宮古島(市)(読み)みやこじま

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宮古島(市)
みやこじま

沖縄県先島(さきしま)諸島中の宮古列島にある市。沖縄本島の南西約300キロメートルに位置し、主島の宮古島、伊良部島(いらぶじま)などの島嶼(とうしょ)からなる。2005年(平成17)平良市(ひららし)、宮古郡城辺町(ぐすくべちょう)、下地町(しもじちょう)、伊良部町、上野村(うえのそん)が合併して成立。伊良部島を望む、宮古島の西部に平良港があり、海路で伊良部島、多良間(たらま)島などと結ばれる。市街地は平良港の後背地に発達、国道390号が通り、港を中心に各地へ道路が延びる。平良地区の南方には宮古空港があり、空路で羽田、関西、那覇(なは)、石垣、多良間、中部の各空港とを結んでいる。また伊良部島の下地島(しもじじま)にある下地島空港は、2015年まではパイロット訓練専用空港であった。市域には数百の御嶽(ウタキ、ムトゥ)が確認されており、ツカサを中心とする神女組織と宮古独特の祭祀(さいし)、精神文化が残存する。平良の漲水(ピャルミズ)御嶽は宮古島の創世神話を、伊良部の比屋地(ピャーズ)御嶽は伊良部島の創世神話を伝える。12~15世紀のグスク時代、各地の按司(あじ)(土豪)が覇権を争ったが、高腰(たかうす)按司の拠った高腰城跡(県指定史跡)などの遺跡が残る。16世紀はじめ仲宗根豊見親(なかそねといみやー)が八重山のオヤケアカハチ事件に際して琉球(りゅうきゅう)王府軍の先導役を勤め、宮古の主長に任じられる。仲宗根豊見親は漲水泊(平良港)に面した漲水御嶽側に蔵元(役所)を置き、宮古島を統轄。その子は王府より平良大首里大屋子に任じられ、蔵元を中心に道筋を整備し、以降は現在の平良市街が宮古諸島の政治、経済、社会などの中心地となった。1609年(慶長14)薩摩藩の軍勢が琉球に侵入して支配下に置くと、宮古島は平良、下地(スムズ)、砂川(ウルカ)の3郡(3間切)に分けられ、三頭制支配となり、伊良部島は伊良部首里大屋子が統轄した。以降、江戸時代を通じて薩摩藩からは人頭税(雑穀と反布による納税)が強制された。
 第二次世界大戦では平良に海軍、下地に陸軍の飛行場が設営され、宮古全域に3万余の陸海軍将兵が展開。このため大戦末期には米英軍の猛爆にさらされ、市街地など大半が焼け野原となった。現在は、サトウキビを主体とする農業が基盤で、高野(たかの)漁港、真謝(まじゃ)漁港などを拠点としたカツオ、マグロ漁やモズク、ウミブドウなどの海藻養殖も盛ん。下地島も含めた伊良部島全体が伊良部県立自然公園の指定域で、市域は観光施設も整っており、訪れる観光客も多い。豊見親墓3基は国指定重要文化財、洞井水の大和井(ヤマトウガー)は国指定史跡。下地島の通り池は国指定名勝、天然記念物。宮古島の東平安名崎(岬)(ひがしへんなざき)は国指定名勝。宮古上布(工芸技術)は国指定重要無形文化財。祭祀のパーントゥ(島尻・野原地区)は国指定重要無形民俗文化財ならびに「来訪神:仮面・仮装の神々」を構成する行事の一つとしてユネスコ(国連教育科学文化機関)登録無形文化遺産。宮古のクイチャー、野原のマストリャーなどは国選択無形民俗文化財にそれぞれ指定される。面積204.20平方キロメートル、人口5万1186(2015)。[編集部]

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