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イギリス映画 イギリスえいが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イギリス映画
イギリスえいが

20世紀の初め,イギリス海峡に面したブライトンを中心に映画制作を始めた「ブライトン派」は,その表現手法と社会的主題でイギリス映画を世界の最先端に押上げたが,その後外国映画に圧倒され,衰退の一途をたどった。 1920年代末期に A.ヒッチコック,A.アスキス監督がデビューするが,国際的評価を得るためにはロンドン・フィルムを創立した A.コルダの出現まで待たなければならなかった。トーキーへの転換は 30年に訪れたが,この時期に活発化したドキュメンタリー映画運動が,以後イギリス映画の伝統となる。 30年代後半にはカラー映画の制作が始り,M.パウエルと E.プレスバーガーのコンビがすぐれた色彩処理によって注目を浴びた。 40年代には D.リーンと C.リードが頭角を現し,第2次世界大戦後の荒廃した社会を背景にヒューマンな映画作りを目指し,戦後黄金時代の牽引力となった。こうした伝統は,50年代後半に登場した「怒れる若者たち」によって激しい抵抗を受けた。しかし 60年代なかばからの映画界の衰退は,多くの映画人をアメリカへと流出させ,70年代に活躍したのは K.ラッセルと J.ロージーぐらいであった。しかし,80年代には S.フリアーズ,D.ジャーマン,P.グリーナウェイら性描写などのタブーに挑戦し新感覚で時代を描く世代が台頭した。また,麻薬や家庭の崩壊,ホームレスといった今日的なテーマに取組む H.クレイシら若い作家たちが登場しつつある。

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世界大百科事典 第2版の解説

イギリスえいが【イギリス映画】

イギリスには,映画の前史を形成したもっとも重要な人々が存在した。18世紀後半に〈パノラマ〉を考案したR.バーカー,19世紀前半に〈ファラデーの車輪〉と呼ばれる装置を発案したM.ファラデー,〈ソーマトロープ〉を考案したフィットンとパリス,〈ゾーエトロープ〉を考案したW.G.ホーナー,19世紀後半には初めて〈連続写真〉の撮影を行ったE.マイブリッジ,映画用カメラを初めて作ったW.フリーズ・グリーン等々。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イギリス映画
いぎりすえいが

映画は、イギリスにおいても、ほかの欧米諸国と歩調をあわせるようにして19世紀に誕生した。写真家だったウィリアム・フリーズ・グリーンWilliam Friese Greene(1855―1921)が原始的な映画カメラを発明したのは1889年で、映画がイギリスで初めて上映されたのはその7年後の1896年であった。まずフランスのリュミエール兄弟の映画が公開され、ついでイギリス人ロバート・ウィリアム・ポールRobert William Paul(1869―1943)の劇映画が料金をとって公開された。[品田雄吉]

サイレント映画時代

ポールに続いて、セシル・ヘプワースCecil Hepworth(1874―1953)や、のちに出身地にちなんでブライトン派と名づけられたジェームズ・ウィリアムソンJames Williamson(1855―1933)、ジョージ・アルバート・スミスGeorge Albert Smith(1864―1951)などが作品を発表した。これらは大部分が1分足らずの短いものだったが、すでに二重焼きや大写しやモンタージュの表現手法が使われていた。記録映画はニュースや実写から始まり、1911年には早くもハーバート・ジョージ・ポンティングHerbert George Ponting(1870―1935)によって1時間30分の長編『スコットの南極探検』がつくられている。しかし、サイレント映画時代のイギリス映画は、外国映画上映も含めた興行面では隆盛だったが、製作面では不振だった。たとえば、1910年にイギリスで公開された映画の内訳は、フランス36%、アメリカ28%、イタリア17%で、自国の作品はわずか16%にすぎなかった。さらに、サイレント後期の1926年には、自国作品はわずか5%の34本にまで衰退する。1927年に、それまでの映画法が改正され、自国映画保護のための「スクリーン・クォータ」が法制化された。劇場は定められた割合だけ自国映画を上映しなければならないとする法律で、その効果は目覚ましく、1926年の34本に対し、クォータ制施行の1927年には128本と急増した。しかし、本数は増えたものの、作品の質の面ではほとんどみるべきものはなかった。この時期の代表作には、アルフレッド・ヒッチコックの『下宿人』(1926)、ハーバート・ウィルコックスHerbert Wilcox(1892―1977)の『暁(あかつき)』(1928)などがある。[品田雄吉]

コルダとロンドン・フィルム

サイレント映画の字幕のイラストレーターから監督になったヒッチコックは、1929年にイギリス最初のトーキー映画『恐喝(ゆすり)』を発表したが、イギリス映画に良質な作品が生まれるのはトーキーになってからであった。サイレント時代は、英語字幕をもったアメリカ映画の隆盛がイギリス映画を圧倒していたが、トーキーになると両国の言語の差が意識され、それが映画製作の活発化へとつながっていった。
 1932年にハンガリー生まれのアレグザンダー・コルダがロンドン・フィルムを設立し、自ら『ヘンリー8世の私生活』(1933)を監督、またフランスから招いたルネ・クレールに『幽霊西へ行く』(1935)、ジャック・フェデーに『鎧(よろい)なき騎士』(1937)を監督させた。同じくハンガリー生まれの映画製作者ガブリエル・パスカルGabriel Pascal(1894―1954)は、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲の映画化『ピグマリオン』(1938)を発表した。欧米で映画製作を経験していたコルダは、娯楽性の強い大作を次々に発表し、イギリス映画の大きな力となったが、スタッフやキャストの顔ぶれが国際的で、その作品傾向も純粋にイギリス的とはいいがたい。[品田雄吉]

ドキュメンタリー映画運動とその展開

1929年には、ジョン・グリアスンJohn Grierson(1898―1972)がドキュメンタリー映画『流網船』をつくった。彼が中心となって提唱されたドキュメンタリー映画運動は、当時20代になったばかりのベジル・ライトBasil Wright(1907―1987)やポール・ローサPaul Rotha(1907―1984)らが製作と理論の両面で活躍し、現実の記録に映画的な詩情を織り込んだ独自の流派を形成した。アメリカ出身のロバート・フラハーティが、アイルランドの孤島で名作『アラン』(1934)をつくったのもこの運動の大きな成果である。第二次世界大戦が始まると、報道で戦意高揚の手段としてドキュメンタリー映画の製作がさらに活発になり、ロイ・ボールティングRoy Boulting(1913―2001)の『砂漠の勝利』(1943)、キャロル・リードの『真の栄光』(アメリカのガースン・ケニンGarson Kanin(1912―1999)と合作。1945)は、とくに優れた戦争記録映画であった。
 こうして形づくられたイギリス・ドキュメンタリー映画の伝統は、第二次世界大戦中から戦後にかけて劇映画と結び付き、写実的な真実感をもった劇映画というイギリス映画独自の特色を生み出していく。実景を舞台背景に、生活感をもった地味な人間たちが主役を演じるという特色は、デビッド・リーンの『逢(あい)びき』(1945)やリードの『邪魔者は殺(け)せ』(1947)などの秀作にもみられるが、とくにマイケル・バルコンの主宰するイーリング・スタジオの作品に、劇と記録のイギリス的融合が顕著であった。
 1934年ごろから映画製作に進出していたイギリスの製粉王アーサー・ランクArthur Rank(1888―1972)は、第二次世界大戦後急激に映画の製作と興行活動を拡大し、前記のイーリングを含む傘下の各プロダクションは、競って特色ある作品群を生み出した。イギリス演劇界の寵児(ちょうじ)だったローレンス・オリビエ監督・主演の『ヘンリイ五世』(1945)、『ハムレット』(1948)は、シェークスピア劇の映画化に大きな成功を収め、またマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーの製作監督チームによる『天国への階段』(1946)、『黒水仙』(1947)、『赤い靴』(1948)などは映画の色彩表現に多大の成果をあげた。
 第二次世界大戦中閉鎖されていたコルダのロンドン・フィルムも活動を再開し、リードの『第三の男』(1949)などを送り出した。また、イギリス映画の最大の特色ともいうべき劇と記録の融合は、それにユーモアを加えたイギリス調の喜劇へと発展し、チャールズ・クライトンCharles Crichton(1910―1999)の『ラベンダー・ヒル・モブ』(1951)、アレグザンダー・マッケンドリックAlexander Mackendrick(1912―1993)の『マダムと泥棒』(1955)などを生んだ。
 しかし、コルダの死(1956)のころからイギリスで製作されるアメリカ映画が多くなってきた。これにはさまざまな理由があるが、要約すればイギリス映画界がアメリカ映画の巨大な資本にのみ込まれた結果だといえるだろう。リーンが監督した『戦場にかける橋』(1957)や『アラビアのロレンス』(1962)は、アメリカ資本のもとでつくられたイギリス映画である。[品田雄吉]

フリー・シネマ以降

1959年にジャック・クレイトンJack Clayton(1921―1995)の『年上の女』とトニー・リチャードソンの『怒りをこめてふり返れ』が発表され、イギリス映画は新しい展開を迎えた。イギリスの古い階級社会がもたらす閉塞(へいそく)状況に対して、労働者階級の若者たちの怒りといらだちが文学、演劇、映画で表現されるようになった。このいわゆる「怒れる若者たち」の出現は、映画界においても「フリー・シネマ」とよばれる新しい潮流を生んだ。その代表的な作品は、カレル・ライスの『土曜の夜と日曜の朝』(1960)、リチャードソンの『蜜(みつ)の味』(1961)、『長距離ランナーの孤独』(1963)、リンゼイ・アンダーソンLindsay Anderson(1923―1994)の『孤独の報酬』(1963)などである。『或(あ)る種の愛情』(1962)をつくったのち、アメリカで『真夜中のカーボーイ』(1969)を監督し、アカデミー作品賞と監督賞を受賞したジョン・シュレジンジャーも注目された。『レイニング・ストーンズ』(1993)や『麦の穂を揺らす風』(2006)などで一貫して反権力の映画をつくり続けるケン・ローチは、イギリス・ドキュメンタリー映画とフリー・シネマの伝統を受け継いだ監督だといえるだろう。
 また、ジョゼフ・ロージーやスタンリー・キューブリックのように、アメリカからイギリスに居を移して活躍した監督もおり、同じ英語圏である関係上両国の映画人は互いに交流しあって、それがイギリス映画の独自性を希薄にする結果も生んでいる。たとえば、オリビエやジョン・ギールグッドらの名優はしばしばアメリカ映画に主演したし、『わが命尽きるとも』(1966)のフレッド・ジンネマン、ビートルズもので名をあげたリチャード・レスターRichard Lester(1932― )などのように、イギリス、アメリカを問わずに活動している監督も多い。BBCテレビ出身のケン・ラッセル、「007」シリーズのテレンス・ヤングTerence Young(1915―1994)やガイ・ハミルトンGuy Hamilton(1922―2016)、チャールズ・ブロンソンCharles Bronson(1921―2003)の主演ものを多く手がけているマイケル・ウィナーMichael Winner(1935―2013)などは、イギリス映画の監督というよりは英語圏で活躍する作家というべきだろう。『小さな恋のメロディ』(1970)のワリス・フセインWaris Hussein(1938― )はテレビ出身であり、『炎のランナー』(1981)のヒュー・ハドソンHugh Hudson(1936― )はCMフィルム出身、『素晴らしき戦争』(1965)や『ガンジー』(1982)のリチャード・アッテンボローRichard Attenborough(1923―2014)は俳優出身と、20世紀後半のイギリス映画の監督地図は多様となった。
 労働党政権となった1990年代以降、政府の積極的な援助と、BBCやチャンネル4といったテレビ・ステーションが映画製作に力を入れたことにも助けられ、イギリス映画は質の良い作品を生み出している。たとえば、アメリカ・アカデミー賞の作品賞受賞作は、1996年はアンソニー・ミンゲラAnthony Minghella(1954―2008)の『イングリッシュ・ペイシェント』、1998年はジョン・マッデンJohn Madden(1949― )の『恋におちたシェイクスピア』とイギリス映画が受賞しているし、2000年に作品賞を受けた『グラディエーター』の監督はイギリス出身のリドリー・スコットであった。
 また、国際映画祭においてもイギリス映画の評価は高い。1993年に『ネイキッド』でカンヌ国際映画祭監督賞を受けたマイク・リーは、1996年に『秘密と嘘』でカンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)、2004年には『ヴェラ・ドレイク』でベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞している。ポール・グリーングラスPaul Greengrass(1955― )は北アイルランドで起きた血の日曜日事件を描いた『ブラディ・サンデー』(2002)でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞、同時多発テロでハイジャックされたユナイテッド航空93便の機内をリアルに描いた『ユナイテッド93』(2006)ではアカデミー賞の監督賞の候補にあげられた。マイケル・ウィンターボトムMichael Winterbottom(1961― )は、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』(1997)などがカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、2003年にはパキスタン難民の少年を描いた『イン・ディス・ワールド』(2002)でベルリン国際映画祭金熊賞を受けた。また前述のケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』(2006)もカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。スティーブン・フリアーズStephen Frears(1941― )の『クィーン』(2006)はダイアナ元皇太子妃の事故死をめぐるイギリス王室の対応を描き、エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンHelen Mirren(1945― )が同年度のアカデミー主演女優賞を受賞した。
 前述のようにイギリスとアメリカの映画人の相互交流は近年とくに顕著になったが、さらにそれに加えて、ニコール・キッドマンNicole Kidman(1967― )、ケイト・ブランシェットCate Blanchett(1969― )、ラッセル・クロウRussell Crowe(1964― )、サム・ニールSam Neill(1947― )、ジェーン・カンピオンJane Campion(1954― )など、オーストラリアやニュージーランドの俳優や監督たちが英米の映画界で大活躍するようになって、いわゆる「英語映画」はいっそうその強力さを増している。
 かつて人気のあった娯楽アクション映画『007』シリーズの特色は、『ハリー・ポッター』シリーズ(2001~2011)や『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ(2001~2003)に受け継がれ、イギリス映画はアメリカ資本の娯楽大作にも大きな役割を果たしているといえるだろう。[品田雄吉]
『筈見有弘著『イギリス映画史』(『世界の映画作家32』所収・1976・キネマ旬報社) ▽フレッド・ジンネマン著、北島明弘訳『フレッド・ジンネマン自伝』(1993・キネマ旬報社) ▽アンドリュー・ユール著、島田陽子訳『リチャード・レスター――ビートルズを撮った男』(1996・プロデュース・センター出版局) ▽トニー・リチャードソン著、河原畑寧訳『長距離ランナーの遺言――映画監督トニー・リチャードソン自伝』(1997・日本テレビ放送網) ▽アルフレッド・ヒッチコック著、鈴木圭介訳『ヒッチコック映画自身』(1999・筑摩書房) ▽巽孝之編『キネ旬ムック フィルムメーカーズ8 スタンリー・キューブリック』(1999・キネマ旬報社) ▽入江敦彦著『英国映画で夜明けまで』(2000・洋泉社) ▽グレアム・フラー編、村山匡一郎・越後谷文博訳『映画作家が自身を語る ケン・ローチ』(2000・フィルムアート社) ▽塚田三千代監修、亀山太一他訳『グラディエーター――リドリー・スコットの世界』(2001・スクリーンプレイ出版) ▽スティーヴン・ローウェンスタイン編、宮本高晴訳『マイ・ファースト・ムービー――私はデビュー作をこうして撮った』(2002・フィルムアート社) ▽狩野良規著『スクリーンの中に英国が見える』(2005・国書刊行会)』

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世界大百科事典内のイギリス映画の言及

【フリー・シネマ】より

…また同時に,彼らは〈われわれの姿勢を貫くものは,自由,民衆の重要性,そして日常のもつ意味を信じることにある〉というマニフェストを掲げて実作活動を行い,そこからアンダーソンの《ロンドンの夜明け前》(1957),カレル・ライスの《ランベスの少年たち》(1959)などが生まれた。やがて彼らは長編劇映画の監督となるが,労働者階級の若者の日常に目を向けるドキュメンタリストとしての姿勢はそのままひきつがれて,演劇界における〈怒れる若者たち〉(アングリー・ヤング・メン)の世代の作家たちと結びついてイギリス映画の新しい波を形成した。リチャードソンが製作に当たり,カレル・ライスが監督したアラン・シリトーAlan Sillitoe(1928‐ )原作の《土曜の夜と日曜の朝》(1960),アラン・シリトー原作,トニー・リチャードソン製作・監督の《長距離ランナーの孤独》(1962),カレル・ライスが製作,アンダーソンが監督した《孤独の報酬》(1963)などがその代表作とみなされる。…

※「イギリス映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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