京都市左京区下鴨泉川町に鎮座。祭神は賀茂建角身(たけつのみ)命と玉依媛(たまよりひめ)命。通称下鴨神社。賀茂別雷(わけいかずち)社より新しく,750年(天平勝宝2)に御戸代田1町を寄せられたのが史料上の初見。ついで765年(天平神護1)に山城,丹波で神封20戸を寄せられた。長岡京遷都につづく平安遷都によって,王城鎮守の神として脚光をあび,806年(大同1)には賀茂祭(葵(あおい)祭)が勅祭となり,810年(弘仁1)の嵯峨天皇の皇女有智子内親王以来,歴代内親王が斎王として祭りに奉仕する斎院の制がはじまり,後鳥羽上皇の代まで続いた。《延喜式》では名神大社。11世紀に二十二社の制ができると,その一つとしてたびたび祈年穀奉幣が行われ,また20年1度の式年遷宮がながく行われた。天慶の乱に朱雀天皇が行幸して,平定を祈願。1017年(寛仁1)に後一条天皇が上東門院(藤原彰子)とともに行幸して,山城国愛宕郡を神郡として寄進することを約し,翌年,同郡内8郷が賀茂下上社に寄せられ,このうち栗野,蓼倉,上粟田,出雲の4郷が御祖社に付せられた。その後1090年(寛治4)不輸田600余町が寄進され,諸国に荘園19ヵ所,御厨9ヵ所が置かれ,供貢や年貢を貢進した。さらに源頼朝が多くの所領を安堵し,後鳥羽上皇の信仰も篤く,承久の乱に禰宜鴨祐綱が京方について罪をえたこともあった。その所領は山城国愛宕郡内をはじめとして,摂津国長洲御厨,近江国安曇河御厨,同堅田御厨,安芸国都宇荘・竹原荘などの有名荘園・御厨をはじめ,若狭国玉置荘,越中国寒江荘,同倉垣荘,越後国石河荘,備中国富田荘,土佐国津野荘など全国各地に数多い。豊臣秀吉が社領541石を安堵,江戸時代にもその額が維持された。例祭は5月15日の葵祭。古くは4月の中酉日に行われ,16世紀はじめに中断。1694年(元禄7)に再興された。1871年(明治4)官幣大社。東西本殿は1863年(文久3)造営で国宝。幣殿,四脚中門,回廊,楼門など多くの社殿が1629年(寛永6)造営で重要文化財である。
→賀茂伝説 →賀茂別雷神社
執筆者:大山 喬平
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京都市左京区下鴨(しもがも)泉川町に鎮座。通称下鴨神社。賀茂皇大神(すめおおかみ)、東殿に玉依媛命(たまよりひめのみこと)、西殿に賀茂建角身(たけつのみ)命を祀(まつ)る。玉依媛命は賀茂建角身命の娘で、賀茂別雷(わけいかずち)神社(上賀茂神社)祭神の母。鎮座年代は不詳。桓武(かんむ)天皇の平安遷都後、上賀茂社とともに崇敬され、山城(やましろ)国一宮(いちのみや)となる。明治の制で官幣大社。東西の本殿は国宝。1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。例祭5月15日は葵祭(あおいまつり)で名高い。
[鎌田純一]
下鴨神社・下社とも。京都市左京区下鴨泉川町に鎮座。式内社。二十二社上社。賀茂別雷神社(上社)とともに山城国一宮。旧官幣大社。祭神は玉依姫(たまよりひめ)命・賀茂建角身(たけつのみ)命。上社とあわせて賀茂社と総称されることが多い。祭神の玉依姫命は賀茂氏の祖で,建角身命は父にあたり,当初は賀茂氏の氏神として信仰された。平安遷都に際しては京の東の鎮守とされ,807年(大同2)正一位を授かった。奈良時代から神戸(かんべ)が与えられ,1017年(寛仁元)には神社周辺の蓼倉(たでくら)・上粟田・栗野(くるすの)・出雲の4郷が朝廷から施入され,11世紀末には荘園・御厨(みくりや)が整備された。9世紀以降,未婚の皇女が斎院として奉仕。例祭は5月15日(以前は4月中酉の日)の葵祭。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…賀茂祭ともいい,京都の賀茂別雷(わけいかずち)(上賀茂)神社,賀茂御祖(みおや)(下賀茂,下鴨)神社の両社の例祭。祭りに参加する斎院をはじめ勅使らが葵の蔓(かずら)を身につけることからこの名を称した。…
…京都の上下賀茂社,すなわち賀茂別雷(わけいかずち)神社,賀茂御祖(みおや)神社の遷宮についての記録の総称。賀茂社の遷宮は,社伝で680年天武天皇のときに始まるというが,平安時代よりの記録をみると,およそ20~30年ごとにあり,なかの1711年(正徳1)《正徳造営遷宮記》,41年(寛保1)《賀茂下上社正遷宮以下雑記》など,いずれも木造始,立柱,上棟などの行事とともに,諸入用,普請奉行,また殿内調度などまで詳記している。…
…これは熊野神社系の本殿に多く用いられている。
[流造]
京都の鴨川の流れに沿って鎮座する賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂)と賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨)は,平安遷都後,王城鎮護の神として崇敬を集めたが,歴史に登場するのは7世紀末からである。両社の本殿形式,規模はほとんど同じで,切妻造平入りの前方の屋根をそのまま延長して庇とする(図5)。…
…京都の賀茂御祖神社(鴨社)社領。土佐国高岡郡吾井郷津野保(現,高知県須崎市吾井郷)に1100年(康和2)立荘。…
…神崎川河口一帯の港津を管理する検非違使庁も,長洲住民に庁役を課していた。庁役の免除を得るため,住民は関白藤原教通や小野皇太后宮職など権門の散所(さんじよ)となり,1084年(応徳1)日次御贄の鮮魚を求める賀茂御祖神社の御厨となった。根本住人38人といわれたが,庁役・国役免除のため各地からの移住者が多く,1118年(元永1)賀茂社が編成した結番では,鮮魚貢進の神人(じにん)300人以下計500人の住人がみられる。…
…古代・中世の皇室や伊勢神宮などの大神社に付属する,食料品調達にかかわる所領。平安時代末から鎌倉時代ごろには荘園とほとんど変わらないものとなったが,本来は荘園のような所領ではなく,厨は台所を意味し,むしろ供御(くご)物や神饌を調達するために,皇室や神社に所属した山民・海民集団の構成する機関とでもいうべき実態のものであった。御厨の名称は文献上では8世紀末ごろから見られるが,近江国筑摩(つかま∥ちくま)御厨のように天智天皇時代に建立されたという伝承をもつものもあり,実際にはもっと古くから存在していたと考えられる。…
※「賀茂御祖神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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