相模原(市)(読み)さがみはら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「相模原(市)」の意味・わかりやすい解説

相模原(市)
さがみはら

神奈川県北部にある市。1954年(昭和29)市制施行。2003年(平成15)中核市に移行。2006年津久井(つくい)郡津久井町、相模湖町(さがみこまち)を編入、2007年同郡城山町(しろやままち)、藤野町(ふじのまち)を編入。なお、この編入に伴い、津久井郡は消滅。2010年(平成22)政令指定都市に移行、緑(みどり)区、中央区、南区の3区が設置された。市域は、北を東京都、西を山梨県と接し、多摩丘陵から相模原台地丹沢山地関東山地にかけての広域にわたり、東部北寄りは境(さかい)川の上流域、ほかは相模川とその支流の上流域に位置する。相模湖と津久井湖を含み、川沿いには河岸段丘が発達する。東部では、相模川がつくった3段の段丘が発達し、相模横山とよばれる丘陵がみられる。中心市街地は相模原台地北部にあり、内陸性工業と住宅の衛星都市として発展してきた。

 JR中央本線・横浜線・相模線と小田急線(小田原線と江ノ島線の分岐点)、京王電鉄相模原線、国道16号、20号(甲州街道)、129号、412号、413号が通じ、中央自動車道の相模湖インターチェンジ、相模湖東出口がある。

 相模川の段丘崖下(がいか)や境川河畔がまず開け、縄文(国指定史跡勝坂遺跡(かっさかいせき)など)、弥生(やよい)、古墳時代(谷原古墳群など)の遺跡が100か所以上みられる。古代には南東の海老名(えびな)地域が相模国府の地として栄えた。鎌倉時代に入って時宗(じしゅう)の開山一遍(いっぺん)が相模川河畔の当麻(たいま)に入り、前後3回もここに滞在し「一所不在」を旨とした一遍としては例外的な長期滞在地となった。そのゆかりで、のち無量光寺(むりょうこうじ)が建てられた。戦国時代には当麻を通る南北道は小田原と関東山地東麓(とうろく)地方との連絡道となり、当麻市場も設けられていた。江戸時代に入ると上溝(かみみぞ)が相模原台地の商取引の中心市場町となり、当麻の機能は人馬継ぎと相模川渡渉の渡頭集落が主となり、市(いち)は衰えて不定期に開かれるにすぎなかった。東部は古くから相模と甲斐(かい)を結ぶ交通の要地をなし、鎌倉時代には三浦一族の筑井義胤(つくいよしたね)が築井城(津久井城)を築いた(城山)。江戸時代に与瀬(よせ)、小原(おばら)、吉野、関野は甲州街道の宿場町であった。養蚕、製糸、絹織が盛んとなり、後期には相模川沿いの中野地区は脇(わき)往還の津久井往来が通じ、地元産の絹(川和縞(かわわじま))などの取引でにぎわっていた。相模川は水運に利用され、通船が河口の須賀(すか)浦(平塚市)へ通じていた。幕末に至って生糸輸出が開けてからは、台地一帯の桑園化が進められて養蚕が盛んとなり、貿易港横浜に近い有力な生糸生産地域となった。1937年(昭和12)以降、相模原台地上には陸軍の諸学校、工廠(こうしょう)、病院などの諸施設が設けられ、軍都化がここの都市化のきっかけとなった。第二次世界大戦後、これらの軍諸施設は米軍に接収され、基地の町となった。

 1954年の市制施行後、1958年には東接の町田市(東京都)とともに首都圏整備法による第一次市街地開発地域に指定され、市街地の造成と住宅・工業両団地の開発が進められた。そしていまは横浜線沿線がおもに工業地域、小田急沿線が住宅地域に変わりつつあり、首都圏内有数の人口急増地域となっている。東京都への通勤者が多い。農業では、かつては養蚕が主産業であったが、近年では露地野菜・果樹栽培や酪農・畜産が営まれ、とくに野菜や果樹の直売が盛ん。特産品の「やまといも」や「スイートコーン」は市場評価も高い。ほかにユズ、クリ、茶、山菜も特産。シイタケ栽培、ユズやウメの加工品開発、観光農業に力を入れている。林業、花卉(かき)や盆栽の生産も行われる。都市化の進行に伴い、遊休農地対策として市民農園や体験農業を推進している。

 国指定史跡として川尻石器時代遺跡(かわしりせっきじだいいせき)、寸沢嵐石器時代遺跡(すあらしせっきじだいいせき)、田名向原遺跡(たなむかいはらいせき)、同重要文化財として石井家住宅(非公開)などがある。相模川河畔の田名はアユ漁の名所、5月5日子供の日前後に行われる新磯地域の「大凧揚げ(おおたこあげ)」は有名。相模ダムが1947年に完成、相模湖周辺は東海自然歩道が通じ、県立相模湖公園・相模湖記念館、美女谷温泉(びじょだにおんせん)、さがみ湖プレジャーフォレスト、石老(せきろう)山など観光地が多く、小原宿の旧本陣(清水家住宅)も公開されている。1965年に城山ダムが完成して津久井湖ができ、釣りやボートなどの湖上スポーツなど観光利用も盛んとなった。周辺に県立津久井湖城山公園がつくられている。道志(どうし)・早戸(はやと)両川は好釣り場。民俗芸能の鳥屋(とや)の獅子舞(ししまい)には神事舞踊の特色がみられ県指定無形民俗文化財、青根の諏訪(すわ)社の大スギは県指定天然記念物である。また、津久井湖畔には尾崎咢堂(がくどう)(尾崎行雄)記念館、峰の薬師東慶寺もある。観光農園の藤野園芸ランド、藤野芸術の家、和竿(わさお)美術館が設けられている。陣馬山(じんば)(855メートル)は奥高尾ハイキングの拠点。ほかに市立博物館、古民家園、相模川自然の村公園などがある。面積328.91平方キロメートル、人口72万5493(2020)。

[浅香幸雄]

『『相模原市史』7冊(1964~1972・相模原市)』


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