銭湯の雇人で,湯をわかしたり客の体を洗ったりする男の称。江戸時代,下男や小者(こもの)などの奉公人を三助と通称したが,のち三助といえばおおむね銭湯で客の背中のあかをかく〈ながし〉のサービスに従う男をさすようになった。物日(ものび)などには祝儀をくれ,月ぎめで〈ながし代〉を払っているような客がくると,ふんどし姿の三助は留桶(とめおけ)と呼ぶ特別の小判形の桶に上がり湯を汲んで背中を流し,洗い終わるとまた上がり湯を汲んで客のわきに置いた。ふだんの収入は〈ながし代〉だけであったが,盆と正月の十六日などに行われた〈貰い湯(もらいゆ)〉が三助の最大の収入源となった。〈貰い湯〉は三助がもらう湯の意味で,その日三助は燃料費だけを除き,あとの入浴料金すべてを収入とするならわしだったが,明治以後すたれた。
→銭湯
執筆者:鈴木 晋一
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江戸時代における下男、小者(こもの)など奉公人の通称。三介とも書く。この三は炊爨(すいさん)の「さん」の意である。飯炊きその他雑用に従事するからで、下女を「おさん」ともよぶ。その後、三助といえば一般に銭湯の下男をさすようになったが、このような呼称は享保(きょうほう)(1716~36)のころからといわれる。田舎(いなか)から同郷など縁故を頼って奉公する若者で、越中(えっちゅう)(富山県)、越後(えちご)(新潟県)の出身者が多かった。見習いの間は、昼は焚木(たきぎ)とか古材などの燃料になるものを集め、夕方からは下足番を勤める。2、3年して釜焚(かまた)き番をしながら流しに出るようになって三助とよばれる。流し専用の桶(おけ)を用意し、湯銭のほかに流し代を払った浴客の注文により、その専用桶を使って背中を流した。昭和の初めごろでも、一人前の三助になるには普通10年かかった。年季を積むと番頭になるが、番頭は主人のかわりに番台にも座る。技術を覚え、資金を蓄えて30歳前後に独立して銭湯の経営者になるのが普通とされていた。
[稲垣史生]
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