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ルノアール ルノアール Lenoir, (Jean-Joseph-) Étienne

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルノアール
ルノアール
Lenoir, (Jean-Joseph-) Étienne

[生]1822.1.12. ミュシーラビル
[没]1900.8.4. ラバレンヌサンイレーヌ
ベルギー系のフランスの技術者。 1860年,無圧縮・電気点火方式の内燃機関の製作に成功。この機関は熱効率は低かったが,運転が円滑で評判がよく,揚水や印刷などに,広く用いられた。 62年にはこの機関を用いて自動車をつくったが,10km走るのに2~3時間かかった。

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ルノアール
ルノアール
Renoir, Jean

[生]1894.9.15. フランス,パリ
[没]1979.2.12. アメリカ合衆国カリフォルニアロサンゼルス
フランスの映画監督。画家ピエール・オーギュスト・ルノアールの息子。1924年映画界に入り,同年『水の娘』La Fille de l'eauで監督を務めた。以後『女優ナナ』Nana(1926),『トニ』Toni(1934)などで地位を確立,『ランジュ氏の犯罪』Le Crime de M. Lange(1936),『人生はわれらのもの』La Vie est à nous(1936),『どん底』Les Bas-fonds(1936),『大いなる幻影』La Grande Illusion(1937),『ゲームの規則』La Règle du jeu(1939)を発表し,アメリカ合衆国で『南部の人』The Southerner(1945),インドで『河』The River(1951),イタリアで『黄金の馬車』Le Carrosse d'or(1952),フランスに戻り『草の上の昼食』Le Déjeuner sur l'herbe(1959)などを撮った。

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ルノアール
ルノアール
Renoir, Pierre Auguste

[生]1841.2.25. リモージュ
[没]1919.12.17. カーニュ
フランスの画家。仕立屋の子として生まれ,4歳のとき一家とともにパリに移り,セーブル製陶工場で徒弟として働いた。1862年シャルル・グレールのアトリエに入り,そこでクロードモネアルフレッドシスレーらと交遊。

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デジタル大辞泉の解説

ルノアール(Renoir)

ルノワール

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百科事典マイペディアの解説

ルノアール

ルクセンブルク生れのフランスの機械技術者。1838年パリに出て種々の職業に従いつつ独学。1860年ごろ無圧縮・電気点火方式の実用ガス機関を完成。電気制動機,量水器などの発明もある。
→関連項目ガス機関

ルノアール

フランスの映画監督。画家A.ルノアールの次男。前衛映画を経て,トーキー初期《どん底》(1936年),反戦映画大いなる幻影》(1937年)で人道主義リアリズムを樹立。
→関連項目アルドリッチギャバンシュトロハイムビスコンティベッケルリベット

ルノアール

フランスの画家。リモージュ生れ。若くしてモネマネを知り印象派運動に参加。この時代の代表作に《ムーラン・ド・ラ・ガレット》(1876年,オルセー美術館蔵)や《舟遊びの人々の昼食》(1880年―1881年,ワシントンフィリップスコレクション)などがある。
→関連項目青山熊治印象主義オダリスクオルセー美術館中村彝ピサロ山下新太郎

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世界大百科事典 第2版の解説

ルノアール【Jean Renoir】

1894‐1979
フランスの映画監督。画家ピエール・オーギュスト・ルノアールの次男としてパリのモンマルトル生まれる。俳優のピエール・ルノアールPierre R.(1885‐1952)は兄,プロデューサーのクロード・ルノアールClaude R.(1901‐ )は弟,そして撮影監督(カメラマン)のクロード・ルノアール(1914‐ )は甥(兄ピエールの長男)という映画一家。父の絵のモデルをやっていたカトリーヌ・エスランと結婚,彼女を女優にするために映画をつくりはじめ,〈映画的トリック〉に興じた一種のアバンギャルド映画(《水の娘》1924)からエーリッヒ・フォンシュトロハイム監督の《愚なる妻》(1921)の〈自然主義リアリズム〉に強烈に影響された《女優ナナ》(1926)に至るサイレント作品で注目され,トーキー時代に入るや,《牝犬》(1931)から《どん底》(1936)をへて《ゲームの規則》(1939)に至る数々の映画史上に残る名作をつくり,映画史家ジョルジュ・サドゥールによって〈詩的リアリズムréalisme poétique〉と名づけられた戦前のフランス映画を代表する巨匠の一人となった。

ルノアール【Pierre‐Auguste Renoir】

1841‐1919
フランス印象派の画家。リモージュに仕立屋の息子として生まれる。一家はまもなくパリに出,13歳のときから陶器の絵付師としての修業をし,のちに家具や扇子にロココ風の装飾をして生計を立てる。21歳のとき,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)の生徒となり,グレールM.G.C.Gleyreのアトリエに入り,バジール,モネ,シスレーらと親交を結ぶ。1863年ころフォンテンブローの森で戸外制作を試み,そこで会ったディアズN.Diaz de la Peñaの影響もあって,色彩は明るさを増す。

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大辞林 第三版の解説

ルノアール【Renoir】

〔ルノワールとも〕
〔Jean R.〕 (1894~1979) フランスの映画監督。の次男。無声前衛映画から出発、トーキー「ピクニック」「どん底」「大いなる幻影」「ゲームの規則」「南部の人」「草の上の昼食」などに奥行き深い写実を展開した。
〔Pierre-Auguste R.〕 (1841~1919) フランスの画家。甘美な色彩表現で、量感・生命感の躍動した女体美を創造し、多くの傑作を残した。印象派の一人。

出典|三省堂
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世界大百科事典内のルノアールの言及

【大いなる幻影】より

…1937年製作。ジャン・ルノアール監督の《どん底》(1936)に続く作品。ジャン・ギャバン,ピエール・フレネー,エリッヒ・フォン・シュトロハイム出演。…

【カバルカンティ】より

…ブレヒトが自分の戯曲(およびシナリオ)の映画化で唯一気に入っていた作品だったという。フランス時代はジャン・ルノアールと親交を結び,初期の短編《可愛いリリー》(1928),《赤ずきんちゃん》(1929)にはルノアールと女優のカトリーヌ・エスラン夫妻が出演している。ルノアールがカトリーヌ・エスランと別れたあと再婚したディド夫人はカバルカンティの姪(めい)である。…

【ビスコンティ】より

…幼児から完ぺきな貴族教育を受け,父親の影響で早くから演劇,オペラに興味をもつが,長じては家出を数回も繰り返したほどの反逆精神の持主であったため,反動的に新しい芸術である映画にのめりこんでいった。30歳のとき,服飾デザイナーのココ・シャネルの紹介でフランスの映画監督ジャン・ルノアールの助監督となり,多くのフランスの映画人と知り合い,彼らを通じて人民戦線にもかかわりをもった。そんなことから,のちに〈赤い公爵〉と呼ばれるようになる。…

【印象主義】より

…(3)主題 主題の選択においては,一世代前の写実主義の画家たちが宗教画,神話画,歴史画に背を向けたのを受けて,彼らは特に同時代の風俗や,肖像,静物といった市民的なジャンル,身辺のありふれた風景などをその主題として取り上げた。
[グループ展]
 印象派のグループとなる画家たちが知り合ったのは,1863年ころグレールCharles Gleyre(1806‐74)のアトリエ(モネ,シスレー,ルノアール,バジール)であり,それにアカデミー・シュイスAcadémie Suisseでかねてからモネと知り合っていたピサロ,セザンヌが合流した。ピサロを通じてモリゾも参加し,彼らはマネやバジールのアトリエ,またブラッスリー・デ・マルティール,ゲルボア,ヌーベル・アテーヌといったカフェで出会い,批評家たちとも親交を結び,戸外に制作に出かけるなど,しだいにグループを形成していった。…

【梅原竜三郎】より

…08年田中喜作とともに渡仏。はじめアカデミー・ジュリアンに入学したが,翌09年南仏カーニュのアトリエにルノアールを訪れ,以後その指導を受けた。その成果は《黄金の首飾り》(1913)などの作品にみられる。…

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