アメリカの有機化学者。イギリスのスコットランド・ベルズヒル生まれ。アメリカとイギリスの国籍をもつ。1991年グラスゴー大学化学科卒業後、渡米し、1996年カリフォルニア大学アーバイン校で博士号取得。同年からハーバード大学で博士研究員として務めた後、1998年カリフォルニア大学バークレー校で研究者として独立した。2000年にカリフォルニア工科大学に移り、2004年同大学教授、2006年からプリストン大学教授。2010年から2015年まで同大学化学部部長を務めた。
医薬品、化学製品などを合成する際に欠かせないのが、自らは構造を変えず、化学合成を促進する触媒である。化学物質のうち、右手と左手のように、鏡に映すと同じように見えても、面対称となり実像は重ならないような化合物は「鏡像異性体」とよばれ、どちらか一方は有益だが、他方は生体に有害になることが少なくない。たとえば1957年に開発された睡眠薬の「サリドマイド」は、右手型は催眠性があるが、左手型は胎児の催奇形性があり、障害をもった子供が多く生まれ「サリドマイド禍」として知られる。
この鏡像異性体のどちらか一方を選択的に合成することを「不斉合成」とよび、それに用いる触媒(不斉触媒)の研究は世界的に進められていた。こうした状況のなか、画期的な不斉触媒を開発したのがマクミランで、その成果を2000年1月に発表した。
もともと有機金属触媒の研究を進めていたマクミランは、カリフォルニア大学バークレー校に移ると、金属が含まれない有機不斉触媒の研究を本格化させた。1999年まで、不斉触媒は、生体内で作用する酵素と、金属錯体を用いた触媒(金属触媒)しかなかった。何百ものアミノ酸が連なる酵素は、生体内の化学合成にかかわり、生体分子をつくりだすが、人工的につくるのがむずかしかった。一方、金属触媒は人工的に製造しやすいが、湿気や酸素に弱く、産業化する際には大量の重金属を使うため、廃棄の段階で、重金属による環境汚染を起こすなど産業化の足かせになっていた。
マクミランは、金属触媒の金属部位が、電子を供給して反応を促進させることに着目。金属元素のかわりに、有機物の「イミニウムイオン」にその働きを担わせ、触媒の中の窒素が電子を供給して反応を促すよう設計した。この触媒を、炭素を環状につなげる「ディールス・アルダー反応」で試してみると、不斉合成を行うことができることを確認した。そして、この不斉触媒を「有機分子触媒organocatalysis」と命名。同様に触媒の中の窒素が電子を供給するような、他の有機分子を使った触媒でも、同様に不斉合成を少ない工程で行うことに成功した。
ほぼ同時期に、ドイツのマックス・プランク石炭研究所のベンジャミン・リストも金属原子を含まない不斉有機触媒を開発し、2000年2月に発表した。
二人の研究成果の発表以降、不斉有機触媒の研究は広がり、産業界でも化学製品、医薬品、農薬などの製造に幅広く使われるようになった。たとえば、抗インフルエンザ治療薬「タミフル」や、エイズ治療薬、抗うつ剤などの合成で、従来より格段に効率よく、少ない工程で製造されている。
2004年イギリス王立化学協会が贈るコーデイ・モーガン賞、2007年(平成19)有機合成化学分野で、新しい方法論を開拓した研究者を顕彰する向山(むかいやま)賞、アーサー・C・コープ・スカラー賞、2017年野依(のより)賞、2018年名古屋ゴールドメダル、2019年センテナリー賞(イギリス王立化学協会)を受賞。2021年、新たな有機化学合成に道を開き、「不斉有機触媒の開発」に貢献したとして、ベンジャミン・リストとともにノーベル化学賞を受賞した。
[玉村 治 2022年2月18日]
イギリスの総合出版社。1843年に書店から始まった。設立者はスコットランドのアラン島出身のダニエルとアレクサンダーのマクミラン兄弟。教科書、専門書の出版が主体であるが、T・ハーディ、J・R・キップリング、ルイス・キャロル、C・ディケンズといった作家たちの作品も出版し、一般書、児童書の分野でも活躍している。1869年に創刊された自然・科学雑誌『NATURE(ネイチャー)』が現在でも発行されているほか、グローブSir George Grove(1820―1900)の編集による世界的にも有名な『グローブ音楽辞典』(Grove Dictionary of Music and Musicians、全4巻、1878~90)は、その後もほぼ20年ごとに改訂版が出され、2001年以降はオンライン提供が開始されている。また、1899年に出版された『パルグレーブ政治経済辞典』(Palgrave's Dictionary of Political Economy)の改訂版が2001年現在も出版されている。
マクミラン社は歴史のある国際的な出版グループとして、日本を含めた世界70か国以上で活動を行う。1957年から63年までイギリスの首相を務めた、同社の経営者一家の出であるH・マクミランは、政界引退後マクミラン社会長を務め、同社を大きく発展させた。1990年代に入り、欧米各国で出版社の国際的な合併が進むなかで、マクミラン社は1995年にドイツのホルツブリンク・グループVerlagsgruppe George von Holtzbrinck GmbHに買収され、同グループの傘下企業となった。ホルツブリンク・グループは出版だけでなく、雑誌、新聞、放送を含めた総合マス・メディアのコングロマリット企業である。同系列の出版社には、アメリカのヘンリー・ホルトHenry Holt、セント・マーティンズ・プレスSt. Martin's Pressなどがある。ホルツブリンク・グループの一般書籍・教育出版部門の売上高は21億8000万マルク(1999年、グループ全体の売上げの約53%)。
[青木日出夫]
アメリカの物理学者。カリフォルニア州生まれ。カリフォルニア工科大学、プリンストン大学に学び、1932年学位を取得。1934年カリフォルニア大学放射線研究所員となり、1946年同大学物理学教授、1958年には放射線研究所部長。早くからE・O・ローレンスに協力してサイクロトロン開発に従事、1936年人工放射性のC‐14、ついで1940年エーベルソンとともに原子番号93番の超ウラン元素ネプツニウムを発見した。第二次世界大戦中は軍事研究に携わったが、1945年シンクロトロンの原理を発見してその製作にあたった。また人工中間子の創製にも成功した。超ウラン元素の発見により、1951年シーボーグとともにノーベル化学賞を受賞した。
[藤村 淳]
イギリスの政治家。マクミラン出版社の経営者の家に生まれる。オックスフォード大学を卒業後、第一次世界大戦に従軍。1924年保守党下院議員になった。1930年代には、保守党の若手進歩派の代表的人物として経済計画の必要性を唱え、ドイツやイタリアに対する宥和(ゆうわ)政策に批判的態度をとった。第二次世界大戦中は、供給省政務次官や航空相を務めた。1951年チャーチル内閣の住宅相に就任、住宅建設に功績をあげ、ついで国防相、イーデン内閣の外相、財務相を歴任した。スエズ戦争直後、首相の座につき(1957年1月)、スエズ戦争によって低下したイギリスの威信を回復するべく、対米関係の改善を図りながら東西間の緊張緩和外交を展開した。一方、経済の拡大にも努めたが十分に成功せず、1961年ヨーロッパ経済共同体(EEC)への加入を申請した。しかし1963年それが拒絶され、政府の力は著しく低下、同年10月に首相を辞任した。
[木畑洋一]
イギリスのバレエ振付者。スコットランドのダンファームリンに生まれる。サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校を卒業してダンサーとして活躍、やがて振付者に転じた。1965年ロイヤル・バレエ団の座付振付師、66年旧西ドイツのベルリン・オペラ・バレエ団の芸術監督となった。70~77年ロイヤル・バレエ団のディレクターを務め、その後首席振付師の地位にあった。代表作に『大地の歌』『マノン』『うたかたの恋』『影の谷』『妖精(ようせい)の接吻(せっぷん)』など。重厚な長編バレエが多い。
[市川 雅]
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アメリカの核物理学者.カリフォルニア工科大学を経て,プリンストン大学で学位を取得.1935年カリフォルニア大学バークレー校に就職,同校の放射線研究所にも在籍し,のちに所長となった.ウランより重い元素の有無が注目されるなか,かれは中性子をウランに照射し,β放射体を二つ確認した.P. Abelsonの協力を得て,二つのうち,一方がウランの同位体で,他方がその娘元素,両者が似た化学的性質を有することを見いだした.後者がウランより重い93番元素であり,ネプツニウムと命名された(1940年).この元素もβ崩壊することから,94番元素探求がはじまり,G.T. Seaborg(シーボーグ)らとのプルトニウム共同発見へつながった.この業績に対し,1951年Seaborgとともにノーベル化学賞を受賞.1942~1945年の間,ロス・アラモス研究所で,原爆製造に参加し,戦後はシンクロサイクロトロンの原理を発見している.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
イギリスの舞踊家,振付師。サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校を経て,ダンサーとして活躍するが,1953年《夢遊病者》で振付師に転じ,以後数多くの作品をつくった。70-71年のシーズン開幕にアシュトンの後任としてローヤル・バレエ団の芸術監督に就任。71年《アナスタシア》で劇的なものを導入,さらに74年に3幕の《マノン》をつくり,A.F.プレボーの小説のバレエ化に成功した。77年芸術監督を辞し,以後ローヤル・バレエ団の首席振付師の地位にある。最近作に《イサドラ》(1981),《オルフェ》(1982)がある。
執筆者:桜井 勤
イギリスの保守党政治家。父のマクミラン出版会社の経営から転進,1924年下院に入り,チャーチル,イーデン両内閣のもとに51年住宅・地方行政相,54年国防相,55年外相,同年蔵相を歴任。57年首相となる。対米関係の強化,東西の緊張緩和,ポンド危機の解消に努め,59年の総選挙に大勝したが,EEC加盟交渉に行き詰まり,63年辞職。著書に《中道》(1938),《回顧録》(1966-73)がある。
執筆者:池田 清
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1894~1986
イギリスの政治家。オクスフォード大学卒。1924年以来保守党議員。イーデン内閣の蔵相をへて,57年保守党党首,首相(在任1957~63)となる。63年ヨーロッパ経済共同体(EEC)への加盟申請をド・ゴールによって拒否され,プロヒューモ事件ののちの総選挙を目前に,病気退陣。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
… ことに,集中が世界的規模で現れている典型的な例は,出版多国籍企業の活躍である。マグローヒル(中核はMcGraw‐Hill,Inc.,アメリカ,1925年創業),ワイリー(中核はJohn Wiley & Sons,Inc.,アメリカ,1807年創業),シュプリンガー(中核はSpringer‐Verlag,ドイツ,1842年創業),エルゼビア(中核はElsevier,オランダ,1880年創業),マクミラン(中核はMacmilan,Inc.,アメリカ,1920年創業),オックスフォード大学出版局(中核はOxford University Press,イギリス,1478年設立)など,全世界的に支店網を張りめぐらす積極的な活躍は,とくに学術情報や教育出版の面で著しいが,世界の新情報秩序を求める声(新世界情報コミュニケーション秩序)がしだいに高まっている今日,これら多国籍出版企業の動向は,後に述べる発展途上国の出版開発ともからんで注目される。
[物流,返品]
1960年以来の高度経済成長,高等教育の爆発的拡大によって,年間約50億冊の書籍・雑誌を扱うことになった日本の出版流通にとって,物流が大問題となった。…
…イギリスの保守党政治家。父のマクミラン出版会社の経営から転進,1924年下院に入り,チャーチル,イーデン両内閣のもとに51年住宅・地方行政相,54年国防相,55年外相,同年蔵相を歴任。57年首相となる。…
…この自転車はほとんどの部分は木製で,単純な足けり式であったが,人間よりも速いことを立証したので,イギリスにも渡って流行した。ペダル式の最初の自転車は,39年にスコットランドのマクミランKirkpatrick Macmillanによって発明されたが,これはロッドとクランクによる後輪駆動であった。61年ころフランスのミショーPierre Michauxらはペダル式でクランクが前輪に直接固定されている自転車を発明した。…
※「マクミラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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