アメリカの経済学者。ニューヨーク市生まれ。1932年ラトガース大学を卒業、1933年シカゴ大学で修士号を、1946年コロンビア大学で博士号を取得。全米経済研究所研究員、財務省租税調査局主任研究員、ウィスコンシン大学客員教授、コロンビア大学統計調査グループ次長などを経て、1946年シカゴ大学準教授。1948年教授となり、1976年までその職にあってシカゴ学派の拡充に努めた。その後シカゴ大学名誉教授となるとともに、スタンフォード大学フーバー研究所主任研究員として活躍した。
マネタリストとして有名なフリードマンの博士論文は、のちに「人的資本論」として知られることとなった分野に属していた。また、貨幣論を専攻し始める前に、数多くの優れた論文を発表し、1951年にはアメリカ経済学会のJ・B・クラーク賞を授与され、これらの論文集は『実証経済学論文集』Essays in Positive Economics(邦訳書名『実証的経済学の方法と展開』)の名のもとに1953年に刊行された。「恒常所得仮説」や「適応期待効果」などの斬新(ざんしん)な理論で著名になったのは、1957年に刊行した『消費関数理論』A Theory of the Consumption Function(邦訳書名『消費の経済理論』)であった。フリードマンが貨幣論へとしだいに集中するようになったのは、1946年に彼がシカゴ大学で教鞭(きょうべん)をとるようになって以来、担当させられたのが「価格理論」に加えて「貨幣論」だったからである。その最初の成果は、彼の弟子たちの論文集として『貨幣数量説論集』Studies in the Quantity Theory of Moneyという題のもとに1956年に出版された。フリードマン自身の大著『アメリカ合衆国貨幣史 1867―1960年』A Monetary History of the United States, 1867‐1960は、A・シュウォーツAnna Jacobson Schwartz(1915―2012)を助手として1963年に完成、さらにその続編がのちに3冊刊行された。これらの書を通じて、とりわけ「通貨は重要でないとしたケインズ派経済学」を完全に論破した。彼の貨幣理論に関する書としては『貨幣の最適量その他の論文集』The Optimum Quantity of Money and Other Essays(1969)がもっとも重要だと思われるが、関連業績の冊数はきわめて多い。「フィリップス曲線論」を批判し、「自然失業率論」を樹立したのも彼である。「一方においては論理の飽くなき貫徹を、他方においてはあくまでも事実そのものに即して」という、フリードマンの実証経済学主義はきわめて徹底しているが、自由主義経済学者としての彼の貢献も実に偉大である。ことにこの側面では『資本主義と自由』Capitalism and Freedom(1962)と、『選択の自由』Free to Choose(1980)がもっとも重要であり、「小さな政府」とか「草の根減税運動」とか、財やサービスに限らず金融面での急速で広範な自由化が、とくに1980年代に入って先進諸国で盛んに行われることとなる一大知的源泉は、フリードマンこそが準備したのであった。多くの賞や名誉学位を受けたが、とくに1976年にはノーベル経済学賞を、1986年(昭和61)には日本から勲一等瑞宝(ずいほう)章を授与された。
[西山千明 2019年2月18日]
『宮川公男・今井賢一訳『消費の経済理論』(1961・巌松堂出版)』▽『フリードマン著、内田忠夫他訳『価格理論』(1972・好学社)』▽『熊谷尚夫他訳『資本主義と自由』(1975・マグロウヒル好学社)』▽『佐藤隆三・長谷川啓之訳『実証的経済学の方法と展開』(1977・富士書房)』▽『西山千明訳『選択の自由』(1980・日本経済新聞社/講談社文庫・日経ビジネス人文庫)』▽『ミルトン・フリードマン著、土屋政雄訳『政府からの自由』(1984・中央公論社/中公文庫)』▽『ミルトン・フリードマン著、斎藤精一郎訳『貨幣の悪戯』(1993・三田出版会)』▽『西山千明編著『フリードマンの思想』(1979・東京新聞出版局)』
アメリカの小説家、劇作家。ニューヨーク市ブロンクス出身のユダヤ系。ミズーリ大学でジャーナリズムの学士号を取得、2年間空軍に勤務したあと、男性誌の編集に従事した。小説『スターン』(1962)で、郊外の中産階級を夢みる平凡なユダヤ人が、不条理な現代アメリカ社会に翻弄(ほんろう)される姿をペーソスとユーモアを交えて描き、ブラック・ユーモアの旗手として知られた。自ら序文を付した編著に『ブラック・ユーモア』(1965)がある。1960年代を代表する作家の一人として、『スターン』のほか、『お母さんのキス』(1964)、『刑事(でか)』(1970)などは日本でも翻訳された。また、戯曲『スクーバ・ドゥーバ』(1967)はブロードウェーで成功を収めた。70年代には映画台本の執筆に転じ、共同執筆のコメディ『スプラッシュ』(1984)はアカデミー賞の脚本賞にノミネートされている。『ハリー・タウンズについて』(1974)、『トウキョウの災い』(1985)、『現代の風潮』(1989)、『お父さんのキス』(1996)などの小説も書いているが、1953年から1995年にわたって書かれた独特の黒いユーモアに富む短編は『ブルース・ジェイ・フリードマン短編集』(1995)に集められ、改めて注目された。ほかにジャーナリストとして『プレイボーイ』、『エスクワイア』などの雑誌に寄稿したノンフィクションの文章があり、また皮肉なユーモアの持ち味をいかんなく発揮したエッセイは、『淋(さび)しい男の人生読本』(1978)、『いささか年老いた男』(1995)にまとめられている。
[北山克彦]
『沼沢洽治ほか訳『今日の英米演劇 第5』(1968・白水社)』▽『朝倉久志ほか訳『ブラック・ユーモア選集 第6巻外国篇 短篇集』(1970・早川書房)』▽『朝倉久志訳『世界の短篇 黒い天使たち』(1972・早川書房)』▽『沼沢洽治訳『世界の文学 刑事(でか)』(1979・白水社)』▽『沼沢洽治訳『スターン氏のはかない抵抗』(1984・白水社)』▽『沼沢洽治、佐伯泰樹編『笑いの新大陸――アメリカ・ユーモア文学傑作選』(1991・白水社)』
アメリカの実験物理学者。シカゴ生まれ。著名な素粒子物理学者E・フェルミにあこがれてシカゴ大学に進学し、1953年に修士号、1956年に博士号を取得。1957年からはスタンフォード線形加速器研究所(SLAC:Stanford Linear Accelerator Center)で電子散乱の研究を始め、そこでH・ケンドルやR・テーラーと知り合う。1960年にはマサチューセッツ工科大学(MIT)に移籍。翌1961年にはケンドルもMITに移り、1963年からは、SLACのテーラーとともに共同研究を開始。1967年から1975年ころにかけてSLACの線形加速器を使って行った実験が、ノーベル賞の受賞につながった。
この実験では電子を光速に近い速度まで加速して重水素などの標的に衝突させ、そのとき電子が跳ね返る「非弾性散乱」とよばれる現象を測定。陽子や中性子が、さらに細かい粒子である「クォーク」で構成されていることを、初めて実験で確かめた。陽子や中性子がクォークというより小さな粒子でできているとする「クォーク模型」を実験で確認した業績で、ケンドル、テーラーと1990年のノーベル物理学賞を共同受賞した。
[馬場錬成]
ロシアの数学者、宇宙物理学者、気象学者。サンクトペテルブルグで生まれ、1906年から1910年までサンクトペテルブルグ大学で数学を専攻したが、卒業後、パブロフ気象研究所で気象学を学んだ。1914年数学の修士号を取得。第一次世界大戦に技術兵として従軍した。1918年から1920年にはペルミ大学の数学・物理学部門の教授を務め、機械学研究所を設立したが、1920年に科学アカデミーで研究するためにサンクトペテルブルグに戻り、1925年早逝した。
フリードマンの宇宙物理における最大の貢献は一般相対性理論におけるフリードマン解を発見したことである。アインシュタインは一般相対性理論の静的な(定常的な)解を求めたが、フリードマンは宇宙の平均密度と半径が時間的に変化する(膨張もしくは収縮)解を求めた。これはフリードマンモデルとよばれ、1929年に、ハッブルにより、観測的に宇宙膨張論が確認された。
[編集部 2023年6月19日]
フランスの社会学者。フランスにおける労働社会学の創設者。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)卒業。パリ大学教授などを歴任。アメリカで発達した人間関係論を基礎にした産業社会学とは別な視角から人間労働の諸問題に切り込み、その業績は広く国際的に知られ、国際社会学会の会長も務めた。彼の主要なテーマは、産業社会のなかで進行する機械化、自動化や分業の深化との関連で人間労働の運命と可能性を追求することに置かれ、労働現場の具体的事実に即した現実的考察とともに、ヒューマニズムの立場にたつ文明批評が展開された。労働論だけでなく、のちには都市と農村の問題にも着手し、さらに晩年には余暇研究に精力を注いだ。主著に『工業機械化の人間的問題』(1947)、『人間労働の未来』(1951)、『細分化された労働』(1955)などがある。
[石川晃弘]
『小関藤一郎訳『細分化された労働』(1973・川島書店)』
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アメリカの経済学者。保守的な考え方をもつ経済学者のなかで,最も代表的な一人として挙げられる。1932年ラトガース大学を卒業,33年シカゴ大学で修士,46年コロンビア大学より博士号を得た。48年から76年までシカゴ大学教授,のちスタンフォード大学フーバー研究所に移る。フリードマンは,経済活動の基礎には貨幣の働きがあり,とくに貨幣供給量の変化によって経済活動全体の動きが大きく左右されるという信念をもち,いわゆるマネタリズムの考え方を提唱した。また市場制度を通じて自由な経済活動が行われるとき,社会的にみて最も望ましい資源配分が実現されるという,古典派経済学の考え方に新しい時代の衣を着せての啓蒙的な面での活躍も著しい。代表的な著作には《消費関数の理論》(1957),《貨幣的安定を求めて》(1959)などがある。76年ノーベル経済学賞受賞。
執筆者:宇沢 弘文
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…これらの経済には,上述したような最大の総産出量の存在は必ずしも明らかでなくなる。 E.S.フェルプス,M.フリードマンらのマネタリスト(マネタリズム)と呼ばれる経済学者は,1960年代末,物価上昇と失業率との短期的なトレードオフを認めるとしても,長期的なトレードオフ関係についてはこれを否定している。失業率は長期的には物価水準の変化率がゼロまたは一定となる自然失業率の水準に落ち着き,長期フィリップス曲線は自然率で垂直になる。…
… ケインズ学派に特徴的なことは,政府がこうした総需要管理政策を積極的に行うことを主張することである。この点,新古典派経済学(現代ではM.フリードマンらのマネタリズムもこの系譜に属する)が経済の運営を民間部門,あるいは市場機構に任せるべきだとし,政府の介入を嫌うのときわめて対照的である。新古典派が信頼をよせる市場(価格)機構が必ずしもいつも完全に機能するとは限らず,経済は時として総需要の不足に陥ることになるから,そういうときには自由放任主義ではなく政府が積極的な総需要管理政策を行うべきだ,というのがケインズ派の基本的な立場である。…
…第2次大戦後,アメリカの消費需要の予測精度を高めるという目的とS.クズネッツの提起した貯蓄率変動の理論的解明という目的とから,いわゆる消費関数論争が展開された。その論争のなかでM.フリードマンは,恒常所得仮説permanent income hypothesisを提唱した。フリードマンは,実際に観測される所得measured incomeを恒常的所得部分permanent incomeと変動的所得部分transitory incomeに分けたうえで,貯蓄率の変動を前者の恒常所得に依存する長期的趨勢分と後者の変動所得に依存する短期的変動分とに分けて説明しようと試みる。…
…いずれもシカゴ大学がそれぞれの分野で,ある時期に世界的影響を与えたことから発生した用語である。経済学・社会思想の分野におけるこの学派は1940年代のF.A.ハイエクに代表され,ハイエクがシカゴを去ったのちには,マネタリズム(新貨幣数量説)の提唱者でもあるM.フリードマンがその代表的学者と考えられることが多い。ハイエクの思想はアダム・スミスの考えを現代的に深化・拡大したものであり,最もすぐれた現実的社会経済体制は民主主義のもとにおける市場経済であることを,一つの社会経済理論として確立した。…
…たとえば失業を減らすにはある程度のインフレの悪化はやむをえない,という当時(1960~70年代)の一般的考え方の根拠ともなった。しかし1960年代に新貨幣数量説(〈マネタリズム〉の項参照)をかかげたM.フリードマンやフェルプスEdmund Strother Phelps(1933‐ )によって,長期的に安定したフィリップス曲線は理論的には存在しえないことが指摘された。すなわち図のような曲線は,人々のインフレ率についての予想が変わらないときのみ(つまり短期にのみ)存在するので,インフレが進行して人々の予想が変化するときは曲線自体が無限に移動するため,図のような安定した関係は消滅するのである。…
…そうした貧困を緩和する政策として,一方で従来の選別的な救貧施策を充実しようとしたのに対して,他方では,むしろ普遍的な制度を活用して解決を図るべきだとする意見が高まった。そこから選別性対普遍性selectivity vs. universalityの論争が続くことになるが,その場合,経済学者M.フリードマンらは〈負の所得税〉という福祉外の普遍的な制度への依存を説き,社会福祉関係者は児童手当という普遍的な福祉制度の拡充を主張した。イギリスの場合,低経済成長が抜本的改正を許さなかったから,現実には選別的な公的扶助を普遍的な社会保険に一体化するという妥協的方策がとられてきた。…
…したがって価値保蔵手段としての通貨という場合にも,現金のみではなく,広義マネー・サプライをみるほうが適切である。
[マネタリズムとマネー・サプライ]
経済理論の分野でマネー・サプライが脚光をあびるようになったのは,M.フリードマンを中心とするマネタリズムの主張に負うところが大きい。フリードマンは,アメリカの50年以上にも及ぶ時系列データを調べた結果,マネー・サプライ残高で名目所得を除した比率(通貨の流通速度)のほうが,財政支出で所得を除した比率(所得乗数)よりも安定していることを示し,名目所得に対する効果はマネー・サプライのほうが財政支出よりも安定しているとし,マネー・サプライ・コントロールのほうが財政支出政策よりも有効性が高いと主張した。…
…ケインズ学派を批判して1960年代に台頭した学派で,その首唱者はM.フリードマンである。この学派の人々をマネタリストmonetaristと呼ぶ。…
※「フリードマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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