乞食(読み)こじき(英語表記)beggar

翻訳|beggar

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

乞食(こじき)
こじき
beggar

金銭やべ物を他人からもらって生活する者。社会の落後者としてのイメージがあるが、歴史的には、宗教活動や芸能活動として行われたものや、民間信仰、風習上行われたものもあった。日本の例でいえば、山伏、虚無僧(こむそう)や一般の僧侶(そうりょ)も行った托鉢(たくはつ)などは、単に生活できないための対策としてではなく、宗教活動の意味をもったものの例である。また、万歳、鳥追い、獅子舞(ししまい)、人形回しなどの門付(かどづけ)芸人は、庶民の芸能活動として行われた例である。さらに、物ごいをすると、ある病気が治るとか健康でいることができるといった伝承などは、民間信仰、風習の例である。
 外国にも同じような歴史があり、古代ギリシア・ローマ時代にはミモスやミムスとよばれる身振り狂言師が放浪、物ごい生活をしており、中世には種類も多くなって、吟遊詩人(逃亡したり追放されたりした僧侶や学生が多かった)、曲芸師、道化師、演歌師などが放浪、物ごい生活をしていた。これらの者が果たした役割は文芸史の一端を担う意味をもっていた。[真田 是]

社会問題としての乞食

歴史的には、乞食が社会的落後者とは違ったものとしてあったとしても、それぞれの時代の社会の問題の産物であり表現であった。このことは次の3点で知られる。第一は、社会の動揺期、移行期に乞食は増大してきたことである。第二は、それぞれの時期の社会のおもな生産活動からはじき出され、また社会統制が十分及ばないものであることから、乞食は社会の病を集中表現したものであったことである。第三には、乞食は生活困窮者としての性格を備えていたことである。
 第一の点については、日本では、平安時代の末期に古代の貴族、社寺の支配体制が弱まり、動揺が始まるとともに、宗教的、芸能的なものも含めた乞食が増えた。また、江戸末期に近世の封建制が矛盾を深めるとともに、侠客(きょうかく)、博徒(ばくと)や売春婦などの反社会的なものとともに乞食の数も増えた。外国でも、中世末期から近代初頭にかけて、それまでの生活手段から切り離されて浮浪する者が増えた。イギリスの「囲い込み」(エンクロージャー)などはその典型である。また、ヨーロッパのこのような事態が多くの人をアメリカに赴かせたが、ここで乞食、浮浪者やそれに類する生活に陥った者も少なくなかった。アメリカやヨーロッパでホボhoboとよばれたものがその例である。このように乞食は、社会の動揺期に進行する社会解体の産物としてとくに数が増えるものである。なお、戦争も社会の解体や破壊をもたらすものとして乞食を増やす。第二次世界大戦直後の日本と西欧諸国がその大規模な例である。
 第二の点についていえば、乞食は、社会の動揺期はもちろんのこと、そうでない時期でも、そのときのおもな生産活動から外れ、また支配機構で掌握しきれない面をもっていることから、社会病理としてとらえられた。日本の古代でも、逃散(ちょうさん)して課役を納めない者のあったことが示されており(『令集解(りょうのしゅうげ)』)、江戸幕府による封建支配の再編、強化の時期には、乞食をも支配網に収めるために身分制を敷き「賤民(せんみん)」として社会体制の最下層に組み込んで差別した。ヨーロッパでも、イギリスのヘンリー8世やエドワード6世による浮浪を禁じた16世紀の「残虐立法」とよばれるものが、乞食を非生産的、秩序紊乱(びんらん)的なものとして取締りの対象にした例である。
 第三の点については、日本や欧米の寺院や教会の救済活動や救貧制度その他で、乞食がおもな対象の一つになってきたのをみれば明らかである。[真田 是]

乞食と社会福祉

乞食は、宗教的、芸能的、習俗的意味合いをもちながらも問題現象であった。そのために、乞食への社会的対応は、貧困対策としてだけではなく社会病理に対する取締り対策とが交錯してきた。たとえば、貧困対策であるイギリスのエリザベス救貧法は、乞食、浮浪者のなかで労働能力のない者だけを対象にし、労働能力のある者はワークハウス(労役場)に入れたり、残虐立法の対象にして取り締まった。日本の1874年(明治7)の恤救(じゅっきゅう)規則も、対象を「70歳以上の老人、12歳以下の児童、廃疾者(障害者)」というように労働能力がないと当時考えられた者や、かつ身寄りのない者だけを救済の対象にした。その後も、社会福祉の歴史は、貧困者イコール怠け者というとらえ方が繰り返し現れたことから、乞食も貧困者として単純に救済されるのではなく、生活規律を確立する指導=取締りを条件にしたり、権利の懲罰的な制限をしたりしてきた。このように、社会福祉にはなお体制に組み込もうとする取締り的要素があることから、社会福祉制度の利用を嫌って乞食や浮浪者になる者も存在する。
 社会福祉の制度がある程度充実してくると、乞食になる前に、たとえば公的扶助のようななんらかの制度が対応するために、乞食は第二次世界大戦後の混乱が収まるとともに減ってきた。しかし、資本主義経済につきものの景気循環やリストラ・「合理化」は、失業者やホームレスなど、おもな生産活動から排除されて生存権を脅かされるものを繰り返し生み出し、乞食の社会的基盤を用意する。ここでいうホームレスは、住宅・住所が定まっていない者の名称である。乞食は仕事を長いことなくしているのが通例であるが、ホームレスは不定期の職、あるいは定職についている者もある。生存権が脅かされると、人間らしさが脅かされる。人間らしさが損なわれると自分を律する力が弱まって、犯罪を犯しやすくなったり、妄想などに左右されやすくなったりする。生存権への脅威は、社会病理といわれるものにも深く影響している。[真田 是]

日本の民俗

乞食はホイト、オコモなどともいわれた。貧窮による者のほかに、病気による者などもいた。また信仰に基づいて乞食をして歩く者もあった。『万葉集』巻16に乞食者の歌2首がある。これはホカイビトといい、今日の乞食とは違って祝言を述べて喜捨を乞(こ)う者で、万歳や鳥追いの徒などに類する者であった。仙台地方をはじめ東北各地では、経文や仏名などを唱えてくる乞食に物を与えることをホカイといい、その乞食のことをホイトといった。仏教では乞食をコツジキといって、これは一種の修行として一定の行儀作法に従って托鉢(たくはつ)して食を乞うことをいった。仏徒以外にも、福島県で神明様というオシラ神を祀(まつ)っている家の主婦は、1年に一度乞食に出る習慣があったという。乞食に対しては上代以来いろいろな対策が講ぜられたことが文献にみえている。『続日本紀(しょくにほんぎ)』淳仁(じゅんにん)天皇の天平宝字(てんぴょうほうじ)6年(762)閏(うるう)12月の条に、乞索児(きっさくじ)一百人を陸奥(むつ)国に配置したことが書かれている。推古(すいこ)天皇や聖武(しょうむ)天皇のとき設けられた悲田院(ひでんいん)や施薬院(せやくいん)の設備も、貧窮者に対する救済策として知られる。本居内遠(もとおりうちとお)の『賤者考(せんじゃこう)』によれば、乞食は一つに袖(そで)乞いともいい、貧民が面を覆い往来で哀れみを乞う者であるが、これには偽者がままあると記している。京都、江戸、名古屋などでは官がお救(すくい)小屋というものを建てて、そこに貧窮者を集めたので一名乞食小屋とよばれたとある。
 岡山県では正月にくる乞食に与える団子をホイトダンゴといった。また乞食の名称を付した年中行事が全国各地にみられる。石川県能登(のと)地方、同石川郡、岐阜県高山市高根町日和田などでは、正月20日を乞食正月という。長野県北安曇(きたあずみ)郡では9月29日を乞食の節供(せっく)といって、この日はいっさいの贈答を避ける習わしがあった。この日は刈揚げ節供ともいわれ休日としている所が多いので、ホエト(乞食)も餅(もち)を搗(つ)くという。長崎県五島(ごとう)列島では12月20日を乞食の袋を洗う日といって、女性が洗濯をするのを忌む日としている。[大藤時彦]
『那須宗一・岩井弘融・大橋薫・大藪寿一編『都市病理講座』全4巻(1973~76・誠信書房) ▽右田紀久恵・高沢武司・古川孝順編『社会福祉の歴史』(1977・有斐閣) ▽『吉田久一著作集2 日本貧困史』(1993・川島書店) ▽庄司洋子・杉村宏・藤村正之編『貧困・不平等と社会福祉』(1997・有斐閣) ▽「モノモラヒの話」(『柳田国男全集10 食物と心臓』所収・1998・筑摩書房) ▽社会政策学会編『日雇労働者・ホームレスと現代日本』(1999・御茶の水書房)』

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