者。ワシントン州シアトル生まれ。ワシントン大学で心理学を学んだ後、テキサス・サウスウエスタン医科大学で免疫学博士号を取得。コロンビア大学、ハワードヒューズ医学研究所、ハーバード大学などを経てフレッド・ハッチンソン癌(がん)研究センター部長となる。

 アクセルとともに、鼻の奥にある嗅覚(きゅうかく)細胞には匂(にお)いの受容体が約1000種類もあることをマウスの実験で明らかにして1991年に共同で論文を発表した。人間には、この受容体は350種類ほどあることが分かってきた。

 一つの嗅覚細胞は一つの受容体だけをもち、この受容体は複数の似た構造をもつ匂い物質を識別できる。匂いを認識した嗅覚細胞は、大脳下部にある糸球に情報を集め、その糸球には匂いを識別する細胞群があり、匂いの地図もある。この情報はさらに大脳の匂い中枢に送られ、そこで匂いの認識や過去の匂いの思い出しなど高度な感情的な情報と結びついていることなどの事実を二人は解明した。このメカニズムは、視覚、聴覚など他の知覚システムでも同じであるとされており、業績は高く評価された。

 2004年「匂い受容体と嗅覚システムの発見」の業績により、アクセルとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。

[馬場錬成]


バック(Pearl Sydenstricker Buc)
ばっく
Pearl Sydenstricker Buck
(1892―1973)

アメリカの女流作家。6月26日、ウェスト・バージニア州に生まれる。生後数か月で宣教師の両親に伴われ中国に赴き、その地で育つ。高等教育を受けるため一時期帰国、そののち長く中国にとどまり、民衆の生活に理解と愛情を寄せ、小説を書き始めた。中国における東西両文明の確執を描く『東の風・西の風』(1930)を処女作に、続く代表作『大地』(1931)はピュリッツァー賞を受け、アメリカ文学史上まれなベストセラーとなり、彼女の名を不朽にした。これは王竜(ワンロン)を主人公にその妻と息子たち一家の生活を描いたもので、『息子たち』(1932)、『分裂せる家』(1935)とともに三部作『大地の家』を構成している。34年以降アメリカに定住、多くの作品を書いた。中編『母』(1934)をはじめ、『この心の誇り』(1938)、『竜子』(1942)、『皇太后』(1956)などの長編小説、および両親を描いた『戦う天使』(1936)、ほかに評論、自伝、短編など数多くある。38年アメリカの女流作家として初のノーベル文学賞を受賞した。第二次世界大戦後、彼女の関心は主として社会問題に移行し、アメリカの良心を代表して、人類平和の実現に尽くした。73年3月6日、バーモントで死去。

[板津由基郷]

『町田日出子訳『戦う天使〈父の伝記〉』(1973・芙蓉書房)』『鶴見和子著『パール・バック』(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バック」の意味・わかりやすい解説

バック
Buck, Pearl

[生]1892.6.26. ウェストバージニア,ヒルズボロ
[没]1973.3.6. バーモント,ダンビー
アメリカの女流作家。旧姓 Sydenstricker。 1938年ノーベル文学賞受賞。長老教会の宣教師だった両親に伴われて幼いとき中国に渡り,自国で高等教育を受けたのち,中国に戻り,教師をつとめ,17年に宣教師 J.L.バックと結婚。中国における東西文明の問題を追求した処女作『東の風,西の風』 East Wind: West Wind (1930) に次ぐ『大地』 The Good Earth (31) によって,ピュリッツァー賞を受賞,一躍流行作家となった。この作品は『息子たち』 Sons (32) ,『分裂した家』A House Divided (35) とともに,3部作『大地の家』 The House of Earth (35) を構成する。 34年離婚して帰国。ほかに,『愛国者』 The Patriot (39) ,『竜子』 Dragon Seed (42) ,『皇太后』 Imperial Woman (56) ,短編集『最初の妻』 The First Wife (33) ,『水滸伝』の翻訳,伝記など。

バック
Buck,Linda B.

[生]1947.1.29. ワシントン,シアトル
アメリカの生理学者。ワシントン大学で心理学と微生物学を学び,1980年テキサス大学サウスウェスタン医学センターにて免疫学の博士号を取得。 1980年から 1991年までコロンビア大学でリチャード・アクセルと共同研究を行なった。その後ハーバード大学を経て,2002年からフレッド・ハッチンソン癌研究センター研究員。 1984年からハワード・ヒューズ医学研究所研究員,2003年からワシントン大学教授を兼任。 1980年代アクセルとともに嗅覚の研究を行ない,1991年共同論文を発表。マウスを使った実験で,においの受容体遺伝子が 1000種類もあることを発見,においの認識の仕組みを解明し,視覚や聴覚などほかの感覚に比べて遅れていた嗅覚研究が急速に発展するきっかけとなった。 2004年アクセルとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。

バック
Buck, Carl Darling

[生]1866.10.2. オーランド
[没]1955.2.8. シカゴ
アメリカの言語学者。エール大学卒業。シカゴ大学教授。アメリカにおけるインド=ヨーロッパ語族研究の基礎を築いた。特にラテン語とギリシア語の研究への貢献が大きい。主著『オスク語・ウンブリア語文法』A Grammar of Oscan and Umbrian (1904) ,『ギリシア語方言研究入門』 Introduction to the Study of the Greek Dialects (28) ,『ギリシア語・ラテン語比較文法』A Comparative Grammar of Greek and Latin (33) ,"A Dictionary of Selected Synonyms in the Principal Indo-European Languages" (49) 。

バック
Back, Sir George

[生]1796.11. ストックポート
[没]1878.6.23. ロンドン
イギリスの探検家,海軍軍人。特に 19世紀前半の北アメリカ大陸の北極海沿岸地方の探検で知られ,『グレートフィッシュ河口までの北極探検記』 Narrative of the Arctic Land Expedition to the Mouth of the Great Fish River (1836) ,『テラー号探検記』 Narrative of an Expedition in H. M. S. Terror (38) を残した。 1839年ナイト爵に叙せられ,57年海軍大将になった。

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