ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
カラー=フィールド・ペインティング
colour-field painting
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色彩の場の絵画と訳される。物理学およびゲシュタルト心理学のフィールド=場の概念から借用された。1950年アメリカの詩人チャールズ・オルスンが『投影詩論』Projective Verseのなかで「場の作詩」を唱え、1956年美術批評家グリーンバーグが『アメリカ型の絵画』のなかで、ニューマンの作品を「場の絵画」とよんだ。もちろん優れた作品はすべて統合された全体を有しているといえるが、この場合は、かつての抽象に対立するものとして地と図の区別をあいまいとし、形体と色彩の造形的な関係を拒絶し、全体としてみられる絵画をさしている。この構造はポロックとも共通するが、とくに色彩表現をもくろんだニューマン、ロスコ、スティール、彼らの影響を受けたルイス、フランケンサーラー、ノーランド、ケリーに対して称されるようになり、色彩の語が付加された。同一ないし近接した色相、類似のスケールをもつ明度、彩度による表現をとっている点に特色がある。また、ノーランド、ケリーの一時期の絵画は技巧上、ハード・エッジとよばれている。
[藤枝晃雄]
…40年代にニューヨークに登場する抽象表現主義はキュビスムとシュルレアリスムを背景とし,ヨーロッパのアンフォルメルに対応するものである。これには激しい動きを画面に投入したアクション・ペインティングの一派(J.ポロック,W.デ・クーニング,クラインFranz Kline(1910‐62)ら)と,平面的な色面によるカラー・フィールド・ペインティングColor‐Field Paintingの流れ(M.ロスコ,ニューマンBarnett Newman(1905‐70),スティルClyfford Still(1904‐80),ラインハートAd Reinhardt(1913‐67)ら)があり,両者とも巨大なキャンバスをいっぱいに使った衝撃的な絵画を創造した。 40年代後半から50年代半ばごろまでが抽象表現主義絵画の全盛期だったが,クライン,ポロックの相つぐ死去および抽象表現主義絵画そのものが抱えていた問題によって50年代末から崩壊し,代わってポップ・アートと新抽象(ポスト・ペインタリー・アブストラクションPost‐Painterly Abstraction)の二つが現れる。…
…〈応答する眼〉展が最も重要な展覧会となった。オップ・アートの作品の与える動きは純粋に視覚的な錯覚だが,動きに対する関心がキネティック・アートにつながり,またその〈冷たい抽象〉の側面においてカラー・フィールド・ペインティングやミニマル・アートともつながってゆく。【千葉 成夫】。…
※「カラー=フィールド・ペインティング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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