国木田独歩(読み)くにきだどっぽ

精選版 日本国語大辞典 「国木田独歩」の意味・読み・例文・類語

くにきだ‐どっぽ【国木田独歩】

詩人、小説家。本名哲夫。千葉県に生まれる。日清戦争従軍記者として活躍。抒情詩人、浪漫主義的作家として出発し、自然主義文学の先駆となる。著作「源おぢ」「武蔵野」「空知川の岸辺」「牛肉と馬鈴薯」「運命論者」など。明治四~四一年(一八七一‐一九〇八

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デジタル大辞泉 「国木田独歩」の意味・読み・例文・類語

くにきだ‐どっぽ〔‐ドクホ〕【国木田独歩】

[1871~1908]詩人・小説家。千葉の生まれ。本名、哲夫。新体詩から小説に転じ、自然主義文学の先駆となる。代表作武蔵野」「源叔父」「牛肉と馬鈴薯」「運命論者」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国木田独歩」の意味・わかりやすい解説

国木田独歩
くにきだどっぽ
(1871―1908)

詩人、小説家。明治4年7月15日、千葉県銚子(ちょうし)生まれ。幼名亀吉(かめきち)、本名哲夫(てつお)。播州(ばんしゅう)(兵庫県)龍野(たつの)藩士専八の子。母まんの連れ子説もある。1876年(明治9)、父の山口裁判所勤務のため山口に移住。1887年、山口中学校を退学し上京。1888年、東京専門学校(現早稲田(わせだ)大学)英語普通科に入学したが、1891年退学。同年1月、一番町教会において植村正久(まさひさ)により受洗。5月、山口に帰り、吉田松陰(しょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)に倣い、田布施に波野(はの)英学塾を開いた。1892年ふたたび上京し、青年文学会で活躍。そのころ、独歩文学に大きな影響のあった『ワーズワース詩集』を入手している。その後、大分県佐伯(さいき)の鶴谷(つるや)学館の教師として約1年過ごし、自然と人間生存との思索を深めた。1894年、上京し国民新聞社入社。日清(にっしん)戦争起こり、従軍記者として活躍。弟収二にあてた形式の通信文は親しみのこもった筆致で生彩を放ち、のち『愛弟通信』(1908)にまとめられた。1895年、佐々城信子(ささきのぶこ)(有島武郎(たけお)の小説『或(あ)る女』のモデル)と知り合い、周囲の反対を押し切り、北海道開拓の希望も捨てて結婚するが、5か月で信子は失踪(しっそう)し、1896年4月離婚した。

 その年の9月から渋谷に住み、このころツルゲーネフに親しみ、『武蔵野(むさしの)』を構想する。1897年4月、田山花袋(かたい)、太田玉茗(ぎょくめい)、松岡国男(くにお)(柳田国男(やなぎたくにお))、宮崎湖処子(こしょし)らとの共著詩集『抒情詩(じょじょうし)』に、「山林に自由存す」を含む『独歩吟』を発表。なお、1893年から1897年にかけての生活と思索は、日記『欺(あざむ)かざるの記』(1908~09)に詳しい。処女小説『源叔父(げんおじ)』(1897)を発表。1898年『今の武蔵野』『忘れえぬ人々』『鹿(しか)狩』など浪漫(ろうまん)的な作品を発表。1901年(明治34)これらを収めた『武蔵野』を出版する。この間、報知新聞や民声新報に入社するが、ほどなく退社。『牛肉と馬鈴薯(じゃがいも)』(1901)、『酒中日記』『空知川(そらちがわ)の岸辺』(1902)、『運命論者』(1903)、『春の鳥』(1904)など、主として現実性を追究しようとする作品を発表。これらは『独歩集』(1905)、『運命』(1906)として刊行。のちに、自然主義の作品として高く評価された。とくに『運命』は独歩の文壇的声価を高めた。1902年末、敬業社(のち近事画報社)に入社。この後を受けて独歩社をおこすが、経営悪化で1907年に破産。過労のため健康も優れぬなかで、『窮死』(1907)、『竹の木戸』(1908)などの現実を凝視した佳作を発表。明治41年6月23日、茅ヶ崎(ちがさき)の南湖院で死去。

[中島礼子]

『『定本 国木田独歩全集』10巻・別巻1(1978・学習研究社)』『小野茂樹著『若き日の国木田独歩――佐伯時代の研究』(1959・アポロン社)』『坂本浩著『国木田独歩』(1969・有精堂出版)』『桑原伸一著『国木田独歩――山口時代の研究』(1972・笠間書院)』


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百科事典マイペディア 「国木田独歩」の意味・わかりやすい解説

国木田独歩【くにきだどっぽ】

明治期の小説家,詩人。幼名亀吉,のち哲夫と改名。千葉県銚子生まれ。東京専門学校中退。1891年植村正久より受洗。1894年国民新聞に入社,日清戦争に従軍し《愛弟通信》で名をなす。1892年佐々城信子と結婚,翌年離婚。1897年小説《源叔父》を書き,また田山花袋柳田国男らとの合著《抒情詩》に〈独歩吟〉を載せ,浪漫主義の詩人,小説家として出発。このころまでの日記に没後公刊の《欺かざるの記》がある。ツルゲーネフ,ワーズワスらの影響を受け,《武蔵野》《春の鳥》を発表。《牛肉と馬鈴薯》のころから写実主義に傾き,《正直者》などで自然主義の先駆となる。ほかに《運命論者》《竹の木戸》など。
→関連項目或る女新体詩中村武羅夫民友社

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改訂新版 世界大百科事典 「国木田独歩」の意味・わかりやすい解説

国木田独歩 (くにきだどっぽ)
生没年:1871-1908(明治4-41)

詩人,小説家。千葉県生れ。本名哲夫。父専八は播州竜野藩士。明治初年,藩船で漂着した専八と銚子出身の淡路まんとの間に生まれた。幼少年期は山口県で育ち,山口中学を経て,1888年から91年まで東京専門学校(現,早稲田大学)に学ぶ。在学中,《女学雑誌》《青年思海》に投稿。またキリスト教に入信。92年,浪漫主義の同人誌《青年文学》に参加,ワーズワース,カーライルの作品に出会い,精神革命を経験した。93年に起筆した日記《欺かざるの記》は,97年まで続き,明治中期の青年の苦悩とあこがれに表現を与えた。佐伯の鶴谷学館の教師を経て,94年国民新聞社に入社。日清戦争の従軍記者として《愛弟通信》を連載。帰還後佐々城信子と知りあい,はげしい恋愛の末結婚。この結婚は半年で破局を迎えたが,このころから詩人的資質目覚め,民友社系の《国民新聞》《国民之友》に浪漫的な詩を発表。これらは97年,宮崎湖処子,松岡(柳田)国男らとの共著詩集《抒情詩》にまとめられた。同年小説の処女作《源叔父(げんおじ)》を発表。ついで《武蔵野》《忘れえぬ人々》を《国民之友》に発表。これらを収めた短編集《武蔵野》(1901)は浪漫的色彩が強い。《牛肉と馬鈴薯》(1901),《運命論者》(1903),《春の鳥》(1904)など中期作品は,やや現実的傾向を深め,好評を博した。晩年の《窮死》《竹の木戸》(ともに1908)などは,貧民の悲惨な運命を見つめ,自然主義の旗手と目された。自然賛美,人間の運命諦視の裏に小民への愛が一貫し,明治期を代表する短編作家である。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「国木田独歩」の解説

国木田独歩

没年:明治41.6.23(1908)
生年:明治4.7.15(1871.8.30)
明治時代の小説家,詩人,出版者。父専八が銚子に滞在中,宿の手伝いであった母まんとの間に生まれた。幼名亀吉,のち哲夫と改名。明治9(1876)年,裁判所勤めの父の赴任に伴い,山口県内の小学校を転々とするが,18年,山口中学入学,寄宿生活をする。20年,単身上京,翌年,東京専門学校(早大)英語科入学。雑誌に随筆の寄稿を始める。24年,植村正久により洗礼を受ける。同年退学,徴兵検査のため山口に帰るが,不合格。翌年,再び上京。ワーズワースなどに親しみ,自然,田園,山林などへの憧れを強くする。日清戦争勃発とともに国民新聞社に入社,軍艦千代田に従軍記者として乗り込み,『愛弟通信』を送り,好評を博する。28年,『国民之友』『家庭雑誌』の編集にかかわる。佐々城信子と結婚するも,翌年離婚。30年,宮崎湖処子編集の『抒情詩』に「独歩吟」を発表,22篇の詩を収録する。序文において新しい詩の創造を説いたが,事実,「山林に自由存す」は,形式,内容共に明治詩に画期的な一歩を記す作品である。31年,榎本治子と結婚。34年,短編小説集『武蔵野』刊行,評判はまだしもであったが,独歩の自然観を示す記念碑的作品である。新聞記者や編集者を経て,35年,矢野竜渓の敬業社に入社,『近事画報』(のち『戦時画報』に改め)で日露戦争の記事を報道し,一時は隆盛だったが,40年に破産。そのころから結核を患いはじめ,湯河原などで療養したが,41年,茅ケ崎の南湖院で没した。他の代表作に『独歩集』(1905),『運命』(1906)などがある。<参考文献>中島健蔵『国木田独歩の人と作品』(『近代文学鑑賞講座』7巻)

(及川茂)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国木田独歩」の意味・わかりやすい解説

国木田独歩
くにきだどっぽ

[生]明治4(1871).7.15. 銚子
[没]1908.6.23. 茅ヶ崎
詩人,小説家。本名,哲夫。東京専門学校を中退 (1891) し,英語教師などを経て新聞記者として日清戦争に従軍,『国民新聞』に連載された『愛弟通信』 (1894~95) の清新な文章が好評を博した。さらに『独歩吟』 (1897) ,『第二独歩吟』 (1897) などの新体詩を発表。小説では,代表作『武蔵野』をはじめ『源叔父』 (1897) ,『忘れ得ぬ人々』 (1898) など 18編収載の『武蔵野』 (1901) を経て,『牛肉と馬鈴薯』 (1901) ,『春の鳥』 (1904) など9編収載の『独歩集』 (1905) や,『巡査』 (1902) ,『空知川の岸辺』 (1902) など9編所載の『運命』 (1906) などの刊行により文壇的地歩を築いた。しかしその間,失恋と貧窮の生活が続いて健康を害し,島崎藤村と並ぶ新時代の文学の担い手と目されながら結核に倒れた。社会的な視野を導入して円熟の境地を開いた『窮死』 (1907) ,『竹の木戸』 (1908) など 10編収載の『独歩集第二』 (1908) ,自己観照に富む日記『欺かざるの記』 (1908~09) その他が死後続々出版されて,自然主義の先駆者としての不動の声価を定めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国木田独歩」の解説

国木田独歩 くにきだ-どっぽ

1871-1908 明治時代の詩人,小説家。
明治4年7月15日生まれ。植村正久から受洗。明治27年国民新聞記者として日清戦争に従軍。30年共著の詩集「抒情詩」に「独歩吟」をまとめる。ついで「源叔父」「武蔵野」などの浪漫(ろうまん)的な短編小説をかく。34年「牛肉と馬鈴薯」を発表,自然主義の先がけとして評価された。明治41年6月23日死去。38歳。千葉県出身。東京専門学校(現早大)中退。本名は哲夫。
【格言など】山林に自由存す われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ(「抒情詩」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国木田独歩」の解説

国木田独歩
くにきだどっぽ

1871.7.15~1908.6.23

明治期の詩人・小説家。本名哲夫。千葉県出身。東京専門学校中退。青年期に民友社系の文学者と交流。ワーズワースなどイギリス・ロマン主義文学の影響をうけ,1898年(明治31)に発表した「今の武蔵野」(のち「武蔵野」)で新しい自然描写を試みたのち,約10年間にわたって短編小説を発表。文学史では浪漫主義作家にして自然主義の先駆と位置づけられる。代表作「独歩吟」「牛肉と馬鈴薯」「運命論者」「窮死」「竹の木戸」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国木田独歩」の解説

国木田独歩
くにきだどっぽ

1871〜1908
明治時代の小説家・詩人
本名は哲夫。千葉県の生まれ。東京専門学校(現早稲田大学)在学中洗礼をうけた。初め詩や詩的散文『武蔵野』,また『春の鳥』『牛肉と馬鈴薯』のようなロマン主義的作品を書いた。のち自然主義に近づき『窮死』『竹の木戸』などを発表。晩年,世相批判の傾向を示した。

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世界大百科事典(旧版)内の国木田独歩の言及

【キリスト教文学】より

…これと相対立したのが《文学界》一派,特に北村透谷であり,愛山との間に文学の〈人生に相渉るとは何の謂ぞ〉という問題をめぐっていわゆる〈人生相渉論争〉が展開するが,その応酬のなかで透谷は文学の自律を説き,《内部生命論》(1893)を著した。 ここにも明らかなごとく明治20年代より盛んとなった自由主義神学,さらにはユニテリアンの思想は透谷をはじめ島崎藤村,国木田独歩らにも深い影響を与え,日本の土着の心性ともからんで一種の汎神論的思想や運命論的諦観へと彼らを傾斜させた。これは彼らに最も影響を与えたカーライル,エマソン,ワーズワースなどの受容にあたって,その深い文明批判の波をくぐった思想性・形而上性よりも,より主情的なものに傾いたことにもうかがえる。…

【佐伯[市]】より

…第2次大戦前は海軍の基地があり,戦後,これらの施設跡にパルプ,造船などの工場が進出,そのほか海崎(かいざき)地区に合板,セメントの工場も立地して工業都市となったが,低成長下にセメントを除き経営不振におちいり,合板工場は廃止された。国木田独歩は1893年から約1年間佐伯に教師として赴任したが,小説《源をぢ》《春の鳥》はこの地を舞台としている。【勝目 忍】。…

【自然主義】より

…島崎藤村の《破戒》(1906)と田山花袋の《蒲団(ふとん)》(1907)がその記念碑的な作品である。先駆的存在として,小民(庶民)の生活を描き続けた国木田独歩もいた。《破戒》は主題と方法の清新さによって,《蒲団》は実生活の愛欲の赤裸々な告白として,いずれも文壇に大きな衝撃を与えた。…

【婦人画報】より

…1905年7月,国木田独歩が編集責任者を務めていた近事画報社から創刊された月刊女性雑誌。日露戦争前後,女性雑誌が次々と発刊されたが,視覚に訴える画報の形式を取り入れたユニークな女性雑誌として知られた。…

【武蔵野】より

国木田独歩の短編小説。1898年1~2月,《今の武蔵野》の題名で《国民之友》に分載。…

【ワーズワース】より

…最初期には山田美妙,植村正久などの名が挙げられるほか,夏目漱石が《英国詩人の天地山川に対する観念》の中で他の詩人と比較してワーズワースの自然観を的確に把握した。その後,島崎藤村,宮崎湖処子が続くが,より熱烈な傾倒は国木田独歩において顕著であり,論考や注釈のほか,短編小説《春の鳥》(1904)における翻案が見られる。このようなワーズワース熱は,昭和に入って田部重治に受け継がれた。…

※「国木田独歩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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