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国衙領や荘園の中での領主の直営地。元来佃(たづく)る=耕作するという意から転じて営田の意となった。9世紀中葉以降,諸史料に散見する。佃の特質として,(1)一定の地域内に熟田が選定される,(2)耕作に必要な種子・農料が領主から支給される,(3)佃の耕作は農民の夫役により行われ,収穫の大部分が領主の得分になる,などの諸点をあげうる。8~9世紀の初期荘園においては班田農民による賃租方式以外に,耕作者に日当と食料を支払い,領主が全収穫を得る佃方式もあった。平安中期以降には農民の個別経営の展開に伴い佃主が農民にこれを請作させる場合が生じた。これは,本来耕作者に与えるべき種子・農料を支給せず,その代り佃耕作者から農料を除いた部分を収得するシステムであった。こうした傾向がさらに進むと,佃はもはや領主の直営地としてその全収穫を収得しうる一色田としての性格を失っていく。平安末期以降の名役佃(みようやくつくだ)はこれを示す。これは名主が名田を認められる代償として佃の経営にあたるもので,段別1石5斗~2石の高斗代ではあったが,その収穫の一部を名主自身が収益となしうる可能性を有するものであった。一般に初期荘園段階における佃の割合は全荘田の2~6割を占め,領主直営地としての意味も大きかったが,平安末~鎌倉時代にかけては,佃の割合は減少し,荘園によっては1割にも満たないものもあった。このように佃は時代とともに減少し,それに伴ってその性格もさらに変化する。中世の土地台帳によると佃は各名田ごとに平均に割り当てられることが多く,耕作の責任者は名主であった。もちろんこの段階の佃も高斗代であったことに変りはないが,領主の直営地という性格はうすれ,名田との同質化が進み,やがて名田と同様の負担を負う地種に変化する。
→正作(しょうさく)
執筆者:関 幸彦
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国衙(こくが)領における国司・郡司・郷司、荘園(しょうえん)における領家・預所(あずかりどころ)・下司(げし)・地頭(じとう)らの直営田。正作(しょうさく)、用作ともよび、地味の肥えた良田に設定された。経営形態により4種類に分けられる。(1)平安初期の荘園の直営田のように、農民に手間賃(功(こう)という)も食料も支給せず、全収穫を領主が収取するもの(初期佃)。(2)規定の段別穫稲数を低く定めて、実際の収穫量との差額を農民の所得とするもので、佃を預作(よさく)または請作(うけさく)するという(請作佃)。(3)佃の耕作を名役(みょうやく)として名田に割り当てるもの(名役佃)。このうち、種子・農料を給付せず、領主が全収穫を収取するものを空(から)佃と称する。(4)名田と同質化して、年貢・公事(くじ)を収取されるもの。ただし年貢率は一般の名田より高いが、すでに佃本来の性質を失っている(平田(へいでん)佃)。佃は年貢(斗代(とだい))を出さないという意味で、領主の土地台帳である検注帳では「除分」扱いになっていた。
[阿部 猛]
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農民の夫役労働にもとづく荘園領主や預所(あずかりどころ)の直営田。早い例では,9世紀後半の近江国愛智(えち)荘で荘田の1~2割程度の荘佃がみられる。13世紀以降の名(みょう)体制下では,佃が名にほぼ均等に設定される場合もあった。水旱損の少ない熟田(じゅくでん)が多く,一般の田地とちがって領主から種子・農料(のうりょう)が支給されるかわりに収穫の大半を徴収された。公事(くじ)・臨時課役などが賦課されない一色田(いっしきでん)だが,南北朝期以降には売買の対象にもなった。
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