日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケーラー」の意味・わかりやすい解説
ケーラー(Georges Jean Franz Köhler)
けーらー
Georges Jean Franz Köhler
(1946―1995)
ドイツの免疫学者。ミュンヘンに生まれる。フライブルク大学で生物学を学び1971年に卒業、免疫学に興味をもち、スイスのバーゼル研究所で酵素β‐ガラクトシダーゼの免疫学的研究を行った。1974年フライブルク大学で博士号を取得し、同年にケンブリッジ大学分子生物学研究所の研究員となった。1976年バーゼル研究所に移り、1985年にはフライブルクのマックス・プランク免疫学研究所の所長に就任した。
ケンブリッジ大学時代にミルスタインのもとで研究生として学び、やがて共同研究を行うようになった。彼らは、骨髄腫(こつずいしゅ)細胞とリンパ球とを細胞融合して抗体分泌(ぶんぴつ)細胞系をつくりだし、それが分泌する抗体がモノクローナル抗体(特定の抗原にのみ反応する単一の抗体)であることを発見し、1975年に発表、その後大量作製法を考案した。モノクローナル抗体は、細胞内の微量物質の検出や局在性を調べるのに有効であり、病因の探求や治療に広く応用されている。1984年、ミルスタインとともにノーベル医学生理学賞を受賞、「免疫系の発達と制御の特定性に関する理論」を確立したヤーンも同時に受賞した。
[編集部]
『石田寅夫著『ノーベル賞からみた免疫学入門』(2002・化学同人)』
ケーラー(Wolfgang Köhler)
けーらー
Wolfgang Köhler
(1887―1967)
ドイツの心理学者。ゲシュタルト心理学派の代表者の一人。エストニアのリバルに生まれる。ベルリン大学のシュトゥンプの弟子。ゲシュタルト心理学の出発点となったウェルトハイマーの運動視の研究には、コフカとともに被験者としても協力した。『類人猿の知恵試験』(1917)では、動物が試行錯誤法によらず洞察によって学習することを示した。また、『物理的ゲシュタルト』(1920)では心理的現象と物理的現象の同型説を主張し、まもなくベルリン大学の教授となる。ナチスによるゲシュタルト心理学者の迫害と戦い、1934年アメリカに亡命、図形残効などについて研究するとともに、ゲシュタルト心理学の紹介に努めた。『ゲシュタルト心理学』(1929)は優れた解説書である。
[宇津木保]
『宮孝一訳『類人猿の知恵試験』(1962・岩波書店)』
ケーラー(Horst Köhler)
けーらー
Horst Köhler
(1943― )
ドイツの政治家。2004年7月、大統領に就任した。2月22日、ドイツ占領下のスキエルヴィツォフ(現ポーランド南東部)で、農家の第7子として生まれた。西ドイツ(当時)のチュービンゲン大学で経済学、政治学を学び、卒業後は同大学の経済研究所助手になった。1976年に西ドイツ経済省に移り、学者から官僚に転進した。1981年にキリスト教民主同盟(CDU)に入党している。
その後、シュレスウィヒ・ホルシュタイン州首相府勤務を経て、1990年に西ドイツ財務省次官となり、東ドイツと西ドイツの通貨同盟をめぐる条約交渉や、マーストリヒト条約交渉などに携わった。1998年から2年間、ヨーロッパ復興開発銀行総裁を務め、2000年から2004年3月まで国際通貨基金(IMF)専務理事。2004年5月のドイツ大統領選挙で、野党の保守・中道陣営の推薦を受け立候補して当選、同年7月に第9代ドイツ連邦大統領に就任した。大統領受諾演説で、「私が愛するドイツが21世紀も確固たる地位を獲得できるよう貢献したい」と抱負を述べ、優先事項に社会制度改革などをあげた。2010年5月、海外派兵をめぐる発言の責任をとり辞任した。
[土生修一]