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古代の百済からの帰化人。応神天皇のとき,百済王の使者として,良馬2疋を貢進し,大和の厩坂(うまやさか)で,その飼育をつかさどったという。名を阿知吉師(あちきし)とも記し,阿直岐史あるいは阿直史の祖という。《日本書紀》では,さらに彼みずからよく経典をよみ,太子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の師となり,天皇に王仁(わに)を推挙したという。しかし《古事記》では,王仁と関係なく,百済王が和邇吉師(わにきし)を貢進し,《論語》10巻,《千字文》1巻を伝えたとする。王仁は河内の文(書)首(ふみのおびと)の始祖とされるが,阿直岐もこれとおなじ史(ふびと)の祖であり,他方で大和の書直(ふみのあたい)の所属する倭漢直(やまとのあやのあたい)の祖は阿知使主(あちのおみ)とされ,阿直岐と阿知使主の説話に混同があるように思われる。
執筆者:平野 邦雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。古代の渡来人。阿知吉師(あちきし)ともいわれる。応神(おうじん)天皇の世に、百済(くだら)王が阿直岐を遣わして良馬2匹を献じたので、大和(やまと)の厩坂(うまやさか)(橿原(かしはら)市大軽(おおがる)町付近)で飼わせた。阿直岐は経典をよく読んだので、太子莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)の師となった。のちに阿直岐の推挙によって博士(はかせ)の王仁(わに)が招かれ、百済から渡来したといわれる。また後世に阿直史(あちきのふひと)という帰化人の氏族が存在したが、阿直岐はその始祖と伝えられている。阿直史は683年(天武天皇12)10月、連(むらじ)に改姓。834年(承和1)9月に阿直史福吉(ふくよし)ら3人が清根宿禰(きよねのすくね)と改氏姓している。なお、『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』右京諸蕃(うきょうしょばん)に百済国の魯(ろ)王より出たと記す安勅(あちき)連は、阿直史と関係があろう。
[志田諄一]
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