豊臣(とよとみ)秀吉が京都に造営した城郭風の邸宅。位置は京都の内野(一条の南、二条の北、大宮通の西、浄福寺通の東)の旧平安京内裏(だいり)跡にあたる。秀吉の祐筆(ゆうひつ)大村由己(ゆうこ)の『聚楽行幸記』によれば、「長生不老の楽をあつむるものなり」とあり、これが聚楽の名称由来といわれている。工事着工は1586年(天正14)2月、諸国から材木、檜皮葺(ひわだぶ)き、石材、釘(くぎ)などの建築用材を徴発し、諸大名はその普請(ふしん)課役を負った。そのありさまにつき、興福寺多聞院(たもんいん)の僧英俊(えいしゅん)は「去(さる)廿一日ヨリ内野御構普請、大物以下事々敷、諸国衆自身自身之ヲ沙汰(さた)ス、ヲヒタゝシキ事也」(『多聞院日記』)と記している。
造営には専業化された職人を動員し建築技術の粋を凝らした。庭には名木、奇石を並べ、御殿には七宝をちりばめ、瓦(かわら)には金を塗った。翌87年9月に落成し、秀吉はここに住んだ。諸大名も聚楽第の周辺に屋敷を構え、華麗豪奢(ごうしゃ)を競った。88年1月、秀吉は後陽成(ごようぜい)天皇の聚楽第行幸の準備を始め、同年4月、行幸を受けた。これにより、関白秀吉はその威厳を天下に示した。91年12月、秀吉は関白職を秀次(ひでつぐ)に譲るに先だち、聚楽第を秀次に与えた。しかし、95年(文禄4)7月、秀次が謀反の疑いで高野山(こうやさん)に逐(お)われて自殺するや、聚楽第は破却された。聚楽第の遺構としては大徳寺(だいとくじ)唐門(からもん)、西本願寺飛雲閣(ひうんかく)が現存している。
[北島万次]
『田中義成著『豊臣時代史』(1925・明治書院)』
豊臣秀吉が内裏の西方,内野(平安宮内裏の跡)に築いた公邸。織田信長が将軍足利義昭のために築いた二条邸と同じく,水堀と石垣をめぐらす平城。現在はそのあたりに山里町,高台院町など,ゆかりの地名をのこすのみである。築城は1586年(天正14)正月から開始され,秀吉は翌年9月にここに移り,88年4月に後陽成天皇の行幸があった。91年の末に秀吉は関白の任とともにこれを甥の秀次に譲ったが,95年(文禄4)秀次を追放して切腹させると同時に,聚楽第も破却,新築した伏見城に公儀の場を移し,聚楽第周囲に造られていた諸大名の邸宅も,その城下に移させた。破却の際に建物の一部は社寺に与えられたが,今日聚楽第遺構と伝えられる建物に,その確証のあるものはない。ただ往時の盛観は《聚楽第図屛風》(三井家)や図面等によって知ることができる。東に大手門,北西に天守があり,櫓(やぐら)や塀まで金箔瓦で飾られていた。また御殿の屋根が檜皮(ひわだ)葺きとなっているところに,公家の伝統を意識して造られた様子がうかがわれる。
執筆者:宮上 茂隆
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「じゅらくだい」とも。聚楽城とも。関白となった豊臣秀吉が現在の京都市上京区,平安京大内裏の故地である内野に築いた城郭風の大邸宅。1586年(天正14)から翌年にかけて造営された。天守閣を構える本丸の周囲に南二の丸・北の丸・西丸の各曲輪(くるわ)が付属し,豪壮華麗な殿舎が建ち並んだほか,内郭を囲む全長約1000間の堀の外側には諸大名の屋敷が配置されていたと伝えられる。88年には後陽成(ごようぜい)天皇の行幸が盛大に行われて秀吉の権勢を天下に誇示した。関白となってこの邸宅に入った豊臣秀次が,95年(文禄4)に自害させられるとただちに破却され,建物は大半が伏見城に,一部が寺院などに移築された。
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…この折にキリシタン宣教師の追放令を発し,長崎を直轄領にしている。88年には聚楽第(じゆらくだい)に後陽成天皇を迎えて盛大な宴を張った。また刀狩令,海上賊船禁止令を発布し,農漁民から武具を奪うなどして抵抗力を弱め,武士と百姓の身分的差異を明確にした。…
…その際,宗家を弟宗秀に預けて自分は子の光信とともに一家をあげて天守や城内殿舎の障壁画制作に赴き,褒美(ほうび)として300石の知行を受けたといわれる。信長没後は豊臣秀吉に登用され,85年の大坂城,86年の正親町院(おおぎまちいん)御所,87年の聚楽第(じゆらくだい),88年の天瑞寺,90年の新造御所など,秀吉による大建築の障壁画のほとんどすべてを,狩野派工房による集団制作で次々にこなしていった。この活躍によって狩野派が桃山画壇の中心に座ることになった。…
※「聚楽第」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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