賀茂御祖神社(読み)カモミオヤジンジャ

デジタル大辞泉 「賀茂御祖神社」の意味・読み・例文・類語

かもみおや‐じんじゃ【賀茂御祖神社】

京都市左京区下鴨にある神社。旧官幣大社賀茂別雷命かもわけいかずちのみことの母玉依姫命たまよりひめのみこと外祖父賀茂建角身命かもたけつのみのみことを東西に祭る。東本殿、西本殿はともに国宝。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。下鴨神社山城国一の宮。→賀茂別雷神社かもわけいかずちじんじゃ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「賀茂御祖神社」の意味・読み・例文・類語

かもみおや‐じんじゃ【賀茂御祖神社】

京都市左京区下鴨泉川町にある神社。旧官幣大社。賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)の母の、玉依媛命(たまよりひめのみこと)、外祖父の賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)をまつる。天武天皇六年(六七七)、賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)とともに創建。東本殿、西本殿は文久三年(一八六三)の改築で、ともに国宝。例祭の賀茂祭(葵祭)は有名。山城国一の宮。下鴨神社。下社。賀茂神社

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「賀茂御祖神社」の意味・わかりやすい解説

賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ)

京都市左京区下鴨泉川町に鎮座。祭神は賀茂建角身(たけつのみ)命と玉依媛(たまよりひめ)命。通称下鴨神社。賀茂別雷(わけいかずち)社より新しく,750年(天平勝宝2)に御戸代田1町を寄せられたのが史料上の初見。ついで765年(天平神護1)に山城,丹波で神封20戸を寄せられた。長岡京遷都につづく平安遷都によって,王城鎮守の神として脚光をあび,806年(大同1)には賀茂祭(葵(あおい)祭)が勅祭となり,810年(弘仁1)の嵯峨天皇皇女有智子内親王以来,歴代内親王が斎王として祭りに奉仕する斎院の制がはじまり,後鳥羽上皇の代まで続いた。《延喜式》では名神大社。11世紀に二十二社の制ができると,その一つとしてたびたび祈年穀奉幣が行われ,また20年1度の式年遷宮がながく行われた。天慶の乱に朱雀天皇が行幸して,平定を祈願。1017年(寛仁1)に後一条天皇が上東門院藤原彰子)とともに行幸して,山城国愛宕郡を神郡として寄進することを約し,翌年,同郡内8郷が賀茂下上社に寄せられ,このうち栗野,蓼倉,上粟田,出雲の4郷が御祖社に付せられた。その後1090年(寛治4)不輸田600余町が寄進され,諸国に荘園19ヵ所,御厨9ヵ所が置かれ,供貢年貢を貢進した。さらに源頼朝が多くの所領を安堵し,後鳥羽上皇の信仰も篤く,承久の乱に禰宜鴨祐綱が京方について罪をえたこともあった。その所領は山城国愛宕郡内をはじめとして,摂津国長洲御厨,近江国安曇河御厨,同堅田御厨,安芸国都宇荘・竹原荘などの有名荘園・御厨をはじめ,若狭国玉置荘,越中国寒江荘,同倉垣荘,越後国石河荘,備中国富田荘,土佐国津野荘など全国各地に数多い。豊臣秀吉が社領541石を安堵,江戸時代にもその額が維持された。例祭は5月15日の葵祭。古くは4月の中酉日に行われ,16世紀はじめに中断。1694年(元禄7)に再興された。1871年(明治4)官幣大社。東西本殿は1863年(文久3)造営で国宝。幣殿,四脚中門,回廊,楼門など多くの社殿が1629年(寛永6)造営で重要文化財である。
賀茂伝説 →賀茂別雷神社
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「賀茂御祖神社」の意味・わかりやすい解説

賀茂御祖神社【かもみおやじんじゃ】

京都市左京区下鴨泉川町に鎮座。上賀茂社(賀茂別雷(わけいかずち)神社)に対して下鴨神社ともいう。旧官幣大社。玉依姫(たまよりひめ)命とその父賀茂建角身(かもたけつのみ)命をまつる。玉依姫命は上賀茂社の別雷神の母に当たる。山城国北部に勢力のあった豪族賀茂氏がまつり,奈良時代以前から信仰の中心であった。延喜式内の名神大社で山城国の一宮,王城鎮護の神。例祭は5月15日(賀茂祭)。ほかに御蔭祭(5月12日)など。東西両本殿(流造)は平安時代の様式を伝える国宝。1994年世界文化遺産に登録。
→関連項目葵祭上賀茂六郷賀茂神社京都[市]古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)左京[区]下鴨

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賀茂御祖神社」の意味・わかりやすい解説

賀茂御祖神社
かもみおやじんじゃ

京都市左京区下鴨泉川町に鎮座する元官幣大社。通称下鴨神社(下社)。賀茂別雷神社(上賀茂神社,上社)と合わせて賀茂神社と総称される。山城国一宮。二十二社の一つ。カモワケイカズチノミコト(賀茂別雷命)の母タマヨリヒメノミコト(玉依媛命)および外祖父カモタケツヌミノミコト(賀茂建角身命)をまつる。平安遷都後,王城鎮護の神として皇室の崇敬が厚く,歴代行幸が恒例となった。弘仁1(810)年,嵯峨天皇皇女有智子内親王を斎院とした。例祭は 4月酉の日(現在は 5月15日)の賀茂祭で,社頭や参向する勅使の行列の衣冠や車簾にフタバアオイ(双葉葵)をつけたことに由来する葵祭として有名。御蔭祭は古代の趣を残すとされ,4月午の日に行なわれた(現在は 5月12日)。東西本殿は国宝。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「賀茂御祖神社」の意味・わかりやすい解説

賀茂御祖神社
かもみおやじんじゃ

京都市左京区下鴨(しもがも)泉川町に鎮座。通称下鴨神社。賀茂皇大神(すめおおかみ)、東殿に玉依媛命(たまよりひめのみこと)、西殿に賀茂建角身(たけつのみ)命を祀(まつ)る。玉依媛命は賀茂建角身命の娘で、賀茂別雷(わけいかずち)神社(上賀茂神社)祭神の母。鎮座年代は不詳。桓武(かんむ)天皇の平安遷都後、上賀茂社とともに崇敬され、山城(やましろ)国一宮(いちのみや)となる。明治の制で官幣大社。東西の本殿は国宝。1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。例祭5月15日は葵祭(あおいまつり)で名高い。

[鎌田純一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「賀茂御祖神社」の解説

賀茂御祖神社
かもみおやじんじゃ

下鴨神社・下社とも。京都市左京区下鴨泉川町に鎮座。式内社。二十二社上社。賀茂別雷神社(上社)とともに山城国一宮。旧官幣大社。祭神は玉依姫(たまよりひめ)命・賀茂建角身(たけつのみ)命。上社とあわせて賀茂社と総称されることが多い。祭神の玉依姫命は賀茂氏の祖で,建角身命は父にあたり,当初は賀茂氏の氏神として信仰された。平安遷都に際しては京の東の鎮守とされ,807年(大同2)正一位を授かった。奈良時代から神戸(かんべ)が与えられ,1017年(寛仁元)には神社周辺の蓼倉(たでくら)・上粟田・栗野(くるすの)・出雲の4郷が朝廷から施入され,11世紀末には荘園・御厨(みくりや)が整備された。9世紀以降,未婚の皇女が斎院として奉仕。例祭は5月15日(以前は4月中酉の日)の葵祭。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「賀茂御祖神社」の解説

賀茂御祖(かもみおや)神社

京都府京都市左京区にある神社、下鴨神社の正式名。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の賀茂御祖神社の言及

【葵祭】より

…賀茂祭ともいい,京都の賀茂別雷(わけいかずち)(上賀茂)神社,賀茂御祖(みおや)(下賀茂,下鴨)神社の両社の例祭。祭りに参加する斎院をはじめ勅使らが葵の蔓(かずら)を身につけることからこの名を称した。…

【賀茂社遷宮記】より

…京都の上下賀茂社,すなわち賀茂別雷(わけいかずち)神社,賀茂御祖(みおや)神社の遷宮についての記録の総称。賀茂社の遷宮は,社伝で680年天武天皇のときに始まるというが,平安時代よりの記録をみると,およそ20~30年ごとにあり,なかの1711年(正徳1)《正徳造営遷宮記》,41年(寛保1)《賀茂下上社正遷宮以下雑記》など,いずれも木造始,立柱,上棟などの行事とともに,諸入用,普請奉行,また殿内調度などまで詳記している。…

【神社建築】より

…これは熊野神社系の本殿に多く用いられている。
[流造]
 京都の鴨川の流れに沿って鎮座する賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂)と賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨)は,平安遷都後,王城鎮護の神として崇敬を集めたが,歴史に登場するのは7世紀末からである。両社の本殿形式,規模はほとんど同じで,切妻造平入りの前方の屋根をそのまま延長して庇とする(図5)。…

【津野荘】より

…京都の賀茂御祖神社(鴨社)社領。土佐国高岡郡吾井郷津野保(現,高知県須崎市吾井郷)に1100年(康和2)立荘。…

【長洲御厨】より

…神崎川河口一帯の港津を管理する検非違使庁も,長洲住民に庁役を課していた。庁役の免除を得るため,住民は関白藤原教通や小野皇太后宮職など権門の散所(さんじよ)となり,1084年(応徳1)日次御贄の鮮魚を求める賀茂御祖神社の御厨となった。根本住人38人といわれたが,庁役・国役免除のため各地からの移住者が多く,1118年(元永1)賀茂社が編成した結番では,鮮魚貢進の神人(じにん)300人以下計500人の住人がみられる。…

【御厨】より

…古代・中世の皇室や伊勢神宮などの大神社に付属する,食料品調達にかかわる所領。平安時代末から鎌倉時代ごろには荘園とほとんど変わらないものとなったが,本来は荘園のような所領ではなく,厨は台所を意味し,むしろ供御(くご)物や神饌を調達するために,皇室や神社に所属した山民・海民集団の構成する機関とでもいうべき実態のものであった。御厨の名称は文献上では8世紀末ごろから見られるが,近江国筑摩(つかま∥ちくま)御厨のように天智天皇時代に建立されたという伝承をもつものもあり,実際にはもっと古くから存在していたと考えられる。…

※「賀茂御祖神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android