日本歴史地名大系 「小平村」の解説
小平村
おだいらむら
阿武隈高地の山間部、
小平村
こだいらむら
小平村
おひらむら
小平村
こびらむら
- 秋田県:鹿角市
- 小平村
近世初期の「鹿角郡由来記」に「小平村 小平彦次郎領知 本名奈良也 小枝指之末弟也 館有」とみえ、中世後期には開村していた。集落西側舌状台地先端に中世後期の館跡があり、三条の空堀を南北に施し、連郭状の館を構成する。比高はほぼ一五―一六メートル、一、二段の腰郭を南および北側に巡らす。空堀は幅一〇メートル前後で深さは現状で五―六メートル、付近に
小平村
こだいらむら
天正六年(一五七八)上諏訪大宮同前宮造宮帳に「瑞籬一間 志津田郷」のうち「小平之郷」とあるのが文献上の初出であるが、この時は既に甲斐武田氏が佐久郡を制圧していた。
望月氏の全盛期に木曾義仲の軍に加わり、のち源頼朝の下にあって、建久四年(一一九三)八月鶴岡八幡宮放生会における流鏑馬の騎手を務めた(吾妻鏡)望月重隆などがいて、この辺りも望月氏の支配下にあったことは疑いない。
佐久が徳川の手に帰してのち所領変転し、元禄一五年(一七〇二)松平又四郎領(
小平村
こだいらむら
小平村
こだいらむら
小平村
おだいらむら
小平村
こだいらむら
小平村
こだいらむら
小平村
こびらむら
小平村
おたいらむら
小平村
おびらむら
小平村
おびらむら
小平村
こびらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報