この語は,現在知られているかぎりでは奈良時代の747年(天平19)の文書に初めてあらわれており,当時より平安時代初期のころまでは,だいたいにおいて直接的な支配・管理の系統には属さない場・人を意味する語として用いられていたようである。平安時代中期ごろから室町時代にかけては,荘園領主の領地の一部,および,そこに定住することを認められて年貢の代りに雑役を務めた人をさす語として用いられるようになり,以降江戸時代にかけては,とくに賤視された人々の一部,ならびにその集住地をさす語として流布・定着し,近代におよんだものとみられる。このように,律令制のもとに発した散所の語は,長い歴史をもち,最終的には被差別部落の一部をさす語として定着したのであるが,その間の歴史的変遷を,各時代・時期の特質との関係からどのようにとらえるべきかについては,語源論,身分制論,職能論,賤民論,被差別部落形成史等々の見地に立って諸説が出され,さかんな論議がかわされている。
散所が研究の対象として浮かび上がったのは大正期に入ってからで,被差別部落の起源・沿革を学問的に明らかにする必要性が当時の社会においてつよく求められだしたためである。その契機をなしたのは,1915年の森鷗外作《山椒大夫(さんしようだゆう)》であり,安寿(あんじゆ)と厨子王(ずしおう)の物語として古くから人々に親しまれてきた素材を用いたこの小説は,散所を主要な舞台としていた。また同年,民俗学者の柳田国男が《山荘太夫考(さんしようだゆうこう)》を発表して,散所の芸能民について述べたのも,歴史的関心をたかめる一助となったとみられる。これらを受けて,19年には歴史学者の喜田貞吉が雑誌《民族と歴史》に〈特殊部落研究号〉を編み,みずから研究成果を発表して,歴史的探究に先鞭をつけた。ついで昭和期に入り,39年には森末義彰が《散所考》を発表し,これによって本格的な研究が軌道にのった。森末の研究は,中世における散所の存在形態を明らかにするのを主眼とし,関係の史料の博捜と,考証の厳密さとにおいて比類なかったが,散所そのものの定義としては,〈一定の居所なく随所に居住せる浮浪生活者を指す〉とするにとどまり,さらに厳密な定義は,のちの研究の進展にまたねばならなかった。
太平洋戦争の終結による民主主義思想の高揚と部落解放運動の再生は,被差別部落史の研究に新気運の高まりをもたらしたが,古代・中世にわたる領域では林屋辰三郎が54年に《山椒大夫′の原像》《散所--その発生と展開》の2論文を発表し,散所の歴史的研究に一時期を画した。とくに後者では,古代社会における身分的差別が中世社会では地域的表現をとりながら散所と河原(かわら)とに集約されたこと,散所においては地子物(じしもつ)(年貢)を免除される代りに住民の人身的隷属が強いられたこと,さらには散所の民が商人・職人の源流をなし,散所は〈座〉を中心とした商工業の形成の前提条件をなしたこと等々が提唱された。この林屋説は,以後,散所研究はむろんのこと,被差別部落史研究全体に深刻な影響をおよぼしてきている。
69年,脇田晴子はその著《日本中世商業発達史の研究》において林屋説に対する根本的な批判を試みて,散所とは〈本所(ほんじよ)〉に対する〈散在(さんざい)の所〉という意味で,そこに属した人々すべてが賤視(蔑視)されたわけではなかったが(第一次的散所),その後,土地に対する権利をつよめることができなかった人々(非農業民たち)がその居住地域とあわせて賤視の対象となるにいたった(第二次的散所)のであって,後者がいわゆる中世の散所なのだと主張した。これを契機として林屋・脇田双方の間に激しい論争を生むとともに,いっぽうでは散所という語の早期の所出例が発見されたり,律令官職制での中下級官人との関係の深さが説かれたり,また中世前期と後期との〈散所観〉の違い,すなわち,賤視されることのなかった時代から賤視される時代への転換に日本の社会構造そのものの大転換をみとめようとする考え方もあらわれていて,きわめて流動的であるといえよう。
執筆者:横井 清
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本所(ほんじょ)に対しての散所の意で、正規ではない散在の所という意味。それがさす内容は時代によって大きく変化する。律令(りつりょう)官職制では、院宮諸家に賜与された舎人(とねり)、雑色(ぞうしき)などを散所舎人、雑色といい、また、官衙(かんが)に対して、控えの場所を散所といった。ついで荘園(しょうえん)体制下では、権門(けんもん)(院宮諸家)の本家を本所として、散在する荘園的所領、別荘、御願寺(ごがんじ)、津木屋所(つのきやどころ)(材木集積所)、牧(まき)などを散所とよび、そこに付属する寄人(よりゅうど)的な身分を散所雑色などとよんだ。たとえば摂津(せっつ)水成瀬郷(みなせごう)の田堵(たと)は、同時に八幡宮(はちまんぐう)寄人であり、殿下(でんか)散所雑色でもあったし、摂関家大番(せっかんけおおばん)舎人も同様に寄人的存在であった。彼らは奉仕者集団を形成し、夫役(ぶやく)や手工業製品・農産物・商品などの貢進、造船、艤舟(ぎしゅう)、運送など、本所の行事や日常生活に重要な役割を果たした。したがって散所雑色は、田堵、名主(みょうしゅ)層と同一階層の権門寄人であり、これらを卑賤(ひせん)視されたものとする学説があったが、それは妥当ではない。
ところが、鎌倉中末期ごろから、非人(ひにん)、乞食(こじき)などのなかで、非人の古くからの集住地であり、葬送などの独占権をもっていた京都清水(きよみず)坂などを本所として、その本所非人(坂者(さかもの))に対して散所法師、散所の称が使われるようになり、「散所者」「散所」の語は、しだいに被差別民をさす場合が多くなった。鎌倉期の辞書『名語記(みょうごき)』には、「散所ノ乞食法師」「声聞(しょうもん)法師ハ乞食事也(なり)」とみえ、「散所町」は「コシキ町」と表現されている。鎌倉中期以降、声聞師といわれた大道芸人、乞食、ハンセン病者などの集住地が、洛中(らくちゅう)洛外に増加した結果、その集住地は婉曲(えんきょく)な表現として散所とよばれるようになり、その住人は散所法師、散所非人、散所者、散所人といわれるようになった。なお、大和(やまと)国では声聞師、乞食といわれ、散所の語は彼らに使用されていない。洛中の散所は、基本的には検非違使(けびいし)庁の所管に属していたが、諸家や諸寺社が領知を認められて課役を徴収した散所も多い。
[脇田晴子]
『脇田晴子著「散所論」(部落問題研究所編『部落史の研究 前近代編』所収・1978・部落問題研究所出版部)』
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中世後期,京などに散在する非人や声聞師(しょうもじ),癩者などの集団,またはその集住地。もともとは本所に対していい,本来ではない場所を意味した。荘園領主(本所)に対し,その所領や別荘などをいい,権門勢家の正職員に対する各地の増員者を散所雑色(ぞうしき),散所召次(めしつぎ),散所寄人(よりうど)などと称した。中世後期になると,多数の商工業者が営業特権を求めて寄人や神人(じにん)となり新加神人などと称されたため,散所の呼称は廃された。かわりに非人などの賤民集団をさす語になり,その集団の長を散所長者といった。京都の葬送や癩者支配を独占する清水坂非人を本所非人としたため,京中に散在する非人集団は散所非人とよばれた。
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…この生命の転換と更新,それが行われる天王寺という場の構造と論理が,この話の枠組みをなしている。〈さんじょ〉と呼ばれる地名は各地にあり,算所,散所,産所,三荘,山荘などの字を当てているが,この語り物はその〈さんじょ〉に住む遊芸の徒,説経師によって語られたものである。さんじょの太夫が語り歩いたものが,いつか物語の人物名になったものであろう。…
…その内実は種々雑多であって,大寺社に人身的に隷属して〈キヨメ〉(清めの意で,寺社域・道路の汚穢(おわい)を清めたり,葬送行事にかかわる下役を勤めたりする)の雑役に駆使されたり,雑芸で口を糊したりしたものから,物乞いでかろうじて生きた〈乞食〉の集団をなしたものまでをも指しており,これには〈癩者〉(ハンセン病患者)をはじめとする貧窮孤独の病人や身体障害者も含まれ,仏教思想による〈慈善救済〉,具体的には,いわゆる〈施行(せぎよう)〉(施し)の対象となっていたものである。彼ら〈非人〉の多くは,京都(京)の清水坂(きよみずざか)や奈良(南京・南都)の奈良坂など都市の周縁部に位置する交通の要衝や,荘園内に設定された〈散所(さんじよ)〉という地域を根拠地として,〈非人長吏(ちようり)〉や〈散所長者〉による統率・管理のもとで集落生活を営んでいた。さらに鎌倉時代中期には,すでにこの〈キヨメ〉たち(職能の呼称が,それに携わる人の呼称にもなった)は〈えた〉と同一視されており,〈えた〉はまた〈河原のえた〉ともいわれたように〈河原者(かわらもの)〉と一体であったことが知られている。…
※「散所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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