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事務机または書きものテーブルのこと。ビューローの語は書きものをするテーブルやチェスト(櫃)の上にかけた,厚手の粗い毛織物(ビュールbure)に由来し,17世紀の家具の分化と発達の結果,ルイ14世時代に書きもの専用の机ができるようになってから,事務机または書きものテーブルそのものの名称となった。四脚の上に横長の甲板をのせ,その下部に引出しをつけたものが普通の形式で,17世紀後期のフランスで流行した。先が渦巻形の脚と左右の袖に三つの引出しをつけ,〈ブール象嵌〉(A.C.ブール)で飾った机は〈ビューロー・マザランbureau Mazarin〉,小型のものは〈書きものテーブルbureauà écrire〉などと呼ばれた。18世紀には〈ビューロー・ア・シランドルbureau à cylindre(シリンダー・ビューロー)〉と称して机の上に整理棚と引出しをセットした戸棚があり,その戸棚を4分の1円筒形の上げ下げ扉で閉じるようになったものや,〈ビューロー・ア・パントbureau à pente〉と称して,傾斜した蓋が取りつけられ,本や紙をのせることができ,これを前方に開くと書きもの机として使用することもできるものが現れた。これら新形式のうち前者は男子用,後者は鏡や化粧品を入れるスペースを備えてあるので婦人用として使われた。イギリスでは下部が簞笥chest of drawers,上部に整理棚と引出しを組み込み,傾斜した開閉できる蓋をつけた形式のものを,またアメリカでは寝室用の簞笥をビューローと呼ぶ。
→机
執筆者:鍵和田 務
ドイツの指揮者,ピアノ奏者。近代指揮法の確立に貢献,後に続いた指揮者たちに大きな影響を及ぼした。ピアノを学び演奏家として活躍を始めたが,ライプチヒ大学に入学,法律を専攻。しかし1850年R.ワーグナーの《ローエングリン》初演に接し,音楽を志す。53年ドイツとオーストリアを演奏旅行,ピアノ奏者として名を挙げ,57年リストの娘コジマと結婚。64年ミュンヘン宮廷歌劇場指揮者,67年宮廷楽長となり,その間に《トリスタンとイゾルデ》《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の初演を指揮。69年コジマがワーグナーのもとに去ったため,フィレンツェに移る。以後ワーグナーとは不仲になり,ブラームスに加担,その作品を積極的に紹介するようになった。77-79年ハノーファー宮廷劇場楽長。80-85年マイニンゲン宮廷楽長,87-93年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を務めた。ピアノ教師としても有能で,ベートーベンやショパンのピアノ作品の校訂版を出している。
執筆者:岩井 宏之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ドイツの政治家、外交官。1893年駐イタリア大使、1897年から外相、1900年帝国宰相(~1909)に就任。皇帝ウィルヘルム2世の信任を得て、国内で「結集政策」により支配層の結束に成功。対外的には帝国主義的「世界政策」を推進。バグダード鉄道の建設や艦隊増強を進め、大いに国威を発揚した。しかし、英仏との対立が激化し、1904年にイギリス・フランス協商が成立、ドイツの孤立が深まった。1905年英仏の仲を裂くため、第一次モロッコ事件(タンジール事件)を引き起こしたが失敗。また、増大する軍事費を調達するため、財政改革を行おうとしたが、保守党の反対にあって挫折(ざせつ)、皇帝の信頼も失って、1909年失脚した。
[木谷 勤]
ドイツの指揮者、ピアノ奏者。ドレスデンに生まれ、音楽と法律を学ぶ。1850年ワーグナーの『ローエングリン』初演に接して感激、ワーグナーに師事。同年指揮者としてデビュー。53年からはピアノ奏者としても活動を始め、57年リストの娘コジマと結婚。64年バイエルン王室歌劇場指揮者となり、『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を初演、ワーグナーの作品の紹介と普及に貢献。69年コジマと離婚。彼女のワーグナーとの再婚を機にビューローはワーグナーから離れ、ピアノ奏者として欧米各地に演奏旅行、名声を博した。80~85年マイニンゲン宮廷楽長、87~93年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団初代常任指揮者。ワーグナーから離れたのちは、ブラームスやチャイコフスキーの作品の紹介に力を入れた。
[岩井宏之]
1849~1929
ドイツの政治家。ローマ大使をへて1897年外相,1900年首相となり,膠州(こうしゅう)湾の租借,バグダード鉄道の建設,大艦隊の建設など世界政策を推進,ドイツの孤立を招いた。07年保守党から自由主義左派に至るビューロー・ブロックを形成して帝国主義政策の遂行にあたったが,09年財政改革問題をめぐってブロックが崩壊,辞職した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…在任1894‐1900)の時期には,皇帝が再び弾圧立法を提案したり,政府とその政策に足並みの乱れと動揺とが目だち,さらに議会主義やプロイセン邦議会の三級選挙法改正を求める世論の高まりが,支配層の危機感を深めた。皇帝と帝国宰相B.vonビューロー(在任1900‐09)はこの動揺を鎮め,支配層の結集をはかるため農業関税の再引上げや重工業の利益になる大艦隊の建造を進める一方,膨張主義的世界政策の展開によって国民の統合をはかった。しかし増大する軍事費の負担をめぐって支配層の内部にも対立が生まれ,帝国宰相ベートマン・ホルウェーク(在任1909‐17)はこの対立の打開に腐心したが解決策を見いだせず,左右から批判を浴びた。…
…時代に先駆けたその進歩的な性格だけでなく,各曲の驚くべき多様性と芸術的な豊かさゆえに,この曲集は西洋音楽の最も偉大な古典の一つとみなされ,早くもベートーベンの時代から,あらゆる音楽教育の礎石をなしてきた。19世紀の大指揮者H.vonビューローがいみじくも呼んだように,《平均律》は音楽の旧約聖書,ベートーベンの32曲のピアノ・ソナタは新約聖書ともいうべき存在である。第1巻は1722年,第2巻は1742年ころに完成された。…
… エジソンの円筒式蓄音機は録音・再生両用で,彼ははじめその効用を主としてことばの記録においていた。蠟管になってJ.C.ホフマン,H.vonビューロー(以上1888),ブラームス(1889)らのピアノ録音が行われた。1890年ころ現れたコイン投入式の商業用の蓄音機が音楽レコード生産のきっかけを与えた。…
…これに伴いポータブル・デスクは急速に衰退した。フランスでは粗い毛織物ビュールbureを机にかけて書きものをしたことから,これをビューローbureauとよぶようになった。ビューローは17世紀後期から18世紀にかけて西欧で流行した代表的な机である。…
…これに伴いポータブル・デスクは急速に衰退した。フランスでは粗い毛織物ビュールbureを机にかけて書きものをしたことから,これをビューローbureauとよぶようになった。ビューローは17世紀後期から18世紀にかけて西欧で流行した代表的な机である。…
※「ビューロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
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