立券とは官に届け出て正式の証明書が作られることをいう。律令制下でも田地や家地などを売買したとき券文を立てたが,律令制下では田地の所有者を確定する場合には班田図が最も重視され,10世紀に入って班田図が作成されなくなってから,券文を立てた名儀者が土地所有者とされた。10世紀ごろまで,たとえば橘貞子の名の荘として四至を限って立券した事例がみられるが,これは〈荘〉といっても土地の所有権の公認にすぎず,荘園としての特権は別に官省符が下されて付与された(官省符荘)。11世紀には,荘園とは公験(くげん)を相伝し数代にわたる国司から賦課免除が与えられた実績をもつものとされたが,いうまでもなく太政官が公認した荘園が正統のものであった。土地所有を公認する立券手続が行われ,荘園として賦課免除の特権が付与されることを立券荘号というが,正式には太政官から官使が派遣され国使とともに牓示(ぼうじ)を打つ手続がとられた。たとえば1153年(仁平3)に立券荘号された稲荷社領伊予国山崎荘は,それまで山崎保とよばれて稲荷社が保田から地利を収めていたが,ここに官使が下って牓示を打ち荘園となった。
→荘園
執筆者:坂本 賞三
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荘園に不輸租の特権を与える手続。未墾地を開墾し領有することは、墾田永年私財法以来認められた合法的行為であるが、特権を与えられた寺田以外は輸租田であった。そこで墾田主が権門の場合、政府に申請して不輸租化を実現し、地方豪族はその所領墾田を権門に寄進付託することで不輸租化を図った。ただし農民の小規模墾田はそのまま国衙(こくが)に把握されて国衙領となり、不輸租化される可能性はまずなかった。さて、申請を認めた場合、政府は太政官使(だいじょうかんし)を派遣し、国司・郡司や領主側の使者とともに現地に臨み、立会いの下に、墾田の四至(しいし)(四境)、坪付(つぼつけ)(場所、田畑の種類、面積)を注して券文を立て(つくり)、四至に牓示(ぼうじ)を打ち、また図使に絵図(荘園図)をつくらせた。これを立券荘号といい、券文と絵図は、領主、国衙、民部省にそれぞれ一通ずつ保存され、後証に備えた。これが官省符荘である。しかし官使の派遣は遠隔地の場合不可能で、国衙の判断にゆだねられたこと、また四至内新開田の不輸租化は国司の免判を必要としたこと、などから、平安後期に入ると国符による立荘が増えた。これを国免荘(こくめんのしょう)という。また院政期になると、官使にかわって院使が下り、院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)で不輸が認められた場合もあり、白河(しらかわ)・鳥羽(とば)・後白河(ごしらかわ)3上皇の院庁下文を得たものを、三代起請(きしょう)の地と称する。
[村井康彦]
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荘園の立荘手続き。平安後期以降の荘園の立荘にあたっては,国司免判(こくしめんぱん)による公田官物や雑役(ぞうやく)の免除の事実認定と,国免荘(こくめんのしょう)としての立券が重視されたが,最終的な手続きとしては太政官による立券,すなわち官省符(かんしょうふ)が必要とされた。太政官の官使と国衙(こくが)の国使が荘園の境界線上の四隅に牓示(ぼうじ)を打ち,領域を確定したうえで,立券文を作成した。
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