大原神社(読み)おおばらじんじや

日本歴史地名大系 「大原神社」の解説

大原神社
おおばらじんじや

[現在地名]三和町字大原

大原の中心集落であるまち鎮座綾部(現綾部市)から須知山しちやま(質山)峠を南下した道は大原神社社頭を通り、東の船井郡に向かう。祭神伊邪那美命・天照大日命・月読命。天一てんいち社とも称す。旧府社。

社伝によると、仁寿二年(八五二)桑田郡樫原かしわら(現北桑田郡美山町)に鎮座したのを初めとする。現在も同地に同名の神社があり、大原ではこの社を元社もとやしろといい、安永(一七七二―八一)頃には神主祭礼に参加したと伝える。

また鎌倉時代に領主大原氏がこの社を信仰し、弘安二年(一二七九)にこの地に移し祀った。その後応永四年(一三九七)に大原雅楽頭が本殿拝殿・舞楽殿などを造立、また近隣の村々の産土大神とするよう命じたという。

近世には綾部藩主九鬼氏の崇敬厚く、社記には寛永一一年(一六三四)社領三石を寄進したのをはじめ、当社で百穀豊穣祈願・祈雨などを行ったこと、明暦三年(一六五七)九鬼隆季による修造、天保一一年(一八四〇)神林に続く山林の寄進などを記す。


大原神社
おおはらじんじや

[現在地名]大原町古町

国道三七三号の東側に鎮座。祭神は大己貴命、旧郷社。例祭は一〇月一五日。「東作誌」に日吉山王宮とみえ、貞治元年(一三六二)銘の梵鐘があったが今は所在不明。その銘文に「作州大原保日吉山王御広前」とある(岡山県金石史)。「美作国神社資料」によれば大原郷の総社で、もとは古町の炭釜ふるまちのすみがま山に社殿があったが、寛平四年(八九二)同じ古町の立畑たてはた山頂に移り、天慶元年(九三八)現在地の朝霧あさぎり山麓に移転したと伝える。山王山さんのうざん(小原城)城主の宇野家貞が当社を尊崇し、文明一二年(一四八〇)社殿と鳥居を造営、社領二町歩・段銭五貫文を寄進したという(同書)


大原神社
おおはらじんじや

[現在地名]君津市平山 宮後

平坦な大原台耕地のほぼ中央にある。老杉がそびえ立ち、鎮守の森をなす。社域は二千一三〇坪。祭神は天児屋根命・天太玉命ほか一一神。旧郷社。本殿・拝殿・神楽殿社務所などがある。社伝によれば、往古南都の春日神社より遷座したという。永禄一〇年(一五六七)二月一八日の社蔵棟札に「奉新再造大原大明神」とみえる。天正五年(一五七七)里見義弘が社殿を造営して神田若干を寄進したといわれ(君津郡誌)、同年と考えられる社蔵再興棟札に地頭里見義広・導師岩田いわた寺某が記される。


大原神社
おおはらじんじや

[現在地名]美山町大字樫原

樫原かしわらの北部の山麓に鎮座。祭神は伊弉冉尊。旧郷社。社伝によると、創祀は孝徳天皇の時代で、丹波六社の一と称するが沿革などは不詳。天田郡大原おおばら神社(現三和町)は本社の分霊を勧請したと伝える。

近世期には園部藩主小出氏累代の祈願所と定まり、毎年使者が奉幣したという。例祭は七月一〇日で、神輿の渡御、曳物の奉献などを行う。氏子は結婚すればこの例祭に一度は奉仕するのが慣例で、これを樫原の鮓講とよんでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大原神社の言及

【三和[町]】より

…冬の農閑期には亀岡市や大阪方面へ出稼ぎに行くことも多い。町域北東部,土師川の支流川合川上流にある大原(おおばら)神社(旧府社)は安産と五穀豊穣の神として広く知られ,社前を流れる川の対岸には古くより産屋(うぶや)があり,神社がその産砂を管理している。土師川沿いに国道9号線が走る。…

※「大原神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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