ロード(英語表記)road

翻訳|road

デジタル大辞泉 「ロード」の意味・読み・例文・類語

ロード(road)

道。道路。街道。「シルクロード」「サイクリングロード
ロードゲーム」の略。「ロードに出る」
[類語]通り往来道路車道街路舗道ほどう街道往還通路路上ルート

ロード(load)

[名](スル)
積み荷。荷重。積載量。
負荷
コンピューターで、入力装置や補助記憶装置にあるデータを主記憶装置に移し入れること。⇔セーブ

ロード(Lord)

キリスト教で、神またはキリスト。主。
イギリスで、侯爵・伯爵・子爵・男爵などの称号。きょう

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精選版 日本国語大辞典 「ロード」の意味・読み・例文・類語

ロード

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] load )
  2. 機械や構造物が受ける外力や重さ。荷重。〔外来語辞典(1914)〕
  3. 原動機、タービン、機関などの出力を消費する機械設備。また、その消費効力(仕事率)の大きさ。負荷。
  4. コンピュータで、入力装置や補助記憶装置にあるプログラムやデータを主記憶装置に移し入れること。「ダウンロード」 〔マイ・コンピュータをつかう(1978)〕

ロード

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] road )
  2. 道路。道。他の外来語と複合して用いることが多い。「ロードマップ」「ロードワーク」「サイクリングロード」など。〔外来語辞典(1914)〕
  3. ロードゲーム」の略。

ロード

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] Lord )
  2. (キリスト教の)神。主。キリスト。
  3. イギリスで、侯・伯・子・男爵や上院議員等の尊称。卿(きょう)。〔外来語辞典(1914)〕

ロード

  1. ( William Laud ウィリアム━ ) イギリスの聖職者。カンタベリー大主教チャールズ一世に重用され、親政政治を補佐。国教強制の強行が清教徒革命のきっかけとなり、のち長期議会で弾劾され、処刑された。(一五七三‐一六四五

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改訂新版 世界大百科事典 「ロード」の意味・わかりやすい解説

ロード
Alexandre de Rhodes
生没年:1591-1660

フランスの宣教師,ベトナム語のローマ字正書法の考案者。アビニョンに生まれ,ローマでイエズス会士となった。1624年中部ベトナムに渡って布教に従い,ベトナム語に習熟したのち,27年北部ベトナムに入って新たに現地教団を設立したが,30年国外に追われた。その後マカオから3度ベトナムに渡り伝道を続けようとしたが,45年再び国外に追放され,49年ローマに帰った。ベトナムの言語と歴史に通じ,ベトナム語をローマ字で印刷した最も古い文献である《アンナン(ベトナム)語・ポルトガル語ラテン語辞典》(1651)を編纂・刊行し,またベトナムの通史《トンキン王国史》をラテン語(1652)とフランス語(1653)で著した。ロードが考案したベトナム語のローマ字表記法は,わずかな修正を経て,現代ベトナム語の唯一の書記法である独特のローマ字体系クォク・グゥ(〈国語〉の意)となっているばかりでなく,その辞典の内容はラテン語とベトナム語の対訳による《贖罪を望みキリスト教の信仰に入らんとする者のための8日間の教理問答》(1652)に記述されたベトナム語とともに,17世紀のベトナムの言語を正確に伝える資料として高く評価されている。ペルシアで伝道中イスファハーンで没した。
執筆者:


ロード
William Laud
生没年:1573-1645

イギリスの国教会聖職者。1628年ロンドン主教となり,さらに翌年オックスフォード大学総長にも選ばれた。33年にはカンタベリー大主教に就任して,英国国教会内部へのピューリタン勢力の浸透を強力に排除し,チャールズ1世を最高統轄者とする教会と国家の不可分一体性を確保しようとした。そのようないわゆる〈徹底〉政策がピューリタン革命勃発の一因となり,彼自身40年末に長期議会によって弾劾され,45年1月処刑された。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロード」の意味・わかりやすい解説

ロード(William Laud)
ろーど
William Laud
(1573―1645)

イギリス国教会の聖職者、カンタベリー大主教。ヨークシャーレディングに生まれ、オックスフォード大学に学ぶ。セント・デービズおよびロンドンの各主教を経て、1633年カンタベリー大主教に就任した。チャールズ1世の絶対主義を支持し、信従拒否者を厳しく処罰したため、ピューリタンの強い反感を買った。1637年スコットランド教会に祈祷(きとう)書使用を強制したため、主教戦争を引き起こし、ピューリタン革命のきっかけをつくり、1645年1月10日ロンドン塔外で処刑された。

[八代 崇 2018年1月19日]


ロード(Alessandro de Rhodes)
ろーど
Alessandro de Rhodes
(1591―1660)

イエズス会宣教師。フランスのアビニョンに生まれる。1623年マカオへきて、その後コーチシナ、トンキンへ赴き、その地の言語を修得し、布教活動を行った。トンキン禁教令のためマカオへ行き、10年間布教を続けた。マカオとコーチシナの間を四度往復し、多数を改宗させた。1645年強制的にヨーロッパへ追放されたが、1655年ふたたびトルコ布教のために派遣され、1660年ペルシアで没した。アンナンの言語、民族、歴史を研究し、ことに彼の編纂(へんさん)による『アンナン・ポルトガル・ラテン語辞典』(1651)は有名である。

[宮崎賢太郎 2018年8月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロード」の意味・わかりやすい解説

ロード
Laud, William

[生]1573.10.7. バークシャー,レディング
[没]1645.1.10. ロンドン
イギリスの聖職者。織物商の子で,オックスフォードに学び,聖職者になった。高教会派と呼ばれる国教会強硬派に属し,清教徒に強い反感をもち,国王大権を擁護してチャールズ1世に重用され,1627年枢密院顧問官,28年ロンドン主教,30年オックスフォード大学総長,33年カンタベリー大主教となった。王に対する宗教政策上の最高顧問として国家と教会の危機を救うため,無議会の専制期 (1629~40) に国教会を改革し,それに反対した清教徒に過酷な弾圧を加えた。さらにスコットランドにも国教を強制しようとして主教戦争を引起した。 40年末専制の責任を問われて長期議会で弾劾され,翌年3月ロンドン塔に投獄,裁判は延引したが4年後に処刑された。

ロード
Rhodes, Alexandre de

[生]1591.3.15. アビニョン
[没]1660.3.5. イスファハン
フランスのイエズス会司祭,宣教師。コーチシナのトンキン (ベトナム) で布教に活躍,ベトナム語をよくし,それをローマ字化した。現地人司祭の養成を重んじ,そのためパリ外国宣教会設立を提案した。 1655年以降イランで布教。フランスのベトナム植民地化に関係が深かった。

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百科事典マイペディア 「ロード」の意味・わかりやすい解説

ロード

英語で神,支配者,首長その他の意味をもつが,特に英国で高位の貴族などの名にそえる尊称。マーキスアール,バイカウント,バロンデュークおよびマーキスの子息,アールの長男にこの尊称を付けて呼ぶ。なお英国国教会の大主教,主教にもこの敬称が用いられ,最高法院判事,上院議員,種々の官職の長官などにもこの称が用いられる。→爵位

ロード

英国の国教会聖職者。国王チャールズ1世に重んぜられ,1628年ロンドン主教,1629年オックスフォード大学総長,1633年カンタベリー大主教となった。国王の側近として厳重な国教会の統制強化を行い,ピューリタン革命を招いた。長期議会により投獄,処刑された。
→関連項目チャールズ[1世]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロード」の解説

ロード
William Laud

1573~1645

イングランド,チャールズ1世の親政時代(1629~40年)の国王の側近。国王に認められてイングランド国教会で異例の昇進をとげ,ロンドン主教をへて,33年カンタベリ大主教となり,ストラッフォードとともに,専制的な「徹底政策」を実行した。ピューリタンを弾圧し,スコットランドに国教会の共通祈祷書の強制を進言して,ピューリタン革命の原因をつくった。長期議会によって逮捕,投獄され,処刑された。

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知恵蔵mini 「ロード」の解説

ロード

1996年11月7日、ニュージーランド生まれ。本名、エラ・イェリッチ・オコナー。13歳でユニバーサルミュージックと契約。3年ほどの下積みの後、プロデューサー・ソングライターのジョエル・リトルと共同で仕事を始め、才能を開花させた。2013年にリリースしたデビュー・シングル「ロイヤルズ」は、全米シングル・チャート1位(9週連続)、世界40カ国でiTunes音楽ダウンロードランキング1位を果たす。13年9月、デビューアルバム「ピュア・ヒロイン」がリリースされ、全米アルバムチャート初登場3位、世界22カ国でiTunes音楽ダウンロードランキング1位となる。14年に行われた第56回グラミー賞では、「最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス賞」と、最年少記録となる17歳で「最優秀楽曲賞」を受賞した。

(2014-1-29)

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IT用語がわかる辞典 「ロード」の解説

ロード【load】

コンピューターの補助記憶装置に保存されているプログラムやデータをメインメモリーに読み込むこと。

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デジタル大辞泉プラス 「ロード」の解説

ロード〔曲名:湘南乃風〕

日本のポピュラー音楽。作詞と歌はJ-POPグループ、湘南乃風。2015年発売のシングル「バブル」のカップリング曲。作曲:湘南乃風、松田岳二。NHKのドラマ「限界集落株式会社」の主題歌。

ロード〔曲名:THE 虎舞竜〕

日本のポピュラー音楽。歌はTHE 虎舞竜(とらぶりゅう)。1993年発売。作詞・作曲:高橋ジョージ。

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DBM用語辞典 「ロード」の解説

ロード【load】

通常は、アップロードかダウンロード。あるコンピュータから、あるいはサーバからその他のコンピュータへ、ソフトウェアを転送すること。簡単に言うと、オンラインでのデータの移動のこと。

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「ロード」の解説

ロード

補助記憶装置に保存されたファイル(プログラム)の内容を、メインメモリーに読み込むこと。

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音楽用語ダス 「ロード」の解説

ロード [road]

バンドの地方巡業公演のこと。

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世界大百科事典(旧版)内のロードの言及

【爵位】より

…デュークとマーキスは,大陸の制度に倣ったもので,アングロ・サクソン時代にはさかのぼらない。 イギリスの爵位貴族nobilityはロードlordの敬称を帯び,サーsirの称号をもつ騎士knight階層から区別されるが,爵位は当該家門の長男によって世襲されるのが常であった。子爵の名は,中世初期に伯の職務を代行した役人vicecomesに由来し,ノルマン・コンクエスト後のイギリスではシェリフにこの名が適用されたが,これもやがて単なる爵位と化した。…

【高教会】より

…国教会として確立するエリザベス朝では,大陸の神学者,とくにカルバンの教会論,職制論が支配的であったが,16世紀末にはバンクロフトRichard Bancroft,フッカーらが英国国教会を普遍的(カトリック)教会の一つの枝として位置づけ,使徒継承に基づく主教制の必要を唱えた。17世紀に入るとアンドルーズLancelot Andrewes,ロードWilliam Laudらがピューリタンに対して教会のカトリック性を強調し,ロードがピューリタン革命で処刑されたこともあって,王政復古時には高教会派が主導権を得た。名誉革命後,ウィリアム3世への臣従を拒否したものが高教会派に多かったため,教会と国家の首脳部が低教会派を優遇する時代が続いたが,キーブルJohn Keble,ピュージーEdward Bouverie Pusey,J.H.ニューマンらのオックスフォード運動によって,高教会派はふたたび活気づけられ,以後アングリカン・チャーチ内の一大勢力として今日に至っている。…

【高教会】より

…国教会として確立するエリザベス朝では,大陸の神学者,とくにカルバンの教会論,職制論が支配的であったが,16世紀末にはバンクロフトRichard Bancroft,フッカーらが英国国教会を普遍的(カトリック)教会の一つの枝として位置づけ,使徒継承に基づく主教制の必要を唱えた。17世紀に入るとアンドルーズLancelot Andrewes,ロードWilliam Laudらがピューリタンに対して教会のカトリック性を強調し,ロードがピューリタン革命で処刑されたこともあって,王政復古時には高教会派が主導権を得た。名誉革命後,ウィリアム3世への臣従を拒否したものが高教会派に多かったため,教会と国家の首脳部が低教会派を優遇する時代が続いたが,キーブルJohn Keble,ピュージーEdward Bouverie Pusey,J.H.ニューマンらのオックスフォード運動によって,高教会派はふたたび活気づけられ,以後アングリカン・チャーチ内の一大勢力として今日に至っている。…

【スコットランド教会】より

…16世紀に入ると,宗教改革を導入しようとして火刑に処せられたハミルトンPatrick Hamilton,ウィシャートGeorge Wishartの遺志を継いだJ.ノックスによってカルバン主義に基づく改革が実現し,1560年〈スコットランド信仰告白〉と〈規律の書〉による長老主義教会が確立した。1603年以降ジェームズ1世がイングランド王を兼ねたため主教制が導入されたが,37年カンタベリー大主教W.ロードによる祈禱書押しつけに反発して立ち上がり,長期議会との間に厳粛同盟を結び(1643),〈ウェストミンスター信仰告白〉と〈ウェストミンスター教理問答〉を受理して長老派教会として再建した。名誉革命(1688)後,〈スコットランドの教会〉としての地位を不動のものとして今日に至っている。…

【チャールズ[1世]】より

…そのため第3議会は1628年〈権利請願〉を提出,イギリス国民の既得権に基づいて国王の失政を批判した。国王はいったんこれを認めたが,翌年議会を解散,以後11年間,カンタベリー大主教W.ロードとアイルランド総督ストラフォード伯の2人を側近として,専制支配を行った。不法な課税を強要し,星室裁判所などを利用して非国教徒への弾圧を強めたが,37年J.ハムデンの船舶税支払い拒否を契機として地方行政を担当していたジェントリー層の離反を招き,また同年スコットランドでは英国国教会の祈禱書強制に反対する暴動が起きた。…

※「ロード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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