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仏教の修行法の一つ。瞑想,または座禅のこと。原語dhyānaは,静かに考える意で,その俗語形jhānaが西北インドでjhānと発音されていたのを,中国の漢字で禅と表記したもの。禅という漢字は,現在の中国音ではchán,日本ではzenと発音され,欧米では両者を併用する。
古代インド文明は,瞑想の実践とともに起こる。前3000年というモヘンジョ・ダロ出土の印章に,動物の姿をした神が座禅するデザインをもつものがあり,前3世紀のバラモン教文献〈ウパニシャッド(奥義書)〉に,今日と少しも異ならぬ座法と心構えを記すものがあり,後1世紀の詩史《バガバッドギーター》に引用される。禅は,広く古代インドに行われた,精神統一の技術であるヨーガの一段階より発達して,仏教でその智的側面を深め,独自の禅定思想を生むのである。仏典に説く,戒定慧の三学や,四禅八定の体系は,いずれも他のインド宗教がもつ禅の苦行や,神秘な昇天の側面を否定し,自覚的な悟りの方法となる。戒は身体と言葉の乱れを静め,定は心を調えて本来の自己に目覚める方法で,慧はその成果にほかならぬ。四禅は,そうした定慧の境地をさらに細分化し,初禅より第四禅に至るあいだに,離俗の喜楽や,大小の尋伺の意識の消長を説くもので,最後にそれらの感情と意識のすべてが消え,行者の心の動きが完全に止滅した境地に到達するとされる。八定は,四禅がさらに深まって,有想より無想に徹する過程を表し,最後に形而上的な非想非非想定に到達するというもの。ただし,大乗仏教は,これを再び現実の修行に引き下ろし,布施,持戒,忍辱,精進,禅定,智慧という6種にまとめ,最後の智慧波羅蜜(悟りの智慧の完成)のうちにそれらを統一する。
紀元1世紀,中国民族が仏教を受け入れたとき,この国固有の神仙信仰や老荘思想によく似た禅への興味が,その定着を促す。老荘の守一・守心・存心の説は,仏教の禅と同義にみられた。とくに,当時の中国民族の最大関心は,飛行,発光,分身など,習禅に伴う奇跡に集まる。初期仏教史書の《高僧伝》は,インド僧のそのような超能力について記す。自己と他人の前生の姿を見る宿命通,未来を見通す天眼通,現実の苦悩と迷いを超える漏尽通の三つは,いずれも禅の成果とみられた。しかし,般若(はんにや)や法華(ほつけ),維摩(ゆいま),涅槃(ねはん),華厳(けごん)など,大乗仏典の研究によって,神秘の信仰はしだいに是正される。静かな森で座禅する舎利弗(しやりほつ)をしかる維摩や,座禅を好む外道に近づくことを戒める法華の説は,大乗禅のあり方を教えた。法華経によって,大乗の諸教義と実践法を総合する天台智顗(ちぎ)は,禅より止観への深化を主張する。止観とは,空仮中(くうげちゆう)の三諦(さんたい)の理に収約される,仏の悟りに応ずる3種の実践のことである。仏教の歴史と思想は,すべてこの中に体系化される。とりわけ,具体的な座禅の仕方を説く坐禅儀は,天台のそれを最初とする。
中国の禅宗は,智顗の活動とほぼ同じころ,西域より華北に来たインド僧達磨を初祖とし,その6代を名のる曹渓慧能(えのう)に大成される。禅宗の禅は,座禅や止観のことではなくて,人の心そのものとなる。智顗が《法華経》に拠ったのに対し,禅は不立文字(ふりゆうもんじ),教外別伝(きようげべつでん),直指人心(じきしにんしん),見性成仏(けんしようじようぶつ)を主張する。達磨は,仏が経典の外に説きのこした正法を伝える28代の祖師であり,慧能は33代である。インドで単なる瞑想法にすぎなかった禅は,今や仏教の奥義となる。仏教の経典と修行法は,すべて衆生の病気に対する薬方にすぎぬ。正法は,本来健康な人間の対話である。人心を直指し,見性成仏するのである。ここには,人間の本性を善とする,中国民族の思考が,大きく働いている。のちに新儒教とよばれる宋学の形成に,禅が影響するのは当然である。唐の圭峯宗密は,かつて中国に行われた禅の歴史と思想を分類して,外道禅,凡夫禅,小乗禅,大乗禅,最上乗禅の五つとする。はじめの三つが初期の禅,大乗禅が天台止観,最後の最上乗禅が,達磨の禅宗である。最上乗禅は,一切衆生が本来清浄であり,どこにも煩悩というものがなく,汚れのない智恵の光がつねに輝きつづけていることに目覚めるだけで,そんな根源の心が仏であり,これを日常生活の上に発揮するのが,如来清浄禅であるという。宗密は,慧能の正系を自任するとともに,唐代仏教の新しい動きの一つ,華厳宗の法系に属した。宗密は天台の止観に対し,仏の悟りそのものを説く《華厳経》と,その説をいっそう純粋化する中国選述の《円覚経》によって,完全な自覚の哲学を構想し,新しく教と禅の統一をはかる。無念体上に本知有りとし,知の一字こそ衆妙の門であるとする。しかし,慧能以後の禅の主流は,本知よりも今の作用に重点をおく,馬祖道一とその周辺の人々によって推進される。念を動かし心を起こし,弾指動目する日常行為のすべてが,仏性の作用である。貪嗔痴(とんじんち)の全体,いっさいの善悪の所行が,仏性の動きである。随所に主となれば,立処みな真ならぬはない,著衣喫飯,屙屎(あし)送尿,日々の言動が,すべて禅にほかならぬ。むしろ,仏を殺し祖を殺し,五無間の業を造って,はじめて人は自由となる。禅の匂いをとどめるのは,いまだ真実の禅とはいえない。如来清浄禅より,そうした祖師禅への脱皮は必然である。馬祖以後,師祖たちの言行をまとめて,語録とよばれる新しい型の本が登場する。語録は,経論の訓詁や,体系の書とは異なる,一人一人の個性の記録である。さらに,祖師禅はインド伝来の戒律に代わって,清規(しんぎ)とよばれる新しい僧院の集団規則を生む。馬祖につぐ百丈懐海(ひやくじようえかい)の創意である。清規の特色は,集団による生産労働を肯定し,これを修行の作用としたことで,普請の法と名づけて師弟平等に力を合わせるのである。百丈は率先して毎日執労し,〈一日作(な)さずんば一日食わず〉と自戒する。中国禅の特色は,そうした語録と清規の制作にみられる自由の精神にあり,これが在家の居士の参禅を導き,一般の文学や書画など,芸術の部門に影響する。さらにまた中国禅は,そうしたインド仏教の枠を超えたものとして,周辺の民族に広がる。早くよりチベット,朝鮮,日本の仏教に影響し,東南アジアの諸国にも拡大する。
とくに,日本の禅は,鎌倉より江戸時代に至る約300年の長期にわたって,持続的に中国より伝来され,新しい開花をみせる。伝来と受容には,中国と日本の双方に,その理由があるけれども,もっとも大きい理由は,禅そのもののもつ新文化創造の契機である。禅は,すでに仏教の外に出て,中国民族の宗教となっている。禅の姿をとどめぬのが,本当の禅である。古来,中国の文明を受け続ける日本民族は,禅を学ぶことによって,受容より創造に転じ,中国のそれよりも,いっそう純粋な創造に成功するのである。禅という宗名すら拒否して,ひたすらに座禅に徹するとともに,全一の仏法を挙掲しつづける道元や,禅院の周辺に,学問,文学,工芸など無数の生活文化を生みだす中世日本の臨済禅は,方向を異にしつつ,ともにもっとも日本的である。道元の思想には,日本民族の域を超える国際性があり,臨済系の禅文化には,中世的な宗教文化の域を超える,広い近代精神の自在さがある。
執筆者:柳田 聖山
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サンスクリット語ディヤーナdhyānaの音写。口語のジャーナjhānaが訛(なま)ったものともいう。静かに考えること、思惟修(しゆいしゅ)の意。古代インドで、ヨーガとよばれた瞑想(めいそう)法のうち、精神統一の部分が仏教に取り入れられ、とくに中国と日本で極度に洗練され、独自の思想として発展したもの。近代ヨーロッパの科学技術に対し、アジア精神文明の核として、新しい評価を受けている。
ヨーガの発生は、紀元前2000年というインダスの遺構から出た古銭のうちに、脚を組んで坐(すわ)る神獣を描くものがあるのによって知られる。後期ウパニシャッドのうちにも、両脚を水平に保ち、背筋をまっすぐに立て、静かに呼吸を整えよと説くのが確認され、バガバッド・ギーターにも引かれているから、今日の禅院で教える坐禅(ざぜん)法は、数千年の昔からほとんど不変であることがわかる。紀元2世紀という仏像がすべて坐禅の形をとるのも、人々がそこに仏教の理想を求めたためである。禅という漢字は、古代中国で天子が神を祀(まつ)った封禅の意味をもつのを受け、当初はdhyānaの音写として禅那(ぜんな)とも書かれたが、しだいに禅の一字が好まれて、坐禅や禅定(ぜんじょう)の語を生むようになる。坐禅は、坐って思惟(しゆい)する意、禅定は、禅よりもさらに深層の瞑想を意味する三昧(さんまい)、すなわちサマーディsamādhiを定(じょう)と訳したのによる。
インドの禅定思想では、禅に四段階、定に四段階があるとし、あわせて四禅八定を考え、その成果としての神通力(じんずうりき)を説き、神秘な死後昇天信仰や、超能力と結び合う。中国ではそうした段階的発想や、神通力を目的とする習禅を嫌い、頓悟(とんご)(一挙に悟る)的・現世的傾向を強めるので、達磨(だるま)を祖とする禅宗がおこり、教義と歴史をつくるのも、中国仏教独自の成果である。禅宗では、坐禅や禅定だけが禅ではない。むしろ、坐禅や禅定に縛られるキエティスム(静寂(せいじゃく)主義)を退け、「行(ぎょう)も亦(ま)た禅、坐も亦た禅、語黙動静体安然」とうたい、「一日作(な)さざれば一日食らわず」という、日常の労働生活を肯定し、屙屎送尿(あしそうにょう)、着衣喫飯(きっぱん)のところに最上の神通が働くとするので、もっとも高く広い精神の自由を、禅の名でよぶこととなる。したがって、禅はもはや仏教に限らず、儒教や道教、文学や芸術のうちに積極的に取り込まれて、既成の教義や形式を洗い直す革新運動の根拠となる。水墨や書跡、連歌(れんが)、能楽、茶道など、わが中世禅院に生まれる芸能は、いずれもかつてのインドにも中国にもなかった新しい禅仏教の表現である。明治以後、ヨーロッパの思想と技術を受容するのに、同じ禅の思考が働いていることは、日本独自の哲学とされる西田哲学にもっとも顕著である。
[柳田聖山]
『忽滑谷快天著『禅学思想史』二巻(1923、25・玄黄社)』▽『鈴木大拙著『禅思想史研究』四巻(1943~67・岩波書店)』▽『柳田聖山著『無の探究』(『仏教の思想 七巻』所収・1969・角川書店)』
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禅那(ぜんな),禅定(ぜんじょう),静慮(じょうりょ)とも漢訳される。瞑想(めいそう)により心身を静かに安定させ精神統一を図る修行方法。古くインドにあった身体ヨーガ的瞑想法として釈尊(しゃくそん)(ブッダ)自身も重んじ,仏教の修行実践の重要な要素となった。6世紀の中国に菩提達磨(ぼだいだるま)により般若空(はんにゃくう)にもとづく本格的坐禅が伝えられ,五祖弘忍(こうにん)の門から,段階的に悟りを深める漸悟(ぜんご)を説く神秀(じんしゅう)の北宗(ほくそう)禅と究極的悟りに直入する頓悟(とんご)を説く慧能(えのう)の南宗禅の2宗風が生まれた。慧能は文字に頼らず直感的体験重視の不立文字(ふりゅうもんじ)を唱導し,この系統に五家七宗が形成される。日本では鎌倉時代以降に,公案に則り知恵の開発をめざす看話(かんな)禅系の臨済(りんざい)と,黙して坐する黙照禅系の曹洞(そうとう)の2宗が興隆し,江戸時代に黄檗宗(おうばくしゅう)が加わる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
仏教の修行の一つで,心身を統一し迷いを絶ち真理体得をめざす。瞑想・静慮(じょうりょ)などと訳される。菩薩の実践徳目である六波羅蜜(ろくはらみつ)の第5に配される禅定(ぜんじょう)と同系統のもの。インドでは仏教成立以前からヨーガの実践の一つとして行われていたが,それは来世への昇天を目的に肉体を苦しめる行であった。釈迦はそれから苦行的要素を除き,現世で内省的悟りを求めるための修行として仏教のなかにとりいれた。原始仏教・部派仏教の段階ではその解釈をめぐって煩瑣な議論が行われたが,大乗仏教では達磨(だるま)の説にもとづき実践的利他行の面が重んじられた。中国では達磨の禅が継承・発展し,唐代に禅宗が成立,日本にももたらされた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…その基礎には,東洋の宗教の修行法や東洋医学の考え方がある。たとえば,禅やヨーガや道教などの瞑想(めいそう)法や修行法は,心の働きと身体の働きが一体になった〈心身一如〉の境地を理想として追求している。また東洋医学の考え方は宗教と関係が深い。…
…仏教の修行法の一つ。座って禅を修すこと。禅は精神統一を意味する,サンスクリットのディヤーナ,もしくはパーリ語のジュハーナの音訳で,人々の日常生活の姿勢を,行・住・坐・臥の四つに分けるうち,禅の実践には,坐の姿勢がもっとも適当であるため,特に座禅の名称が起こる。…
…朱子学の形成に,こうした危機的な時代状況が大きく作用したのは否めぬ事実である。また,思想界に目を転じても,〈異端〉思想である禅の簡明直截な教義に心ひかれる士大夫が数多く存在していた。北宋時代からすでにそうであったが,とりわけ北宋の末から南宋の初めにかけて,臨済の再来といわれた大慧宗杲(だいえそうこう)が新しい禅風を起こし,多くの士大夫を吸引して,その心の不安に答えていた。…
…〈禅〉はサンスクリットのディヤーナdhyāna,パーリ語のジャーナjhānaから転じた音,〈定〉はその意味をおのおの示している。身体を安静に保ち,心静かに人間本来の姿を瞑想すること,心を一つに集中させ,動揺させないことである。…
…現在,(1)スリランカ,タイなどの東南アジア諸国,(2)中国,朝鮮,日本などの東アジア諸国,(3)チベット,モンゴルなどの内陸アジア諸地域,などを中心に約5億人の教徒を有するほか,アメリカやヨーロッパにも教徒や思想的共鳴者を得つつある。(1)は前3世紀に伝道されたスリランカを中心に広まった南伝仏教(南方仏教)で,パーリ語仏典を用いる上座部仏教,(2)はインド北西部から西域(中央アジア)を経て広まった北伝仏教で,漢訳仏典を基本とする大乗仏教,(3)は後期にネパールなどを経て伝わった大乗仏教で,チベット語訳の仏典を用いるなど,これらの諸地域の仏教は,歴史と伝統を異にし,教義や教団の形態もさまざまであるが,いずれもみな,教祖釈迦をブッダ(仏)として崇拝し,その教え(法)を聞き,禅定(ぜんじよう)などの実践修行によって悟りを得,解脱(げだつ)することを目標とする点では一致している。なお,発祥の地インドでは13世紀に教団が破壊され,ネパールなどの周辺地域を除いて消滅したが,現代に入って新仏教徒と呼ばれる宗教社会運動が起こって復活した。…
…中国の帝王がその政治上の成功を天地に報告するため,山東省の泰山で行った国家的祭典。〈封〉と〈禅〉は元来別個の由来をもつまつりであったと思われるが,山頂での天のまつりを封,山麓での地のまつりを禅とよび,両者をセットとして封禅の祭典が成立した。《史記》封禅書には,春秋斉の管仲のことばとして,有史以来,封禅を行った帝王は72人,そのうち管仲の記憶するところは12人であること,天命を受けたうえで封禅は行われること,封禅を行うためには祥瑞(しようずい)の出現が必要であること,が述べられているけれども,後世における仮託の説であろう。…
※「禅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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