日本歴史地名大系 「宮野村」の解説
宮野村
みやのむら
宮野村
みやのむら
宮野村
みやのむら
- 福岡県:八女市
- 宮野村
宮野村
みやのむら
宮野村
みやのむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の故城
、曰
竹上
、天正中保花図四郎左衛門所
居也」と記されている。天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の四国征伐後は加藤嘉明・蒲生忠知の支配を経て松平氏の松山藩領となった。住民の生業は明治一一年(一八七八)の「伊予国風早郡地誌」によれば「男農ヲ業トスル者百十二戸、男漁ヲ業トスル者六戸」で地味は「其土灰色基質悪シ、稲麦蕃薯ノ類ニ宜シ」と記され、蕃薯・薪の生産が多かった。
宮野村
みやのむら
宮野村
みやのむら
宮野村
みやのむら
宮野村
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宮野村
みやのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報