本州の最西端にあり、南は
古来九州および大陸との交通の接点で、関門海峡を通過する船舶の寄港地でもあり、近海・遠洋漁業の基地としても栄えたが、本州―九州間の鉄道トンネル・国道トンネル・関門橋の開通など交通体系の変化により、その性格も変化をきたしている。
「旧事本紀」に「赤間物部」、「大同類聚方」に「赤間稲置」とあり、
下関は関門海峡を擁して内海と外海をつなぎ、大陸とも近いという地理的条件から、遺跡の分布は外海側に圧倒的に多い。縄文時代の遺跡は、
さらに古墳時代のものとして戦前の発見や発掘調査によるものをあげると、前方後円墳六基、円形墳(横穴式石室)七四基、箱式石棺二四基、横穴一基、須恵窯一ヵ所、遺物の包含・散布地一四ヵ所が全市域に分布し、とくに中央の丘陵地帯に比較的多い。
「旧事本紀」によれば景行天皇の時代に「穴門国造」が任命され、「日本書紀」によれば仲哀天皇二年に天皇と神功皇后は熊襲追討のため
長門の国府は、中心地であり海運上の要衝でもあった豊浦津に置かれた。国府の正確な境域や国衙の位置については今もなお明らかにされていない。大宝二年(七〇二)正月一七日、国司として従四位上大神朝臣高市麻呂が任ぜられた(続日本紀)。
国分僧寺・国分尼寺は現在その遺構を十分にみることはできないが、「国史所見防長事考」(「長府史料」所収)によれば、僧寺は国府の西方北寄りの現長府の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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