ビール(英語表記)Bier[ドイツ]
beer

精選版 日本国語大辞典 「ビール」の意味・読み・例文・類語

ビール

〘名〙 (veal) 子牛の肉。
※西洋料理通(1872)〈仮名垣魯文〉四「第六十三等 〈ミンスドウィール 牛の刻み肉料理の義〉冷へたる小牛の肉一斤、葱一本」

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デジタル大辞泉 「ビール」の意味・読み・例文・類語

ビール(Biel)

スイス西部、ベルン州の都市。ジュラ山脈南麓、ビール湖北端に位置する。時計産業をはじめ、機械工業が盛ん。13世紀にバーゼル領主司教により創建。旧市街には中世の面影を残す歴史的建造物が多い。周辺の村々は同国有数のワイン産地としても知られる。フランス語名、ビエンヌ。

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改訂新版 世界大百科事典 「ビール」の意味・わかりやすい解説

ビール
Bier[ドイツ]
beer

麦芽を主原料として醸造した,炭酸ガスを含むアルコール飲料で,ホップに由来する苦みを有し,持続性の泡を生ずる特徴がある。世界中で最も多く消費されている酒で,世界の1992年の製造量は1億1470万klであった。

ビールは製造に使用する酵母によって,上面発酵ビールと下面発酵ビールに2大別される(表1)。このほか,色,発酵前の麦汁濃度,製造法,使用原料などによっても分けられる。上面発酵ビールに使用する酵母は,発酵末期に液面に浮上して粘稠(ねんちゆう)性の層となるのに対して,下面発酵ビールに用いる酵母は,逆に末期には凝集して底面に沈む。歴史的には前者の方が古く,下面発酵酵母が広く用いられるようになったのは19世紀に入ってからである。上面発酵ビールは,発酵時の温度が高いこともあって,香味が濃厚でくせが強く,現在ではイギリスなど一部の国を除いては,下面発酵ビールが主力となっている。

 欧州諸国では,税法で麦汁濃度による分類がされている。ドイツの例を表2に示す。ただし,全体の99%はフォルビールに属する。

 なお生ビールとは加熱殺菌していないビールをいい,これに対し加熱殺菌したものは熱処理ビールパストールビール)と呼ぶ。ラガービールとは後発酵で熟成したビールの意で,英語圏では淡色下面発酵ビールのことを一般に指す。

 以下,世界的に主力となっている淡色下面発酵ビールについて説明する。

大麦,ホップ,酵母,水,副原料(米,トウモロコシ,デンプンなど)がビールの原料である。

日本では穂に麦粒が2列に並んだ二条種を用いるが,アメリカなどでは六条種も使用している。ビール醸造用には,(1)粒が大きく穀皮は薄い,(2)デンプン含量が高くタンパク質は少ない,(3)発芽率が高く,麦芽にしたときの酵素力が強いなどの特性を必要とし,食用,飼料用の大麦と区別してビール麦と呼ぶ。日本ではビール大麦(または麦芽)の約7割を輸入している。主要な輸入国はフランス,カナダ,オーストラリアなどである。

ビールに苦みを賦与するとともに,その香気にも影響する。ホップの雌花は多数集まって松かさ状の球花になっており,成熟するとすべての雌花の基部にルプリンlupulinと呼ぶ顆粒(かりゆう)を生じ,この中に有効成分の苦味質と精油が含まれる。苦みのもととなるのはα酸という一群の化合物(フムロンhumuloneなど)である。β酸(ルプロンlupuloneなど)も苦みに多少寄与する。芳香のもとである精油にはミルセンmyrceneなどのテルペン系炭化水素と各種の含酸素化合物が最高2.5%程度含まれている。日本では山形,北海道などで作られるが,全使用量の70%以上が輸入によっている。主産地はドイツ,チェコスロバキア,アメリカなどである。最近ではホップ球花を低温下で粉砕後,小指の先ほどの大きさに成形したペレットなどの形で使用される。

下面発酵ビールにはサッカロミセス・ウバルムSaccharomyces uvarum(別名サッカロミセス・カルルスベルゲンシスS.carlsbergensis),上面発酵ビールにはサッカロミセス・セレビシエS.cerevisiaeに属する酵母を使用する。両者は糖の発酵性などに差がある。下面発酵ビール酵母は一般に胞子を形成せず,また倍数性も高く遺伝的に安定している。発酵時にアルコールと炭酸ガス以外にも多くの副次生産物を作り,これらがビールの香味に大きく影響する。ビール工場では,単一細胞に出発した優良菌株で製品特性にあったものを,純粋培養により増殖させ使用する。

ビール1klを造るためには約8~10klの水が必要である。一般に淡色ビールには軟水が,濃色ビールには炭酸塩硬度の高い硬水が望まれる。無色,無味,無臭で有害成分を含まぬことが必要で,とくに鉄,銅,マンガンなどの金属イオンや硝酸イオン硫酸イオンなどの存在はビールの香味にとって好ましくない。

麦芽デンプンの代替として,大麦(未製麦のもの),小麦,米,トウモロコシなどを一部使用することが広く行われている。麦芽に対する使用比率は国により異なり,日本の酒税法では麦芽重量の1/2以下と定めているが,ドイツでは国内用ビールに副原料の使用を禁止している。

 一般に生産地で最も安価な糖質源を副原料として使用する傾向があり,単位発酵性糖当りの価格が麦芽より安いので,その使用は経済的に有利である。このほか,副原料は麦芽由来の含窒素化合物などの諸成分を希釈する効果があるので,(1)味が軽く淡白となる,(2)混濁を生じにくくなる,(3)色が薄くなるなどの品質上の理由からも使用される。

ビールの製造は,(1)主原料である大麦から麦芽を造る製麦工程,(2)麦芽,副原料,ホップからビールを造る醸造工程,(3)ビールを製品化するパッケージング工程に3大別できる。

製麦は,浸麦,発芽,焙燥(ばいそう)の各工程よりなる。収穫後水分10~13%にまで乾燥した大麦は少なくとも6~8週間保存して休眠を終わらせた後,精選して夾雑(きようざつ)物を除き粒の大きさをそろえる。ついで水温12~16℃の水に40~70時間浸し,発芽に必要な水分(42~44%)を吸収させる。この間,通気などにより酸素を供給し,同時に発生した炭酸ガスを除去する。浸麦終了時には,大麦は幼根がわずかに出かかる状態となる。これを発芽装置に移して一定の厚さの表層とし,温度,湿度を調整しつつ適宜かくはんして均一に発芽させる。発芽方法および麦芽の種類により異なるが,通常4~8日を要する。発芽終了時には胚芽は穀粒中で全長の約2/3まで伸びており,この間に穀粒中に種々の酵素が増加,または新たに生成する。例えば,α-アミラーゼα-amylaseであるが,これは大麦中には存在せず発芽中に作られる。酵素の生成に伴って粒中の高分子の糖質,タンパク質なども一部分解し,大麦の組織は軟化しもろくなる。この現象を〈溶けmodification〉と呼ぶ。必要な溶けに達した麦芽(緑麦芽という)は乾燥室中で加熱空気を通し,初めは50℃以下で水分を減少させ,しだいに温度を上げ最終的には82~85℃まで熱する。この工程を焙燥と呼び,麦芽に香気と色度が賦与されるとともに水分は約3~4%に減少し保存に耐えるようになる。全加熱時間は18~36時間である。なお濃色ビール用麦芽の場合は最初から高温で加熱し,最終温度も120℃に達する。焙燥後,麦芽は根を除去し放冷してサイロ中に貯蔵する。

醸造は仕込み,主発酵,後発酵,ろ過の各工程より成る。麦芽および糖質副原料は粉砕して仕込槽に入れ温水とかくはん混合し,所定の温度-時間ダイヤグラムに従って酵素反応を行わせ,デンプンから麦芽糖,タンパク質からペプチド・アミノ酸などへと高分子化合物の分解を図り,マイシェmaischeと呼ぶ糖化もろみをつくる。この仕込みダイヤグラムはビールの品質設計に基づいて定められるが,大別して仕込槽全体の温度を調節するインフェージョン法と,もろみの一部を仕込みがまにとり煮沸して仕込槽に戻すことにより,槽の温度を段階的に上げるデコクション法があり,日本では一般に後者によっている。一例を示すとまずタンパク分解酵素の活動を主目的として,40~55℃で40~60分保持し(タンパク休息と呼ぶ),ついで65~70℃で60~90分保持して,アミラーゼの作用により,麦芽糖を主とした発酵性糖類を生成させ,さらに75~80℃に昇温して,酵素作用の停止,およびろ過の促進のための粘度低下を行わせた後,マイシェをろ過し麦汁(麦芽汁)と呼ばれる糖液と残渣(ざんさ)のかす(ビールかす)を得る。ビールかすは肥・飼料として使用される。なお,副原料がデンプン質の場合は,あらかじめ仕込みがまで小量の麦芽を加えて煮沸し,十分液化した後に仕込槽へ送るのが普通である。マイシェのろ過は,ろ過底をもったろ過槽で自然ろ過する方法とフィルタープレス式のろ過機で加圧ろ過する方法があり,ろ液の収量,所要時間,労力などで一長一短がある。得られた麦汁は煮沸がま中でホップを加え1~2時間激しく煮沸する。この操作によって,ホップ成分の溶出,変性による苦みと香気が賦与され,タンパク質の熱変性凝固が行われて,ビールの耐久性が向上され,麦汁の殺菌,酵素の破壊などの反応が行われる。煮沸によりホップのα酸(水難溶の6員環化合物)はイソα酸(水溶性5員環化合物)に変わり,麦汁に苦みを与える。この煮沸麦汁はホップかすを除いた後,沈殿槽(またはワールプール槽)に送られ,熱凝固物を分離し,5~7℃まで冷却する。ここまでを仕込工程といい,ビール製造の中で最も自動化の進んだ分野で,日本ではほとんどの工場でコンピューター管理されている。冷却された麦汁は通気して酸素を含ませた後,酵母を添加し(初期細胞数106~107個/ml),発酵タンク中で主発酵(または単に発酵と呼ぶ)を行わせる。酵母添加麦汁を,酛入槽(もといれそう)と称する中間タンクに1日静置してから,発酵タンクに移す場合もある。在来形のタンクは冷却コイルを内蔵する容量50~150kl(深さ2~3m)の角形のもので5~10℃の室内に設置する。主発酵は通常6~10日を要し次の経過をとる。酵母添加約12時間後から増殖が始まり,発酵性糖分の消費による麦汁比重の低下,アルコールおよび炭酸ガスの生成が見られる。24時間後には気泡で液表面が覆われ2~3日後には泡が高く盛り上がり,しだいに発酵熱を生ずるので冷却して最高8~9℃までに昇温を抑える。発酵最盛期は数日続くが,泡表面は析出したタンパク質,ホップ樹脂などにより着色してくる。また酵母の凝集沈殿も始まる。この間,生成する有機酸のためpHは低下する。液温を徐々に下げて最終3~4℃とする。主発酵の終わったビールは若ビールと呼ばれ,若臭または未熟臭と呼ばれる好ましくない成分を含み香味が粗く,未だ飲用には適さない。最近は300~1200klと大容量で温度コントロール可能の円筒形,またはシリンドロコニカル形と呼ぶ上部円筒で下部逆円錐形のタンクが屋外に設置されるようになり,建築費の低減とともに,作業性,生産性が著しく改善された。ただし,酵母の生理的条件が異なってくるため,従来方式と同品質の製品を造るためには,発酵経過の管理や使用酵母の選択に種々のくふうが必要である。若ビールは貯酒タンク(水平円筒型のものが多く最大100kl程度。耐圧構造で,0℃前後の室内に設置される。圧力調整器を有し,一定濃度の炭酸ガスがビール中に溶けこむ)に移し,低温で1~2ヵ月の後発酵(または貯酒という)を行わせ熟成する。この間に(1)残存糖の発酵により生じた炭酸ガスをビールに含ませる,(2)若ビール特有の未熟臭(ある種のカルボニル化合物,含硫黄化合物などによる)が消失し円熟した香味となる,(3)混濁物質が重合して沈降しビールが清澄化するなどの現象が起こる。後発酵を終了したビールは通常約0.5w/w%程度の炭酸ガスを含むが,ろ過綿,ケイ藻土などを用いたろ過装置により加圧ろ過して製品ビールとする。発酵,貯酒で生じた余剰酵母の一部は回収再使用されるが,大部分は加工して食品(酵母エキスなど),薬品(整腸剤)などに利用される。

(1)生ビール ビヤホールなどで生ビールとして利用されるものは,ろ過したビールを直ちに10~50lの樽に詰める。この樽は,以前は木製で内部ピッチ塗りのものが使用されたが,最近はほとんどステンレス製になっている。酵母が微量残っているので,低温に保ち短期間に消費する必要がある。大規模なビヤホールでは工場から生ビールをタンクローリーで運び,備付けのタンク中に保つことがある。一方,瓶詰,缶詰などの生ビールは,ろ過ビールをセラミックフィルターミクロフィルター(合成樹脂製)など微小孔径のろ過装置で再度ろ過して酵母を除き,あらかじめ殺菌した容器に無菌充てんする。これらは樽詰め生ビールと同品質を維持し,しかも酵母が存在しないので日もちする。各種容量のガラス瓶,アルミ(またはスチール)缶以外に,PET樹脂(ポリエチレンテレフタレート)の小樽(2~3l)も多用されている。(2)熱処理ビール 洗浄した瓶または缶にろ過ビールを詰めた後,60℃20分程度,湯槽(またはシャワー)中を通し加熱殺菌する。このほかビールを熱交換式加熱装置で70℃,20~40秒程度殺菌し無菌充てんする瞬間殺菌法もある。いずれにせよ,熱処理はビールの耐久性を保つうえで,必要最小限度の加熱にとどめる。これは加熱による香味変化をできるかぎり抑えるためである。最近のパッケージング工程は高速化し,瓶詰機の能力は600~1000本/min,缶詰機は最高2000缶/minにも達している。なお酸化はビールの品質劣化を招くので,生・熱処理ビールともに容器充てん時には空気のビール中への巻き込み,容器中への残存を極力避ける方策をとっている。

日本人とビールの出会いとして記録に残っている最初のものは,1724年(享保9)の《和蘭問答》で〈麦酒たべみ候処,殊の他悪敷物にて……,名をびいると申候〉とある。幕末の蘭医川本幸民(1810-71)は訳書《化学新書》の中でビールの製法を正確に記載しており,同人が日本で初めてビールを試醸したと伝えられるが確かではない。福沢諭吉は1865年(慶応1)《西洋衣食住》の中で〈又ビイルという酒あり,是は麦酒にて,其味至って苦けれど胸襟を開くに妙なり〉と述べている。江戸時代末期から明治初期にかけて外国ビールが輸入されるとともに,各所で小規模なビール醸造が試みられたらしい。当初はイギリス系の上面発酵ビールも造られたが,結局ドイツ流の下面発酵ビールが主力となった。工場規模での生産は1869年(明治2)アメリカ人W.コープランドにより横浜で,72年に渋谷庄三郎により大阪で,76年に北海道開拓使により札幌(官営)で開始された。もっぱら外人技師に頼った時代にあって,中川清兵衛はドイツで学んだ醸造技術を開拓使醸造所で発揮し,日本人ビール醸造技師の開祖といえる。明治10年代には各地に群小のビール会社ができたが,ほとんど家内工業的なもので永続しなかった。明治20年代に入り大資本によるビール事業の経営が始められた。
執筆者:

ビールを生産する産業。日本のビール工業は典型的な寡占産業で,麒麟麦酒サッポロビール,朝日麦酒,サントリー,それに沖縄県のオリオンビールの5社だけで生産を行っている。ただし,オリオンビールの生産量は少量であるので,実際は4社といってよい。とくにトップの麒麟麦酒のシェアは1970年代前半から60%を超え(アサヒビールなどの追上げもあり,90年代に50%に低下したものの),ガリバー型寡占の典型例とされた。ビール工業が寡占化している原因としては,(1)既存のブランドが確立していて,新しい販売網を作りあげることが困難なこと,(2)装置産業であるため,大規模な設備投資が必要とされることなどがあり,新規参入が困難となっている。

 ビールの出荷額は2兆4200億円(1995年)で,酒類全体の半分を占め,量でみても約70%を占める。生産量(製成数量)も1956年度に清酒を抜き,83年度には505万kl,95年度には680万klとなっている。ビールの年間の需要動向は夏の気候に左右されるところが大きいが,暖房機器の発達,ビールメーカーの宣伝活動などにより,ビール消費の季節性は徐々に薄れる傾向にある。またビールの価格は現在では自由化されているが,実際には各社の価格は一致している。

1994年酒税法が改正され,ビールの製造免許取得に必要な年間最低製造数量が2000klから60klに引き下げられた。これに対応して,〈村おこし〉の一環として自治体が,また各地の日本酒メーカーなどが〈地酒〉ならぬ〈地ビール〉の開発にとりくむようになった。生産の総量は多くは見込めないものの,地域振興との関連でも注目されている。

日本のビール工業は明治に入ってから始まった。1869年(明治2)アメリカ人のW.コープランド(1832-1902)が横浜に設立した〈スプリング・バレー・ブルワリー〉が最初のビール会社で,〈天沼ビアざけ〉という名で販売していた。76年には北海道開拓使庁が札幌に麦酒醸造所(サッポロビールの前身)を建設した。その後77年ごろには東京,大阪などにビール会社が設立された。当時はイギリス風のビールとドイツ風のビールがあったが,ドイツ風ビールの方が人気があった。このため87年前後になるとドイツ風ビールを生産する大手メーカーが設立されるようになった。1885年にはスプリング・バレー・ブルワリーの事業を継承して香港法人のジャパン・ブルワリー(麒麟麦酒の前身)が,89年に札幌麦酒(サッポロビールの前身)が,90年には大阪麦酒(朝日麦酒の前身)が設立されている。また1887年には東京に有限責任日本麦酒醸造が設立され,恵比寿麦酒を販売した。その後ビールの需要は順調に増加していったが,ビール需要拡大に脅威を抱いていた清酒業界の圧力もあって,1902年にビールにも酒税がかけられるようになり,しばらく需要の伸びがとまった。ビールメーカーはこの酒税分を消費者に転嫁できず,さらに日露戦争後の不況期に需要が減少した。こうした状況下で乱売合戦も生じ,ビール業界は一時混乱した。共倒れを防ぎ,業界の安定を図るため,06年札幌麦酒,日本麦酒,大阪麦酒の3社が合併し,70%以上のシェアをもつ大日本麦酒が設立された。大正に入り新会社が内地だけで4社設立され,既存メーカーの新工場建設も行われ,とくに第1次大戦後の好況期には,再びビール業界の競争が激化した。このため33年大日本麦酒は,麒麟麦酒(1907年ジャパン・ブルワリーを三菱グループが買収して設立)と共同出資で,乱売防止のために麦酒共同販売を設立した。同年大日本麦酒は日本麦酒鉱泉(1887年丸三麦酒として愛知県半田に創業)を合併,34年寿屋(現,サントリー)は麦酒部を分離,その醸造販売権は大日本麦酒に移った。また43年に桜麦酒(1911年帝国麦酒として門司に設立)も大日本麦酒に合併され,ビール産業は大日本麦酒と麒麟麦酒の2社に集約された。

ビールの戦時統制は,1941年に原料の大麦が国家管理の対象となり,43年には日本麦酒酒造組合によりビール生産部門の統制が,また麦酒配給統制により販売部門の統制が,それぞれ始まった。

 また1930年代に日本の海外進出とともに,ビール会社も海外進出し,33年朝鮮に朝鮮麦酒(大日本麦酒系)と昭和麒麟麦酒(麒麟麦酒系)が,34年中国東北部に満州麦酒(大日本麦酒と麒麟麦酒の共同出資)が設立された。

第2次大戦中にはビール工業も統制下に入り,1945年5月にはビールの生産を中止して,生産設備をアルコールの生産に転用することが決定された。しかし,配給停止が9月とされていたため,ビール酵母は終戦の時点で無事で,工場に対する戦災も比較的軽微であった。財政当局は,終戦後の混乱の中で頼るべき財源がなかったため,ビールからの酒税に期待し,ビール生産の回復を図った。しかし,占領軍は食糧危機下におけるビール生産には否定的であり,生産量はかなり制限せざるをえなかった。また46年,47年には生産されたビールの1/4~1/3が占領軍に消費される状態であり,ビールは依然として貴重品であった。48年に酒類配給公団が設立され統制業務が引き継がれたが,49年には公団は廃止され,公定価格制度は維持されたものの,ビール販売は自由化された。また,政府は税収確保の観点から,47年ビールに加算税を課した特価酒を販売したが,49年の自由販売への移行とともに減税が実施され,さらに50年には需要減に対応して2度目の減税が行われた。一方,大日本麦酒,麒麟麦酒両社は1948年,過度経済力集中排除法による分割対象企業となり,49年9月,大日本麦酒は,日本麦酒(1964年サッポロビールと改称),朝日麦酒の2社に分割されたが,麒麟麦酒は分割を免れた。分割当時の各社のシェアは日本麦酒38.6%,朝日麦酒36.1%,麒麟麦酒25.3%であった。そこでビールの自由販売への移行とともに,麒麟麦酒,日本麦酒,朝日麦酒の3社間で激しい販売競争が展開され,まず販売網の確立を目ざして,メーカーと小売店を結ぶ特約店の争奪戦が行われた。ビール生産は51年まで原料大麦の供給量が制限されていたため,麒麟麦酒と日本麦酒,朝日麦酒の力関係に大きな変化はなかったが,52年に大麦の統制が緩和されてから,麒麟麦酒のシェアが徐々に上昇し始めた。さらに,1950年代の後半から60年代にかけて,日本経済の高度成長により所得が増加したこと,電気冷蔵庫の普及により手軽に家庭でもビールが飲めるようになったこと,終戦後ビールに対する酒税が引き下げられ,他の酒類に対する価格競争力が増大したことから,ビール需要(移出数量)は急増し,1955年の41万klが65年には199万klとなった。また,1960年にはビールの公定価格制が撤廃された。

この需要増大期において,麒麟麦酒のシェアは1955年の37%から65年の48%にまで上昇し,戦後の麒麟麦酒独走体制を固めた。この時期,麒麟麦酒がシェアを上昇させた原因としては,次の点があげられる。(1)大日本麦酒の分割により,ブランド,生産網,販売網の面で麒麟麦酒が,日本麦酒,朝日麦酒に対し優位に立ったこと。麒麟麦酒が戦前から全国的に通用していたブランド〈キリンビール〉での販売を再開できたのに対し,日本麦酒は新ブランド〈ニッポンビール〉(57年から〈サッポロビール〉に変更)を,朝日麦酒は西日本中心に浸透していた〈アサヒビール〉を使わざるをえなかった。また工場配置面でも,麒麟麦酒が仙台,横浜,尼崎,広島とバランスがとれていたのに対し,日本麦酒は東日本に,朝日麦酒は西日本に工場が偏在していたため不利であった。(2)日本麦酒,朝日麦酒の2社は対麒麟麦酒で力をあわせるよりも,互いの競争に力を入れすぎたきらいのあったこと。さらになん回か両社が合併話に巻き込まれ,社内体制,特約店に動揺をあたえたことがあげられる。(3)麒麟麦酒が戦前から,都市の家庭層中心の販売戦略をとってきたことが,戦後の高度成長期の需要増にうまくマッチしたこと。これは大日本麦酒が,業務用に大きな勢力を築いていたことからやむをえずとられた戦略であったが,戦後も販売の中心を都市においたことは高く評価されよう。(4)積極的な設備投資により,需要増にうまく対処できたこと。麒麟麦酒は1957年東京工場を建設したのを皮切りに,61年横浜第二工場,62年名古屋工場を建設している。ちなみに,戦後日本麦酒,朝日麦酒が新工場を建設したのは61-62年であり,麒麟麦酒に一歩遅れをとった。

 ビールの高度成長期の1957年,宝酒造が群馬県に工場を新設し,ビール業界に新規参入したが,発売当初の不評と販売網の弱さから67年工場を麒麟麦酒,サッポロビールに売却して撤退した。さらに,63年寿屋がサントリーと社名を変更し,東京都府中市に工場を新設,ビール業界に再び参入した。サントリーは朝日麦酒の販売網が使えたメリットとともに,生ビール(酵母をフィルターでろ過したもので,純粋の生ビールではない)を中心とした商品戦略により,70年代には5%を超すシェアを確保するに至った。一方,サントリーに販売網を開放した朝日麦酒のシェアは1960年代後半の20%台から70年代には10%台に低下し,その分麒麟麦酒,サントリーのシェアが上昇した。1965年に199万klであったビールの需要量(移出量)は70年に298万kl,75年に391万klと順調に伸びていった。しかし,1970年代後半から76年,78年,81年,84年と相次いだ増税に加え,需要の飽和化現象も生じ,需要の伸びが鈍化してきた。そのため,ビール各社は低アルコールビール,瓶詰生ビール,家庭用の樽状容器などの新製品を発売し需要の喚起を図っているが,その効果は今一歩である。そのなかで生ビールの比率は上昇しており,1980年代初期には30%近くに達した。

1992年の生産量は1億1470万klで,1973年の7300万klに比べて,57%増加している。世界最大の生産国はアメリカで2370万klと世界全体の20%強を占める。次いでドイツ1140万kl(9.9%),中国1020kl(8.8%),イギリス708万kl(6.1%),日本700万kl(6.1%)と続く。上位5ヵ国で,世界の5割以上の生産量となっている。一方,消費量を1995年の数字でみると(単位l),チェコが1人当り157でトップ,次いでドイツ138,デンマーク124,ベルギー104となっている。イギリスは101,アメリカ84,日本56。
酒造業
執筆者:

古代ギリシア人やローマ人は,ビールをすでに知ってはいたが,それを積極的につくろうとはしなかった。彼らは大麦の粉をこねてペースト状にしたプルスpuls,粗びきの粥,小麦のパンを主食としながら,飲物はブドウ酒であった。それは,彼らの祖先が麦作農耕に入る以前の遊牧生活から受けついできたものである。

 古代ローマの歴史家タキトゥスは,ヨーロッパ北部のゲルマン人の民俗について,〈飲料には,大麦または小麦よりつくられ,いくらかぶどう酒に似て品位の下がる液がある〉(《ゲルマニア》)と述べているが,このローマの主権に従わない蛮族の飲物こそ,今日,世界で最も広く,また最も大量に飲まれている酒,ビールの原型であった。

 穀類を原料とした酒は,デンプン質を糖化する手段として麦芽を用いるかこうじ菌などのカビを利用するかによって大別される。しかし,この分類は食糧としての穀類がどのような過程を経て飲料を派生していくかという食文化史的視点をまったく欠いている。シュメール人やエジプト人によって,前3000年から前2000年のころ,すでに麦を原料とした酒づくりが始まっていたにもかかわらず,ビールの起源をその時代まで一気にさかのぼらせることに躊躇(ちゆうちよ)する理由はここにある。

 穀類の酒が広く飲用されるには,食糧としての穀物生産に余剰がなくてはならない。それと同時に,そこに成立した酒造技術は,食事のために穀物を調理する方法の中に胚胎していたとみなければならない。野生麦の栽培植物化とその食用化は,先土器新石器時代(前7500-前6500ころ)に一応完成した。ここに出現した麦食文化は,土器使用以前の,すなわち煮るという食べ方を知らない状況のもとで,粉食というその後の麦食文化の基本となる調理法をいち早く確立したと考えられている。麦粉を少量の水でねって火を通すという原理は,今日まで一貫して変わらない。

 古代の麦作は,小麦より収穫が安定していて,しかも粒の大きい大麦が主であった。しかし,粉食では水とこねてドウ(練粉)をつくるとき,粘りがあまり出ない大麦粉より小麦粉のほうがすぐれている。とくに,発酵をともなう加熱加工,製パンにおいて,その優劣は決定的となった。そのため,ヨーロッパの大麦はひき割りにして粥にする食べ方から発展しないまま,食糧としての麦作の地位をやがて小麦にゆずることになる。

ビール誕生は,このパンと粥という麦食文化の二つの流れの中で,大麦麦芽の利用技術がどのように形成されていったかをたどることによって明らかとなる。シュメール人や古代エジプト人は,大麦を発芽させたあと天日乾燥したもの,すなわち麦芽が,製粉するとき穀皮も分離しやすく,また容易に微細な粉末になることを知っていた。おそらく,水につかったり雨にぬれたりした大麦を食べなければならなかった偶然の機会が,麦芽の発見につながったのであろう。麦芽粉でつくったパンはすぐ硬くなってしまうため,食べるとき乳に浸したり湯で戻さなければならない。こうして水分を与えられると,麦芽パンは自然に発酵をおこす。今日,ロシアの最も庶民的な飲料といわれるクワスは,ライ麦麦芽のパンを用いてつくる清涼飲料に近い酒であるが,ここにパンを経由してつくる古代ビールのなごりがある。

 古代エジプトのパン食に対し,ギリシアや初期のローマは粥食であった。これは主作物がエンマー小麦か大麦かによる違いで,ヨーロッパの麦作は,マカロニ小麦が大麦にとってかわったローマを別にすれば,パン小麦が直ちに大麦を圧倒することはなかった。パンはぜいたく品であって,主食は大麦,雑穀,豆類の粥に肉を入れたごった煮という時代が続いたからである。

 粒のままの大麦は煮ても米のように食べやすくならない。粗びき大麦の粥は,いり麦を粉砕してつくる粉粥に近く,粒食より粉食とみるべきである。粉食では穀皮の分離と製粉の容易さが求められる。いり麦や麦芽は,その後の調理加工や食味に制約が生じるとはいえ,古代のすぐれた前処理技術であった。麦芽を用いた粉粥は,今日のビール醸造の糖化工程と原理的には同じである。しかもそれは,日常の厨房の仕事の範囲で食物を飲物に転換することであった。ビール造りが古来家庭の主婦の領分であったことが首肯されよう。タキトゥスの記述にあるゲルマン人の飲料はこのようなものであったが,彼らは飲酒に対して節制がなく,酔えばけんかし殺傷におよぶことも多く,〈もしそれ,彼らの欲するだけを給することによって,その酒癖をほしいままにせしめるなら,彼らは武器によるより,はるか容易に,その悪癖によって征服されるであろう〉と《ゲルマニア》は伝えている。

肉食に対する補完的な飲物であるブドウ酒が,食事の中だけで飲まれるのに対し,飲物を必要としない粥食から,食事とはなれて,もっぱら酔うために飲む大麦の酒が生まれたのは,この二つの酒の醸造の動機と深くかかわっている。

 ブドウ酒とビールの本質的な違いは,その原料が前者は飲物,後者は食物,というところにある。ブドウは乾燥した風土の生活に飲料として用いられるが,その収穫期は短く,一時に大量の果実を搾って保存しなければならない。貯蔵された果汁がブドウ酒である。すなわち,ブドウ酒はそれを飲む者にとって〈すでにつくられてあるもの〉なのである。一方,大麦は貯蔵性のよい食糧であり,ビールは飲む目的があって初めて醸造される。飲む者にとって,それは〈飲む日にあわせてつくられたもの〉であり,この違いが,ブドウ酒は〈ケ〉の日の飲物,ビールは〈ハレ〉の日の酒,という飲み方の違いになるのである。

ビール醸造が主婦の手をはなれて工業化の道を歩みはじめるのは,中世の農業革命によって穀物生産が増大してから後のことである。この時期に始まった三圃(さんぽ)農法は秋まきの小麦,ライ麦と,春まきの大麦,燕麦(えんばく),豆を共存させた輪作であった。食料としての小麦,醸造原料としての大麦という,目的に従った栽培がこれ以後行われるようになって,大量の原料集荷が可能となった。

 小麦と大麦が食物と飲物に分化したのは,食品加工の適性と食味において,小麦がまさっていたからである。その一方で,醸造原料として最も重要な条件となる製麦適性(麦芽をつくるのに対する適性)において,大麦が断然すぐれているというかくれた理由があることも,見逃してはならない。

 ビール醸造の規模が大きくなっていく舞台は中世の修道院であった。醸造技術の進歩が,当時の知識・技能集団である修道士の手にゆだねられたことではブドウ酒と軌を一にしている。修道院の自家用ビールが販売権を得て商品となるのは14世紀になってからであるが,その前段階として,醸造中に起こる腐敗や飲みきるまでの変質を防止するために,それまで用いていたグルートと呼ばれる種々の添加物に代えてホップが採用され始めていた。販売を目的としたビールの生産は,中世の都市の成立によって生まれた需要と,醸造技術の進歩によって安定した品質の製品が供給可能となったことに支えられていたのである。

 16世紀には,イギリスのエールを除き,ホップはビール醸造に必須の原料として定着した。このころからドイツ各地にビールの企業化が盛んとなり,醸造所の集中する都市が台頭した。アインベック,ミュンヘンなどである。同じころ,これらの醸造所において発酵の新しい方法が始まろうとしていた。それは発酵温度を比較的高く経過させる上面発酵から,低温で時間をかけて醸造する下面発酵へ移行することであった。冷凍機が発明される以前,気温の高い夏の醸造は,ホップを使用するようになったとはいえ,腐敗の危険があって許されなかった。そのため,夏場に販売するビールは3月までに製造して冷涼な穴倉に貯蔵しておかなければならない。いわゆるラガービールが要求されたのである。

 19世紀前半,ヨーロッパはコレラの脅威にさらされた。不潔な飲用水によって伝染するこの悪疫に対して,最も安全な飲物はビールとブドウ酒であった。人々にこう確信させたのは,コレラ流行の中心地にあったビール醸造所で従業員に1人の罹患者も出さなかったからだといわれている。事実,ビールは発酵によって醸造用水の微生物的な汚染を浄化しているのである。

ビール生産が装置化して巨大な産業に発達したのは,リンデによる冷凍機の発明,パスツール,ハンゼンなどによる微生物学とその応用技術の開拓,によって大規模な醸造を安全に遂行する技術が確立したことに負っているが,一面,その巨大化はそれに見合う需要と消費のあり方を喚起した結果であるとみなければならない。それは,ビヤ樽からジョッキについで飲むという狭域マーケットの飲み方から,ビール瓶や缶という密封容器を媒介として,広域マーケットの消費者の自由にゆだねられた飲み方への移行であった。ビヤホールの飲酒風俗は酒盛りであり,古代ゲルマン以来の酒としてのビールの飲み方である。だが,家庭に配達されるビールが酔いつぶれるほどに飲まれることは,もはやまれであろう。街頭におかれた自動販売機の普及は,ビールを清涼飲料と同じイメージに変えていく。

 穀類の酒は,本来,祭りの神前にそなえて直会(なおらい)に飲むものであった。祭りに参集する者にとって,その穀類は主食料であり,その酒は常飲してはならないものであった。現代のビールにこうした面影をさぐることはできない。ハレの日の酒は,すでにケの日の飲物に変貌しているのである。
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ビール
Biel

スイス中西部,ジュラ山脈南東麓のビール湖南岸に位置する都市。人口4万9038(2006)。フランス語圏とドイツ語圏の境界にあってビエンヌBienneとも呼ばれる。13世紀初頭バーゼル司教によって建設されたが,ベルンと同盟して自治を享受,維持しつづけた。しかし,1815年ウィーン会議の際にベルンに合併され,現在はベルン州(カントン)に属する。時計工業の中心地であるが,中世の小都市の面影を残す落ち着いた町である。
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食の医学館 「ビール」の解説

ビール

《栄養と働き》


 ビールはヨーロッパの新石器時代には、すでに存在していたといわれます。
 古代のエジプトやバビロニアでは、神に捧げる神聖な飲みものとされ、薬としても用いられました。
 ビールが日本に伝来したのは江戸時代の中期以降で、江戸末期には長崎のオランダ商館で飲まれていたようです。
○栄養成分としての働き
 いまやビールは日本人にとってもっとも身近な酒。その消費量も、酒類中ダントツの1位です。
〈酒のなかでは栄養バランスにすぐれ、とくに葉酸が豊富〉
 ビールを飲むと、炭酸の刺激と適度なにがみが食欲を増進させます。また、浸透圧が人間の体液に近いため、利尿作用があり、尿路結石(にょうろけっせき)の排出にも有効です。
 こうした効用に加えて、酒のなかでは栄養のバランスがとれている点も特徴の1つです。ビールは別名「液体のパン」ともいわれ、原料の麦に由来するビタミンB群やミネラルが比較的豊富です。
 ことに、ビタミンBの一種である葉酸(ようさん)は、ワインやウイスキーの100~1000倍も含有。その働きで脂質の代謝を活発にし、皮膚の健康を保って肌荒れを防いでくれます。
 また、ビールの中には、原料のビール酵母の成分である核酸が溶けだしています。この核酸には、新陳代謝を活発にして、肝臓の働きを助ける効果があり、老化防止にも有効です。さらに最近では、生きたビール酵母に、ニンニクを食べたあとの口臭を消す効果があることもわかっています。
 ところで、ビールのにがみは原料のホップに由来するものですが、ヨーロッパには昔から「ホップ畑で働く女性は肌がきれいで健康」という言葉があります。これはホップのルプリンに女性ホルモンを補う働きがあるためで、ビールにも更年期障害を改善する働きがあるといわれます。
 このほか、気分をやわらげ、ストレスによるイライラを軽減する効果があります。そのため、ホップは安眠まくらや安眠のためのハーブティーにも処方されています。

《調理のポイント》


 ビールの原料や製法はさまざまですが、もっとも一般的なのはピルゼンタイプと呼ばれる、ホップの香りのきいた淡色ビールです。
 一方、俗に黒ビールと呼ばれるミュンヘンタイプのビールは、麦芽を焦がして仕込んだもので、香ばしい香りと独特のやわらかな甘みが特徴です。
 生ビール、もしくはドラフトビールは、日もちをよくするための熱処理をしていないビールで、ろ過や微生物管理の技術が発達している現在では、このタイプが主流となっています。
 なお、ビールをおいしく飲むときのポイントは、きれいなグラスを使うことです。
 グラスに汚れがついていると、そこから炭酸ガスが分離したり、泡が消えたりします。また、賞味期限以内でなるべく早く飲むようにしましょう。
 飲料としての用途以外では、煮込みなどの料理に使われるほか、てんぷらの衣に入れれば揚げ上がりがカラっとする効果もあります。

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百科事典マイペディア 「ビール」の意味・わかりやすい解説

ビール

麦芽を主原料として発酵させて造った,炭酸ガスを含むアルコール飲料。麦酒とも書く。古代のバビロニア,エジプトですでに飲用され,今日では世界で最も多く消費されているアルコール飲料である。日本では1869年に,アメリカ人のW.コープランドが横浜で作ったのが最初といわれ,明治20年代には大資本による経営が開始された。使用酵母の種類により上面発酵ビールと下面発酵ビールに大別,前者の代表はスタウトエールなどの英国ビールで,アルコール分が多い(6〜8%)。後者は世界各国で造られるが,有名なのは濃色のミュンヘンビール(黒ビールの代表),淡色のピルゼンビールなど。日本ではピルゼンビール型が大部分。アルコール分2〜5%。製造工程はまず乾燥・焙焦(ばいしょう)した麦芽を粉砕し,米・デンプンなどの補助原料,温水とともに仕込んで糖化,濾過(ろか)する。次にホップを加えて煮沸,ホップ粕(かす)を除去,冷却した麦芽汁に酵母を添加して約10日間発酵させた後,タンクで3ヵ月間熟成。熟成の終わったビールを濾過し,たるに詰めて生ビールとし,または,びんや缶に詰めて加熱殺菌,ラガービールとする。現在のびん詰生ビールは瞬間殺菌または無菌濾過により,たる詰とほとんど同じ品質をもつようにしたもの。また,缶ビールは米国のクルーガー・ビール会社が1935年に初めて売り出した。→地ビール
→関連項目発泡酒

ビール

スイス西部,ベルン北西約27kmの都市。時計工業の中心。自動車,楽器,食品などの工業も行われる。工業大学,考古博物館がある。5万13人(2008)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビール」の意味・わかりやすい解説

ビール
beer

穀物などのデンプン質原料(→デンプン)からの抽出液を発酵させてつくるアルコール飲料。特に日本ではオオムギを原料とした醸造酒をいい,麦酒とあて字される。前4000年頃にはメソポタミアでつくられていたとみられる。オオムギに水を均等に含ませて発芽させ,麦芽の強いアミラーゼ力(→アミラーゼ)を利用して麦芽の浸出液をつくる。これにホップの抽出物を加えて煮沸し,冷却後,ビール酵母によって糖(→炭水化物)を発酵させてエチルアルコールと炭酸ガス(→二酸化炭素)に変化させる。その後,貯蔵庫で冷蔵して成熟させ,透明にろ過すると生ビールが得られ,これを瓶詰または樽詰にして,65℃前後で殺菌する。アルコール濃度は 5%前後のものが多い。黒ビールのミュンヘンビール,淡色でホップのきいたピルゼンビール,両者の中間でこくのあるウィーンビールの 3種が代表的なものであったが,近年は世界的にドイツ式の低温下面発酵によるピルゼンビールに類する淡色型が大部分を占める。ドイツの一部などではコムギを原料とした酸味のあるものが愛飲される。(→麦芽発泡酒

ビール
Beale, Dorothea

[生]1831.3.21. ロンドン
[没]1906.11.9. チェルトナム
イギリスの女子中等教育振興の開拓者。 1848年新設のクイーンズ女子カレッジで F.モーリスについて学び,57年にウェストモーランドのカスタートンにあるクラージー・ドーターズ校 (C.ブロンテの『ジェーン・エア』のなかに出てくるローウッド校) の教頭となった。 58年チェルトナムの女子カレッジの校長に就任。 65年学校調査委員会の証人として女子中等教育の必要性を主張。 85年にチェルトナムに寄宿制の教員養成学校セント・ヒルダス・カレッジを設立した。 95~97年 F.M.バスの後を継いで女性校長協会の2代目の会長に就任,98年には社会教育,労働者教育のセンター,ロンドン・セント・ヒルダ・イーストを設立した。

ビール
Beal, Samuel

[生]1825.11.27.
[没]1889.8.20.
イギリスの中国仏教学者。ケンブリッジ大学卒業。 1852年海軍布教師となって中国に渡り,中国文化,特に宗教を研究。 77年ロンドン大学教授。『中国・日本に伝わる三蔵』 The Buddhist Tripitaka as it is known in China and Japan (1876) ,『中国の仏教』 Buddhism in China (84) などの著作や,翻訳"Travels of Fa-hian and Sung-yun,Buddhist Pilgrims from China to India" (69) ,"Si-yu-ki,the Records of the Western Kingdoms" (84) などがある。

ビール
Beale, Joseph Henry

[生]1861.10.12. マサチューセッツ,ドーチェスター
[没]1943.1.10. ケンブリッジ
アメリカの法学者。 1882年ハーバード大学卒業後,一時弁護士となり,97年からハーバード大学教授。その間,シカゴ大学ロー・スクール設立に参加し,またアメリカ法協会の設立に尽力。アメリカの大学で最初に国際私法を講じた教授で,法の属地性の原則に基づいて理論構成を行い,アメリカにおける国際私法学の先駆的地位にある。主著『抵触法判例選集』 Selection of Cases on the Conflict of Laws (3巻,1900) ,『抵触法論』 Treatise on the Conflict of Laws (3巻,35) 。

ビール
Biel

フランス語ではビエンヌ Bienne。スイス中部,ベルン州北西部の都市。ビール湖の北東端に位置する。ケルト起源の古い集落から発達,1275年に都市権を得た。著名な時計工場が立地し,チェーン,機械などの製造業が行われる。聖ベネディクト聖堂 (1451建設,1775修復) ,市庁舎 (1534) など中世の建造物が残る。鉄器時代後期のラ・テーヌ期の湖上集落遺跡からの出土器を納めたシュワープ博物館がある。人口5万 2670 (1991推計) 。

ビール
Biel, Gabriel

[生]1420頃.シュパイヤー
[没]1495.12.7. テュービンゲン
ドイツのスコラ哲学者,経済学者,神学者。 1484年テュービンゲン大学教授。唯名論の立場に立った。主著『神学命題要録』 Collectorium (1495) は P.ロンバルドゥス命題集についての W.オッカムの注釈の集成であり,ルターらに影響を与えた。

ビール
Bhīr

インド西部,マハーラーシュトラ州中部の町。ビール県の行政庁所在地。ショラープル北方約 140km,バラガート山脈北麓にあり,北方をゴダバリ川の支流が東流する。古代ヒンドゥー王朝から 14世紀にイスラムの支配下に入り,1947年までイスラム支配が続いた。綿花,亜麻仁,雑穀類の小集散地。革細工が行われ,特に革袋で知られる。人口 11万 2351 (1991) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

栄養・生化学辞典 「ビール」の解説

ビール

 麦芽,ホップ,水を原料とし発酵させて作る発泡性の酒.生ビール,ラガービールなど多くの種類がある.ラガービール(lager beer)は本来「熟成させたビール」の意味.ドラフトビール(draft beer)は「樽などから取り出したビール」の意味.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

とっさの日本語便利帳 「ビール」の解説

ビール

麦芽、ホップ、水を原料として発酵させたものがビール。日本の酒税法では麦芽使用比率は六七%以上、副原料として米やトウモロコシ、コーンスターチなどが認められている。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

367日誕生日大事典 「ビール」の解説

ビール

生年月日:1825年11月27日
イギリスの中国仏教学者
1889年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ビール」の解説

ビール

ドイツの作曲家、ピアノ教師。歌曲、合唱曲のほか数多くのピアノ小品を作曲した。

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典(旧版)内のビールの言及

【飲料工業】より

…飲料はアルコール飲料と非アルコール飲料に大きく分類され,これらの製造業を飲料工業という。アルコール飲料すなわち類は清酒ビールウィスキーブドウ酒などがおもなもので,非アルコール飲料には炭酸飲料,果実飲料,濃厚乳酸飲料などの清涼飲料のほか,コーヒー紅茶緑茶などが含まれ,その裾野は広い。
[アルコール飲料]
 日本の酒税法では,アルコール分1度以上の飲料を酒類と定め,清酒,合成清酒,焼酎(しようちゆう),みりん,ビール,果実酒類,ウィスキー類,スピリッツ類,リキュール類,雑酒の10種類に分けている。…

【酒】より

… 日本の酒税法では,酒は〈アルコール分1度(容量比で1%)以上の飲料〉と定義され,液体に限らず糖類でアルコールなどの分子をくるんだ粉末状のものも酒とみなされるが,みそ,しょうゆのようにアルコールを1%以上含むものであっても嗜好(しこう)飲料として供しえないものは酒から除外されている。
【酒の種類】
 酒は,製造法のうえから醸造酒,蒸留酒,混成酒の3種に分類されるが,日本の酒税法では清酒,合成清酒,焼酎,みりん,ビール,果実酒類,ウィスキー類,スピリッツ類,リキュール類,雑酒の10種類に分類される。なお酒税法上の種類名を製品に表示することが義務付けられている。…

【酒造業】より

…酒造法(1953公布)で決められている酒類(アルコール分を1%以上含む飲料および溶かした場合アルコール1%以上となる粉末)を製造する産業。 1995年度の酒類の出荷量(課税移出量)をみると,清酒130万kl,焼酎(しようちゆう)68万kl,ビール698万kl,ウィスキーおよびブランデー18万kl,果実酒類17万kl,その他合成清酒,みりん,リキュールなどで,総出荷量は1000万klとなっている。 現在の産業構造の特徴としては,ビール,ウィスキーといった明治以降に日本で本格的に製造されるようになった洋酒類は,少数の大企業によって近代的な大工場で生産・販売がなされ,寡占化が進んでいるが,清酒,焼酎(とくに乙類)など江戸期以前からある酒類については,大企業もあるが多くは多数の小企業によって製造されていることである。…

【ジョッキ】より

…ビールなどを飲むための取っ手のついた容器。ガラス,陶磁器,銀,ピューター(スズを鉛の合金)などでつくられ,0.3~1lくらいの容量のもの。…

【中国酒】より

…(2)黄酒 中国では穀類を原料とする醸造酒を総称して黄酒という。ただし,ビールは除外される。華北,東北では主としてキビ米(もちアワ)を用いているが,南部地域ではもち米を主とし,うるち米も少量使われている。…

【ミュンヘン】より

…上流地方の木材,木炭,石灰,石材や南チロルのブドウ酒を運ぶいかだも,ミュンヘンの河岸に逗留(とうりゆう)して3日間市民に積荷を開くべきものとされた。市の商人は,ベネチア,フランドル,またボヘミアにいたる香料,毛織物,絹などの遠隔地取引でも活躍したが,〈領邦都市〉ミュンヘンの重要な基盤を形成したのは,むしろ,上バイエルン一帯の村々からもたらされる穀物や家畜の市であり,また農民や市民の需要に応えるさまざまな手工業であった(14世紀半ばにはビール醸造所もすでに21を数えた。人口は1381年で約1万1000)。…

※「ビール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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