小豆あんを薄い餅の皮で包んだ菓子。庶民的な餅菓子として愛好され,ゆでたエンドウを餅に入れた豆大福,ヨモギの葉をつきこんだ草大福などもつくられている。室町後期から鶉(うずら)餅という菓子があり,これを焼いたり,焼印を押したりしたものを鶉焼と呼んだ。塩味のあんをたっぷり入れ,丸くふくらんだ形にしていたための名で,のちには腹太(はらぶと)餅ともいった。これを平たくしたのが大福餅である。《宝暦現来集》(1831)は,江戸小石川のある寡婦が1771年(明和8)冬に売り始めた〈おた福餅〉の後身とするが,とにかく寛政年間(1789-1801)にいたって流行し,江戸の町には毎夜〈籠の内へ火鉢を入れ,焼き鍋(なべ)をかけ,その上に餅をならべ〉(《寛政紀聞》)た大福餅売の姿が見られたものであった。《嬉遊笑覧》などによればあんは砂糖を用いるようになったとするが,明治・大正期にはまだ塩あんのものも行われていた。〈大福へ紅がらで書くいせやの賀〉という川柳のように,還暦や喜寿の祝いに〈寿〉の1字を紅で書いてくばり物にすることもあった。なお,江戸初期から京都名物の一つに数えられた大仏餅は,滝沢馬琴が〈江戸の羽二重もちに似て餡(あん)をうちにつゝめり,味ひ甚だ佳なり〉としているように,大福餅の高級品というべきものだったようである。
執筆者:鈴木 晋一
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餅菓子の一種。餅で餡(あん)をくるんだもので、大福長者のように白く福々しい姿が庶民に愛され、大福餅とよばれた。略して大福ともいう。また大福の両面を鉄板で焼いたものを焼き大福というが、昔は焼き大福を大福餅、焼かないものを生(なま)の餡餅といった。餅の皮は薄く、餡を多くした形状から腹太(はらぶと)餅、大腹(だいふく)餅などともいわれたが、当初は塩餡で「あんびん」とも称した。つくられたのは元禄(げんろく)年間(1688~1704)とも明和(めいわ)年間(1764~1772)ともいわれ、餅まんじゅうの名もあった。『寛政(かんせい)紀聞』には、冬の夜寒(よさむ)に焼き大福を売り歩いて好評であったと記されている。大福が甘くなったのは18世紀末という。
[沢 史生]
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…(1)餅菓子 餅,および餅を材料に使うものであるが,現在ではもち米だけでつくるふつうの餅を材料とするものは少なく,多くは糝粉(しんこ),白玉粉,小麦粉,道明寺粉などを主材料とする。ふつうの餅でつくるのは大福餅や萩の餅(ぼた餅)くらいであるが,江戸時代には鶉餅(うずらもち),大仏餅などこの種類のものが多かった。糝粉餅を使うものには鶴の子餅,すあま(州浜),草餅,柏餅,切山椒(きりざんしよう)などがあり,だんご類も多くはこれに属する。…
※「大福餅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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