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ヨハネス4世 ヨハネスよんせいJohannes IV Lascaris

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヨハネス4世
ヨハネスよんせい
Johannes IV Lascaris

[生]1250
[没]1261?
ニカイア帝国皇帝 (在位 1258~61) 。ヨハンネス (ヨアンネス) 4世とも呼ばれる。テオドルス2世の息子で,父帝の死後,8歳で登位した幼児皇帝。摂政に父帝の信頼の厚かったムザロンを任命したが,彼はその9日後ミカエル (のちのビザンチン皇帝ミカエル8世 ) に暗殺され,ミカエル自身が摂政となり,副帝を称して (58) ,実権を掌握。 1261年ラテン帝国の首都コンスタンチノープル奪回後,ミカエル8世により両眼をえぐられ,ビトニアに流されて没した。

ヨハネス4世
ヨハネスよんせい
Johannes IV

[生]?. ダルマチア
[没]642.10.12. ローマ
ダルマチア出身の第72代教皇(在位 640~642)。ローマで助祭長(→助祭)を務め,640年12月に教皇セウェリヌス(在位 640.5.~8.)の後継者として教皇に選出された。バルカン半島を侵略したスラブ人に捕われたキリスト教徒の救出のため,使者を派遣した。アイルランドケルト人が習慣としている復活祭の日程には否定的であった。また,キリストの人格と神格は不可分であり,父なる神の意志と子の意志には相違はないと説いたホノリウス1世(在位 625~638)の主張を擁護したが,641年に宗教会議を招集し,セウェリヌスの意志を継いで,7世紀に興ったキリスト単意説を糾弾した。

ヨハネス4世
ヨハネスよんせい
Yohannes IV

[生]1831
[没]1889.3.10. スーダン,メテマ
エチオピア皇帝(在位 1872~89)。即位前の名は Kassa。ジオン4世ともいう。進取の精神をもつ強力な統治者だったが,エジプト,イタリア,およびスーダンのマフディー派の軍事的脅威への対応に追われた。テオドロス2世の死から 4年後の 1872年1月,武器装備でまさることを強みにエチオピア皇帝の座をかちとった。ショアの王メネリク2世とは対立した。国内では諸侯の勢力をそぐことに腐心し,国民を強制的にエチオピア正教会へ改宗させることで支配力の強化をはかろうとしたが,イスラム教徒の反発を招いた。1870年代半ば,エジプトの総督イスマーイール・パシャがエチオピア国内へと迫ったが,1875,1876年に北部の山岳地帯で迎え撃って勝利を収めた。1885年にはイタリアが紅海に面する港湾都市ミツィワ(→マッサワ)を占領し,内陸部のティグライ地方へ向かって侵攻したが,1887年これを撃退した。同 1887年,スーダンで台頭したイスラム復興運動のマフディー派がエチオピアに侵攻し,旧都ゴンダルを壊滅状態にした。報復としてスーダンの金鉱と奴隷を目当てに,またナイル川の利用も視野に入れてスーダンへ侵攻したが,1889年3月にメテマの戦いで戦死した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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