仮名遣い(読み)カナヅカイ

デジタル大辞泉 「仮名遣い」の意味・読み・例文・類語

かな‐づかい〔‐づかひ〕【仮名遣い】

個々の語を仮名で表記する場合の、同音の仮名の使い分けの決まり。使い分けの規準のちがいによって、歴史的仮名遣いと表音式仮名遣いとに分かれる。仮名は表音文字であるから、仮名の成立時にはそれぞれの仮名が発音の差を表していたが、音変化にともなって、表記した仮名と現実の発音との間にずれが生じ、仮名の使い分けが必要となって、規準が作られた。→現代仮名遣い表音式仮名遣い歴史的仮名遣い
仮名を用いて文章を書き表す方法。仮名文字の使い方。
「此の日の本の―千言玉をつらぬるも、心を顕すこと読みなす文字のてにはに有り」〈浄・聖徳太子
[類語]歴史的仮名遣い旧仮名遣い現代仮名遣い新仮名遣い

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精選版 日本国語大辞典 「仮名遣い」の意味・読み・例文・類語

かな‐づかい‥づかひ【仮名遣】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 日本語をかなで書き表わす時、同音のかなの使い分け。また、その使い分けについて示した規範。歴史的(古典)かなづかい字音かなづかい現代かなづかいなど。
    1. [初出の実例]「歌も連歌も勿論かなつかひ句ぎり清濁にて事の外にちがふ事じゃ」(出典:寒川入道筆記(1613頃)歌連歌同時聯句之事)
    2. 「仮字用格(カナヅカヒ)のこと、大かた天暦のころより、以徃(あなた)の書どもはみな正しくて、〈略〉みだれ誤りたること一つもなし」(出典:古事記伝(1798)一)
  3. 文字や文章の書き方。また、ことばの表現方法。
    1. [初出の実例]「文かくにだに仮名遣(カナヅカヒ)はあらたむべき事なるに」(出典:評判記・色道大鏡(1678)九)
  4. 万葉仮名のように、漢字を表音文字として用いること。
    1. [初出の実例]「呴犂湖 日本の仮名つかいのやうにつけをいた名ぢゃぞ」(出典:史記抄(1477)一五)

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改訂新版 世界大百科事典 「仮名遣い」の意味・わかりやすい解説

仮名遣い (かなづかい)

仮名の正しい使い方。同じ音を表す仮名が二つ以上ある場合に,どちらの仮名を用いて国語を書くのが正しいかを定める定め方で,鎌倉時代以後から意識的な問題となった。江戸時代以後には漢字の字音をどんな仮名で表すかも問題とされるようになったが,それは字音仮名遣いという。最初に仮名遣いを意識的に取り上げた藤原定家の仮名遣いを〈定家仮名遣い〉という。それをうけて世に広めた〈行阿(ぎようあ)仮名遣い〉を批評して,上代の万葉仮名に根拠を求めた契沖の仮名遣いを〈古典仮名遣い〉〈復古仮名遣い〉または,〈歴史的仮名遣い〉と呼ぶ。これをさらに現代語の音声にもとづいて第2次世界大戦後,改定実行した仮名遣いを〈現代かなづかい〉または〈新かなづかい〉という。

弘法大師の作と信じられていた〈いろは歌〉が,院政時代以降,手習いの初めに用いられ,その中の47字の仮名が区別すべき別々の仮名と思われるようになった。しかし音韻の時代的変化の結果,〈お〉〈を〉は同音となり,〈え〉〈ゑ〉〈へ〉,〈い〉〈ゐ〉〈ひ〉も混同するようになった。そこで藤原定家は,これらをなにかの規準によって使い分けるべきであると考え,〈お〉と〈を〉とは,言葉のアクセントの低いと高いとによって使い分け,他は古文献の例によるという規準を立てて,みずから実行した。この規準は《色葉字類抄(いろはじるいしよう)》という当時の辞書の語の掲出のしかたにヒントを得たらしいが,定家は少しばかりの実例をあげた《僻案(へきあん)》という簡単な冊子を書いて人に示した(この冊子は普通は《下官集(げかんしゆう)》と呼ばれている)。定家は仮名遣いの原理を詳しく説明しなかったが,歌道における藤原定家の盛名によって,この仮名使用法は,和歌や物語類を平仮名で記す作法として世に行われるようになった。

南北朝のころ,源知行(出家して行阿と号する)は,定家が問題とした8種の仮名のほか,〈は〉〈〉,〈ふ〉〈う〉などの項目と,多くの,語例とを増加して《仮名文字遣》を著した。《僻案》は限られた人々にしか知られなかったが,《仮名文字遣》は広く行われて,これが世に定家卿の仮名遣いと認められた。行阿の時代のアクセントは,定家の時代のアクセントと年代の差による相違があり,定家のころ低いアクセントであった音が行阿のころには高いアクセントになったものがあるため,原理は同じでも定家の決定した仮名遣いと行阿の仮名遣いとでは相違が少なくない。定家が定めた〈お〉は低く,〈を〉は高いアクセントによるという原理は一般の人々に理解されなくなり,南北朝時代の長慶天皇は《仙源抄(せんげんしよう)》で定家仮名遣いを非難し,仮名遣いには定まった法はないと述べ,僧成俊は《万葉集》の注釈によって,定家仮名遣いが《万葉集》の仮名用法に合致しないことを示したが,歌壇では行阿の仮名遣いが,定家の権威によって広く行われていた。ただし僧など歌壇の外にいる人々や,片仮名では,この仮名遣いを守っていない。

江戸時代に入って古い伝統に対する自由な討究の学風が起こり,僧契沖は《万葉集》の研究によってその仮名使用に統一あることを知り,江戸時代のアクセントによっては統一的説明が不可能になっていた定家仮名遣いを不合理なものと断定して,《万葉集》を中心とする古代の仮名用法に従うべきであるとして,みずから《万葉代匠記》に用い,後に《和字正濫鈔(わじしようらんしよう)》(1695),《和字正濫通妨抄(つうぼうしよう)》(1697稿),《和字正濫要略》(1698稿)を著して世に広めた。橘成員が《倭字古今通例全書(わじここんつうれいぜんしよ)》を著してこれに反対したが,論拠が弱く,国学者はこれを相手とせず契沖の説を用い,契沖の説を補って《古言梯(こげんてい)》(楫取魚彦(かとりなひこ)著)が刊行された。《古言梯》はすべて古典に根拠を求めて実例を示したので,契沖の説を奉ずる国学者の間に大いに広まった。堂上の歌人は依然として定家流の仮名遣いを用い,一般民衆の読みものでは一定した仮名遣いはなかったが,明治時代になると国学者が政府の文教の府を左右したので,契沖の仮名遣いが歴史的仮名遣いとして正式の文書や初等教育にまで取り入れられるようになった。また江戸時代の国学者の中には,契沖の学問をついで万葉仮名の用法を詳しく調査し,従来知られていなかった万葉仮名使用上の区別が奈良時代の文献にあることを明らかにし,万葉仮名によって擬古文を記すときの規範にすべきだと考えたものがある。石塚竜麿の《仮字遣奥山路(かなづかいおくのやまみち)》,草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)の《古言別音鈔(こげんべつおんしよう)》,奥村栄実の《古言衣延弁(こげんええべん)》などがそれである。しかし,これは世間に一般的な影響を与えるほどには広まらなかった。

契沖の提唱した仮名遣いは,1200年前の表音的な用字法を典拠とするものであるから,明治時代の言葉の音韻とは相違するところが少なくない。たとえば,今日(きよう)を〈けふ〉と書き,葵(あおい)を〈あふひ〉と書き,ワ行に活用する動詞の活用語尾をハ,ヒ,フ,ヘで書くなど,これらを正式な仮名用法として初等教育に課することは無理と考えられた。そこで1883年(明治16)〈かなのくわい〉は仮名文字専用論とともに発音的仮名遣いにすべきことを唱え,東京文科大学の言語学,国語学の教授上田万年(かずとし)も,ヨーロッパの綴字法(てつじほう)の変遷を見て発音式の仮名遣いを用いるべきであると考えた。1900年小学校においては表音的な字音仮名遣いを実施し,08年にはすべて表音的な仮名遣いにしようとしたが,保守的な思想の人々はこぞって反対し,ついに契沖仮名遣いに復帰した。その後も絶えず表音的仮名遣いにすべしとする運動が続いたが,ついに第2次世界大戦に敗れるまで,改定は実行されなかった。戦後,〈現代かなづかい〉としてようやく表音的仮名遣いが内閣訓令として公用文に用いられ,新聞・雑誌に行われ,また教科書にも用いるようになり,世間の大勢を制した。ただしその決定に問題があるため種々の反対論を生み,一部の学者は依然としてこれに従っていない。
現代かなづかい →国語国字問題
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「仮名遣い」の意味・わかりやすい解説

仮名遣い
かなづかい

「仮名の遣い方」の意であるが、大別して二つの用法がある。第一は、仮名が実際にどのように使用されてきたかという事実であり、第二は、ある語を仮名で書くにあたって、2通り以上の書き方が可能な場合に、そのうちのどれを正しいとすべきかという規範である。第一の意味としては、上代(奈良時代)に用いられた万葉仮名の用法のなかで、エキケコソトノヒヘミメヨロの13の仮名が、語によってそれぞれ、甲乙2類のうちのどちらかを用いるように定まっていたという「上代特殊仮名遣(づかい)」の現象とか、平安時代の末ごろの平仮名の仮名遣いとかいう場合がそれである。第二の意味としては、現在一般に通用している「現代かなづかい」や、現在も古文などに用いられ、以前は一般に使用されていた「歴史的仮名遣」(旧仮名遣い)などがそれである。

 仮名遣いの第一の意味は、古く文献が発生したときから以後、各時代にわたって存在したが、第二の意味によるものは、奈良時代・平安時代にはその確かな例がみえず、鎌倉時代に入って、藤原定家(ていか)が定めたとされる「定家仮名遣い」がその最初とみられる。それを記した書のなかで最古のものとされるのは『下官(げかん)集』で、中世以後広く行われた『仮字(かな)文字遣』(行阿(ぎょうあ))は、それを増補したものと考えられる。その内容は、「お」と「を」、「へ」と「え」と「ゑ」、「ひ」と「ゐ」と「い」などの項目をたて、各項目の下にその仮名を含む語を示した語例集であるが、その規準は一種の歴史的仮名遣いであって、定家よりすこし前、おそらく12世紀ごろの文献を典拠にしたものと思われる。そのなかで、語頭の「お」と「を」とはアクセントの高低によって区別したもので、高い音節を「を」、低い音節を「お」と記したが、その方式はすでに橘忠兼(たちばなのただかね)の『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』や、僧重誉の『大般若経音義(だいはんにゃきょうおんぎ)』などにもすでにみられるから、定家はそれらの前例を採用したのであろう。その後、和歌・連歌の規式の発達につれて、『人丸秘鈔(ひとまるひしょう)』『後普光園院御抄(ごふこうえんいんみしょう)』『仮名遣近道』『一歩』などの仮名遣い書が現れたが、鎌倉時代中期以後になると、アクセントの歴史的変化がおこり、アクセントの型が変わった語が生じたために、前述の「を」「お」の書き分けの規準が混乱してしまった。南北朝時代に、長慶(ちょうけい)天皇は、定家の仮名遣いがアクセントに符合しないことを批判したが、その説は一般に普及しなかった。近世に入り元禄(げんろく)(1688~1704)のころ、僧契沖(けいちゅう)は、上代の文献を研究している間に、平安中期以前の文献では、「いろは」47文字の区別があって、すべての語について整然と使い分けられていることを発見し、それこそが仮名遣いの規準であると考えて、元禄6年に『和字正濫鈔(しょうらんしょう)』5巻を著した。この書は、「い」「ゐ」「ひ」「を」「お」「ほ」「え」「ゑ」「へ」などの項目をたて、各項目ごとにいろは順に語を配列し、各語にその典拠を示したものである。ついで元禄11年『和字正濫要略』1巻を著し、「正濫鈔」のなかから語を抄出して詳しい考証を付した。元禄9年に橘成員(たちばななりかず)は『倭字(わじ)古今通例全書』を刊行したが、契沖はそれが『和字正濫鈔』を誹謗(ひぼう)したものと考え、『和字正濫通妨抄』5巻を著して激越な論調でこれを反駁(はんばく)した。これら契沖の著書のうち、「通妨抄」は流布した形跡がないが、「正濫鈔」は版を重ね、「要略」は刊行こそされなかったが写本によって流布した。そして、その典拠が古代文献の仮名の用法に合致しているため、それらの考究を目的とする国学の派の人々の間を中心に広まった。その後、楫取魚彦(かとりなひこ)は、掲語を五十音順に改編し、『新撰字鏡(しんせんじきょう)』など古代文献の用例を増補して『古言梯(こげんてい)』1巻を著した。この仮名遣いは、古代の日本を研究する国学者の流派を中心として行われたが、世間一般ではかならずしも使用されず、仏教の僧侶(そうりょ)や漢学者の間をはじめ、古来の伝統を守る和歌の流の人々などにも行われなかった。

 明治維新以後、庶民一般にまで教育制度が普及し、また新聞雑誌などの印刷文化が発達するにつれて、教科書や印刷物などにこの歴史的仮名遣いが規準として採用され、世間全般に急速に広まった。しかし、それは「いろは」47文字を基準とするもので、国語史的にみれば、10世紀のころの発音によっており、その後、国語の音韻は大幅に変化したから、ことに近世以後になると、発音との隔たりが大きく、当時のことばを書くには、語ごとにいちいち記憶しなければならないなど、不便な点が多かった。ことに漢字の字音の仮名遣いについては、契沖が着目した古代文献のなかにその仮名書きの例が乏しいために、江戸時代中期以後、僧文雄(もんのう)、太田全斎、本居宣長(もとおりのりなが)、関政方(まさみち)、白井寛蔭(ひろかげ)などの字音研究によって、『韻鏡(いんきょう)』などを根拠にして大綱はつくられたものの、問題点が多く残されていた。このような風潮のなかで、1897年(明治30)になると、仮名遣いを現代語音によったものに改めようとする運動がおこり、1900年(明治33)「小学校令施行規則」によって、「おー」「こー」のようないわゆる「棒引仮名遣」が公布され、教科書にも適用されたが、批判が強く、08年には廃止され、世間にはあまり広まらなかった。24年(大正13)臨時国語調査会の仮名遣改定案が発表されたが、強い反対意見があった。その後、新たに設置された国語調査会は、42年(昭和17)「新字音仮名遣表」を発表したが、戦時下のため行われなかった。

 第二次世界大戦終了後、社会の大変革のなかで、1946年(昭和21)「現代かなづかい」が成立した。これは「当用漢字」1850字とともに内閣訓令として公布されたものであったが、学校教科書、新聞雑誌をはじめとして世間一般に急速に広まった。これは「新仮名遣い」とよばれ、従来の仮名遣いは「旧仮名遣い」として、教科書などにみられる文語文や一部の人々の間だけに残るに至り、明治以後の文学作品などまで新方式に改められるようになった。「現代かなづかい」の規則は、従前の「旧仮名遣」を基にしてそれを改める形をとっており、助詞の「を」「は」「へ」を旧の形のままで認めたり、「みかき」(三日月)や「ちむ」(縮む)のような「づ」「ぢ」などを連濁や連呼の際に残すなど、純粋に表音的ではなく、旧方式からの過渡的要素をも含んでいる。また、その規則の構成のなかで不整備の点があり、それらを含めて再検討の要望も生じてきている。

[築島 裕]

『山田孝雄著『仮名遣の歴史』(1929・宝文館)』『木枝増一著『仮名遣研究史』(1933・賛精社)』『橋本進吉著『文字及び仮名遣の研究』(1949・岩波書店)』『大野晋著『仮名遣と上代語』(1982・岩波書店)』『尚学図書編・刊『新しい国語の表記』(1985)』


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百科事典マイペディア 「仮名遣い」の意味・わかりやすい解説

仮名遣い【かなづかい】

仮名の正しい使い方。上代の日本語においては88の音節が区別されたが(上代特殊仮名遣い),次第に減少し,10世紀ころに清音47,濁音20となり,いろは歌に反映されるような音韻体系をなした。しかしこのうち,さらに同音に帰したものが生じたため,仮名遣いの混乱がはなはだしくなり,鎌倉時代から規範としての仮名遣いが意識的な問題として取り上げられるようになった。まず藤原定家が主として古文献によって〈定家仮名遣い〉を示し,それを受けた源知行(行阿)の《仮名文字遣い》等によって広まったが,江戸時代に至って契沖がこれを批判し,平安初期以前に証を求めた〈契沖仮名遣い〉を唱えて普及し,戦後表音的仮名遣いである〈現代かなづかい〉が用いられるまで続いた。
→関連項目上田万年正書法ハ行転呼音平仮名村田春海四つ仮名歴史的仮名遣い

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世界大百科事典(旧版)内の仮名遣いの言及

【国語学】より

…このいろは歌は,仮名の学習にあたって必ず学ばれ,やがて,弘法大師の作であるとの伝説によってますます重んぜられるにいたった。このような関係から,いろは歌は,仮名遣いの問題を引き起こすもととなった。すなわち,時代の推移につれ,日本語の発音に変化が生じ,いろは歌では区別されている仮名のうち,その書き分けについて疑問となるものが出てきたのである。…

【国語国字問題】より


[問題の発生]
 明治初年ヨーロッパと交通が開けてみると,アルファベットの簡単な西洋語にくらべて,日本語が多くの漢字を学習せねばならず,文字学習の負担が大きいことを見て,これを改革しなければならないと考える人々が現れた。それとともに仮名遣いや送り仮名法の問題も考えられ,江戸時代封建制度の下にはなはだしくなった各地の方言を統一して一つの標準語を確立しなければならなくなった。これらが国語国字問題発生の原因である。…

【正書法】より

…日本では,〈正字法〉から憶測して漢字の一点一画の正しい書き方と考える人もいるが,それは適当ではない。仮名だけで書くときの仮名遣いの基準,ローマ字だけで書くときのローマ字のつづり方,および分かち書きの基準のことと考えるのが適当である。しかし,最近では,その範囲を広げて,ある語またはその部分を漢字で書くか,仮名で書くか,どの漢字を使うかなどの基準も含めて考えるようになった。…

【日本語】より

…日本語はユーラシア大陸の東の端に浮かぶ日本列島(北海道,本州,四国,九州などからなる〈本土列島〉と琉球列島)において,1億2000万の住民により話されている言語である。話し手の数の点からだけ言えば,世界における〈有力な言語〉の一つであると言うこともできるが,これらの島の中で,他民族の言語と境を接することがなく,ほぼ日本国の単一言語として使用されているので,日本語は主としてその分布のあり方の面で〈島国の言語〉という特殊性をもっている。…

【文字】より

…言語を視覚的に表す記号の体系をいう。
【音声言語と文字言語】
 言語行動には,音声を素材とする〈音声言語行動〉と,文字を素材とする〈文字言語行動〉とがある。古くは,両者は十分に区別して考察されることがなかったが,両者の差異がしだいに明らかにされてからは,一般に言語あるいは言語行動という場合には主として音声言語ないしは音声言語行動をさしていうのが普通で,文字を媒介として成立する文字言語(行動)は言語の研究において第二義的な位置が与えられてきた。…

※「仮名遣い」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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