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高梁[市](読み)たかはし

百科事典マイペディアの解説

高梁[市]【たかはし】

岡山県中西部の市。1954年市制。大部分が吉備(きび)高原で,市街地(旧称松山)は高梁川中流左岸にあり,江戸時代には臥牛(がぎゅう)山の松山城の城下町として発達。伯備線が通じる。吉備高原の中心都市で商業が盛ん。県南工業地域への通勤者も多い。また,吉備国際大学を誘致するなど学園文化都市づくりにも取り組んでいる。タバコ,マツタケを産し,シャクヤクを栽培。松山城は天守閣の現存する山城としては日本で最高所(標高460m)にあり,国指定史跡。国指定名勝の頼久(らいきゅう)寺庭園もあり,旧城下の武家屋敷も整備されている。2004年10月上房郡有漢町,川上郡成羽町,川上町,備中町を編入。546.99km2。3万4963人(2010)。

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世界大百科事典 第2版の解説

たかはし【高梁[市]】

岡山県中西部,高梁川中流域にある市。1954年高梁町と周辺の8村が合体,市制。人口2万6072(1995)。旧称を松山といい,1240年(仁治1)秋庭氏が高梁川左岸の臥牛(がぎゆう)山に築城,14世紀に高橋氏に代わったころより備中の政治中心地となった。以後,城主の交代が激しく,17世紀後半に水谷(みずのや)氏が松山城の改築,城下町の整備を行い,1744年(延享1)板倉氏が入封,幕末にいたった。藩主板倉勝静(かつきよ)が幕末に老中職にあったため朝敵と見なされ,1868年(明治1)岡山藩の征討を受けた。

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