ルノアール(その他表記)Jean Renoir

デジタル大辞泉 「ルノアール」の意味・読み・例文・類語

ルノアール(Renoir)

ルノワール

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改訂新版 世界大百科事典 「ルノアール」の意味・わかりやすい解説

ルノアール
Jean Renoir
生没年:1894-1979

フランスの映画監督。画家ピエール・オーギュスト・ルノアールの次男としてパリのモンマルトルに生まれる。俳優のピエール・ルノアールPierre R.(1885-1952)は兄,プロデューサーのクロード・ルノアールClaude R.(1901-69)は弟,そして撮影監督(カメラマン)のクロード・ルノアール(1914-93)は甥(兄ピエールの長男)という映画一家。父の絵のモデルをやっていたカトリーヌ・エスランと結婚,彼女を女優にするために映画をつくりはじめ,〈映画的トリック〉に興じた一種のアバンギャルド映画(《水の娘》1924)からエーリッヒ・フォンシュトロハイム監督の《愚なる妻》(1921)の〈自然主義リアリズム〉に強烈に影響された《女優ナナ》(1926)に至るサイレント作品で注目され,トーキー時代に入るや,《牝犬》(1931)から《どん底》(1936)をへて《ゲームの規則》(1939)に至る数々の映画史上に残る名作をつくり,映画史家ジョルジュ・サドゥールによって〈詩的リアリズムréalisme poétique〉と名づけられた戦前のフランス映画を代表する巨匠の一人となった。また,マルセル・カルネ,ジュリアン・デュビビエ,ジャック・フェデル(もしくはルネ・クレール)とともにフランス映画の〈戦前の四巨匠〉とよばれることもある。

 そのリアリズムの作風(とくにマルセル・パニョル製作の《トニ》1934)によって戦後イタリアの〈ネオレアリズモ〉の先駆者とみなされるとともに,自主製作(カトリーヌ・エスラン主演の一連のサイレント作品)や即興演出(《素晴しき放浪者》1932,《ピクニック》1936,等々)によってフランスの〈ヌーベル・バーグの父〉ともみなされる。代表作として世界的にもっともよく知られた《大いなる幻影》(1937)は反戦映画の名作であると同時に,フランスの人民戦線の思想的決算を行った歴史的な映画としても知られる。

 第2次世界大戦中は,アルベルト・カバルカンティ監督の姪のディド・フレールと再婚して,アメリカに亡命。ハリウッドで《南部の人》(1945),《小間使の日記》《浜辺の女》(ともに1946)などを撮り,またハリウッドの花屋が製作資金を出してつくられたインド・ロケの《河》(1950)をへて,ヨーロッパに戻り,イタリアで《黄金の馬車》(1952)を撮ったあと,15年ぶりにフランス映画に復帰した。《フレンチ・カンカン》(1954),《恋多き女》(1955),《草の上の昼食》(1959)という,おおらかで豊かな人間味あふれるロマンチック・コメディ(ルノアールはみずからこの3作品をハリウッドの伝統的なジャンルに則った〈スクリューボール・コメディ〉とよんでいる)をつくった。晩年は〈映画の都〉ハリウッドですごし,ハリウッドで死んだ。《自伝》(1974)のほかに,オーギュスト・ルノアールを回想した《わが父ルノアール》(1958),戯曲(とくにレスリー・キャロンのために書いた《オルヴェ》は,1955年にパリの舞台でみずから演出もした),小説,シナリオ,エッセー集も出版している。
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ルノアール
Pierre-Auguste Renoir
生没年:1841-1919

フランス印象派の画家。リモージュに仕立屋の息子として生まれる。一家はまもなくパリに出,13歳のときから陶器の絵付師としての修業をし,のちに家具や扇子にロココ風の装飾をして生計を立てる。21歳のとき,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)の生徒となり,グレールM.G.C.Gleyreのアトリエに入り,バジール,モネ,シスレーらと親交を結ぶ。1863年ころフォンテンブローの森で戸外制作を試み,そこで会ったディアズN.Díaz de la Peñaの影響もあって,色彩は明るさを増す。友人たち,とくによくいっしょに制作したモネが風景画に強い関心を示したのに対し,ルノアールは戸外人物にひかれる。64年のサロン(官展)初入選作《踊るエスメラルダと山羊》(自身の手で破棄),《狩猟のディアナ》(1867)は物語性が強く,人工的な不自然さを残すが,68年にサロンに出品した《日傘の女》では,戸外に立つ白い服の女性に当たる光と影の効果を,きわめて自然なままに追求して新しい一歩を開いた。このようにして74年の第1回印象派展を迎えたルノアールは,光あふれる戸外での幸福そうな人々の集いを描きつづけ,ドガと並んで印象派における人物画家として,1,2,3,7回目の印象派展に出品した(《船遊びの人々の昼食》1880-81など)。81年のアルジェリア旅行のあと,イタリアに旅立ち,ラファエロの作品に強い感銘を受ける。それはちょうど彼が,感覚を通して移ろいやすい視覚的効果を描き留めようとする印象派のやり方に疑問を持ちはじめ,より堅固で永続的なものを表そうとしていた時期であった。彼の様式は,輪郭線と冷たい色調で特徴づけられる〈酸っぱい様式Manière aigre〉に変わっていく。しかし88年,この様式に行き詰りを感じたルノアールは,再び輪郭線のない,あふれるような豊かさを示す色彩の開花へ,すなわち〈真珠色の時代Période nacrée〉へと移行していく。1903年,地中海岸のイタリアとの国境に近いカーニュ・シュル・メールCagnes-sur-Merにコレット荘を買い取り,持病のリウマチに苦しめられながらも,裸婦や肖像画の制作を続け,意欲は衰えることを知らなかった。親しみやすい小作品がほとんどであったが,《水浴の女たち》(1918ころ)のような大画面に,晩年の裸婦研究の成果を結実させた。
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百科事典マイペディア 「ルノアール」の意味・わかりやすい解説

ルノアール

フランスの画家。リモージュ生れ。若くしてモネマネを知り印象派運動に参加。この時代の代表作に《ムーラン・ド・ラ・ガレット》(1876年,オルセー美術館蔵)や《舟遊びの人々の昼食》(1880年―1881年,ワシントン,フィリップス・コレクション)などがある。1880年代一時アングルに傾倒したが,その後,豊かな色彩で裸婦や風景を描いた。代表作には他に《ぶらんこ》(1876年,オルセー美術館蔵),《大水浴》(1887年,フィラデルフィア美術館蔵),《ピアノに向う娘たち》(1892年,オルセー美術館蔵)などがある。次男ジャン・ルノアールは映画監督。また梅原竜三郎は弟子にあたる。
→関連項目青山熊治印象主義オダリスクオルセー美術館中村彝ピサロ山下新太郎

ルノアール

フランスの映画監督。画家A.ルノアールの次男。前衛映画を経て,トーキー初期《どん底》(1936年),反戦映画《大いなる幻影》(1937年)で人道主義的リアリズムを樹立。以後も《ゲームの規則》(1939年),《河》(1951年)等多くの傑作を作った。リアリズム,自主製作,即興演出などの点でネオレアリズモヌーベル・バーグの先駆者とされる。甥(おい)のClaude Renoirは映画カメラマン。
→関連項目アルドリッチギャバンシュトロハイムビスコンティベッケルリベット

ルノアール

ルクセンブルク生れのフランスの機械技術者。1838年パリに出て種々の職業に従いつつ独学。1860年ごろ無圧縮・電気点火方式の実用ガス機関を完成。電気制動機,量水器などの発明もある。1870年フランスに帰化。
→関連項目ガス機関

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルノアール」の意味・わかりやすい解説

ルノアール
Renoir, Pierre-Auguste

[生]1841.2.25. リモージュ
[没]1919.12.3. カーニュ
フランスの画家。フランス印象派(→印象主義)の代表的画家。仕立屋の家に生まれ,4歳のとき一家でパリに移り,セーブル製陶工場で徒弟として働いた。1862年シャルル・グレールのアトリエに入り,そこでクロード・モネ,アルフレッド・シスレーらと交遊。1864,1865年サロンに出品。その後,印象派の絵画運動に加わり,1874年第1回印象派展に参加し,以後 3回出品。1881~82年イタリアへ旅行し古典絵画の影響を受けて,1883年頃から厳格な線描と淡い色彩による古典様式の絵を描いた。しかし数年後再び新鮮な色彩感が現れるようになり,虹色,オレンジ,赤を主調とした人物,風景を描き,色彩画家として独自の画風を発展,大成させた。1895~96年からしだいに裸婦の連作が多くなり,晩年は彫刻の制作にも携わって,豊満な女性像を残した。生前住んだ南フランスのカーニュの別荘コレットは,今日ルノアール美術館となっている。主要作品に『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』(1876,オルセー美術館),『シャルパンティエ夫人と子供たち』(1878,メトロポリタン美術館),『浴女たち』(1918~19,オルセー美術館)などがある。

ルノアール
Renoir, Jean

[生]1894.9.15. フランス,パリ
[没]1979.2.12. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ロサンゼルス
フランスの映画監督。画家ピエール・オーギュスト・ルノアールの息子。1924年映画界に入り,同年『水の娘』La Fille de l'eauで監督を務めた。以後『女優ナナ』Nana(1926),『トニ』Toni(1934)などで地位を確立,『ランジュ氏の犯罪』Le Crime de M. Lange(1936),『人生はわれらのもの』La Vie est à nous(1936),『どん底』Les Bas-fonds(1936),『大いなる幻影』La Grande Illusion(1937),『ゲームの規則』La Règle du jeu(1939)を発表し,アメリカ合衆国で『南部の人』The Southerner(1945),インドで『河』The River(1951),イタリアで『黄金の馬車』Le Carrosse d'or(1952),フランスに戻り『草の上の昼食』Le Déjeuner sur l'herbe(1959)などを撮った。

ルノアール
Lenoir, (Jean-Joseph-) Étienne

[生]1822.1.12. ミュシーラビル
[没]1900.8.4. ラバレンヌサンイレーヌ
ベルギー系のフランスの技術者。 1860年,無圧縮・電気点火方式の内燃機関の製作に成功。この機関は熱効率は低かったが,運転が円滑で評判がよく,揚水や印刷などに,広く用いられた。 62年にはこの機関を用いて自動車をつくったが,10km走るのに2~3時間かかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルノアール」の意味・わかりやすい解説

ルノアール(Jean Joseph Étienne Lenoir)
るのあーる
Jean Joseph Étienne Lenoir
(1822―1900)

フランスの機械技術者。ルクセンブルクに生まれ、1838年パリに出た。1859年、ガスと空気の混合気体を燃焼させて動かす実用的な内燃機関を発明、翌1860年特許を得た。この機関は、構造的にはシリンダー、ピストン、連接棒、はずみ車などをもち、横型複動蒸気機関と似ていた。気体圧縮装置はなく、混合気体が、適当な瞬間に電気火花によって点火されるもので、その後の内燃機関発達に重要な契機を与えた。ほかに電動機、自記発信機などの発明もある。1870年フランスに帰化した。

[渡辺 伸]

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世界大百科事典(旧版)内のルノアールの言及

【大いなる幻影】より

…1937年製作。ジャン・ルノアール監督の《どん底》(1936)に続く作品。ジャン・ギャバン,ピエール・フレネー,エリッヒ・フォン・シュトロハイム出演。…

【カバルカンティ】より

…ブレヒトが自分の戯曲(およびシナリオ)の映画化で唯一気に入っていた作品だったという。フランス時代はジャン・ルノアールと親交を結び,初期の短編《可愛いリリー》(1928),《赤ずきんちゃん》(1929)にはルノアールと女優のカトリーヌ・エスラン夫妻が出演している。ルノアールがカトリーヌ・エスランと別れたあと再婚したディド夫人はカバルカンティの姪(めい)である。…

【ビスコンティ】より

…幼児から完ぺきな貴族教育を受け,父親の影響で早くから演劇,オペラに興味をもつが,長じては家出を数回も繰り返したほどの反逆精神の持主であったため,反動的に新しい芸術である映画にのめりこんでいった。30歳のとき,服飾デザイナーのココ・シャネルの紹介でフランスの映画監督ジャン・ルノアールの助監督となり,多くのフランスの映画人と知り合い,彼らを通じて人民戦線にもかかわりをもった。そんなことから,のちに〈赤い公爵〉と呼ばれるようになる。…

【印象主義】より

…(3)主題 主題の選択においては,一世代前の写実主義の画家たちが宗教画,神話画,歴史画に背を向けたのを受けて,彼らは特に同時代の風俗や,肖像,静物といった市民的なジャンル,身辺のありふれた風景などをその主題として取り上げた。
[グループ展]
 印象派のグループとなる画家たちが知り合ったのは,1863年ころグレールCharles Gleyre(1806‐74)のアトリエ(モネ,シスレー,ルノアール,バジール)であり,それにアカデミー・シュイスAcadémie Suisseでかねてからモネと知り合っていたピサロ,セザンヌが合流した。ピサロを通じてモリゾも参加し,彼らはマネやバジールのアトリエ,またブラッスリー・デ・マルティール,ゲルボア,ヌーベル・アテーヌといったカフェで出会い,批評家たちとも親交を結び,戸外に制作に出かけるなど,しだいにグループを形成していった。…

【梅原竜三郎】より

…08年田中喜作とともに渡仏。はじめアカデミー・ジュリアンに入学したが,翌09年南仏カーニュのアトリエにルノアールを訪れ,以後その指導を受けた。その成果は《黄金の首飾り》(1913)などの作品にみられる。…

※「ルノアール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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