平安時代後期以降,関東八ヵ国の各地に蟠踞(ばんきよ)した桓武平氏姓の武士団の総称。相模の桓武平氏良茂流の(1)大庭(おおば)氏(高座郡大庭御厨),(2)梶原氏(鎌倉郡梶原郷),(3)長尾氏(同郡長尾村),同じく良茂流の(4)三浦氏(御浦郡),および桓武平氏村岡五郎良文流の(5)中村氏(余綾郡中村荘,のち土肥(どひ)氏,土屋氏,二宮氏を分出),武蔵の良文流の(6)秩父氏(秩父郡,のち小山田(おやまだ)氏,葛西(かさい)氏,河越(かわごえ)氏,豊島(としま)氏,畠山氏などを分出),上総の同じ良文流の(7)上総氏(埴生郡),上総氏と同族で下総の(8)千葉氏(千葉郡千葉荘),以上の8氏をいう。古代中央政府や中央の荘園領主の支配力が強く及ばない坂東諸国では,平忠常の乱後,桓武平氏の諸勢力は一時沈滞したが,白河・鳥羽院政期に,伊勢神宮などの荘園領主や国衙権力と結んで新興の在地中小武士を組織し,大武士団に発展した。こうした豪族的領主は,源平争乱の中で重要な役割を果たし,鎌倉幕府成立の基本要因となった。
執筆者:小田 雄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「はっぺいし」ともいわれる。『太平記』などの軍記物にみえ、しばしば武蔵(むさし)七党と併記される関東地方土着の豪族。『貞丈(ていじょう)雑記』などは上総(かずさ)、千葉、三浦、土肥(どひ)、秩父(ちちぶ)、大庭(おおば)、梶原(かじわら)、長尾の八氏をあげ、一般にこれが用いられているが、『青栗園(せいりつえん)随筆』には別の氏があげられており、この「八」はかならずしも特定の家をさすのではなく、多数を意味するものではなかろうか。いずれにせよ、9世紀末に上総介(すけ)として下向した桓武(かんむ)平氏高望(たかもち)の系譜を引くと称する関東土着の家々である。『貞丈雑記』の八氏は、『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』によれば高望の子の良文(よしぶみ)および良茂(よしもち)の子孫であるが、この平氏系図には混乱があってかならずしも信用できず、14世紀初期には成立している延慶本(えんきょうぼん)『平家物語』『源平闘諍録(とうじょうろく)』では、いずれも良文流として位置づけている。事実はともあれ、高望の子孫でも国香(くにか)―貞盛・繁盛流がここにみえないことは興味深い。
[福田豊彦]
平安後期以後,相模・武蔵・上総・下総一帯に勢力をふるった桓武平氏系の中世武士団の総称。八平氏は後世の呼称で,平良文流の相模中村・土肥・秩父(党)・千葉・上総,平良茂(よしもち)流の三浦,鎌倉党の大庭(おおば)・梶原・長尾などの諸氏をさすが,数え方は一定しない。いずれも1国から数郡規模の大領主で,三浦介・上総介・留守所惣検校など国衙在庁職や郡司職を勤め,職権にもとづいて国内の中小武士団(党)を支配。源頼義以来,源氏棟梁に臣従する諸氏が多く,鎌倉幕府創設の原動力となった。有力な関東御家人を輩出したが,北条氏とその同盟者安達・足利両氏に抑圧されてしだいに勢力を失い,14世紀半ば,平一揆(へいいっき)の敗北により事実上滅亡した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…(3)良茂の子孫は主として相模国の有力武士となり三浦,和田,鎌倉,長尾,梶原,大庭の諸氏があらわれた。のちにこれら東国地方にひろまった桓武平氏のうち,千葉,上総,三浦,土肥,秩父,大庭,梶原,長尾を坂東八平氏といい,また相模の三浦氏,上総の上総氏,下総の千葉氏がそれぞれの国の介を代々世襲したところから,とくに平氏の三介(さんすけ)と呼んだりしている。ただしこれらの称呼はかなり通俗的なもので,その勢力比較にしても歴史的根拠は薄弱である。…
※「坂東八平氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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