信貴山縁起絵巻(読み)シギサンエンギエマキ

デジタル大辞泉 「信貴山縁起絵巻」の意味・読み・例文・類語

しぎさんえんぎ‐えまき〔‐ヱまき〕【信貴山縁起絵巻】

奈良県朝護孫子寺所蔵の3巻の絵巻。平安後期の作。信貴山毘沙門天をまつった僧命蓮みょうれんにまつわる説話を描く。

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改訂新版 世界大百科事典 「信貴山縁起絵巻」の意味・わかりやすい解説

信貴山縁起絵巻 (しぎさんえんぎえまき)

10世紀の初めころ,大和と河内の境をなす信貴山にこもって,毘沙門天をまつりその功徳によりさまざまな奇跡を行った修行僧命蓮(みようれん)を主人公とする三つの物語を3巻に描いた絵巻。平安時代末の12世紀後半に制作され,信貴山の朝護孫子寺に伝わる。

 第1巻は絵1段で詞書はない。命蓮の飛ばした不思議な鉄鉢が,あるとき山麓の長者の倉を持ち上げ信貴山上まで運んでしまうが,追いかけてきた長者の懇願を入れて命蓮がふたたび法力を使うと,倉の中の米俵が列をなして空を飛び,長者の邸に戻ったという話で,〈飛倉の巻〉あるいは〈山崎長者の巻〉と呼ばれる。第2巻は絵詞各2段で時の醍醐帝の病気平癒の祈禱の命をうけた命蓮が,自らは山上にあって,剣の護法童子を飛ばせて帝の病を癒したという霊験譚で,〈延喜加持の巻〉と呼ばれる。第3巻も絵詞各2段で,幼くして別れた弟の命蓮をはるばる信濃国から訪ねてきた老尼公が,旅の最後にすがった東大寺大仏の夢のお告げで信貴山中の命蓮と邂逅し余生をともにするという,人間愛の物語〈尼公の巻〉である。

 同内容の説話は,12世紀前半に成立したと思われる《古本説話集》(仮称)や,13世紀初期の《宇治拾遺物語》におさめられており,冒頭の詞書を欠く第1巻の画面もこれらによって解釈される。しかし,かりに詞書があったにせよ,絵画そのものの表現力をもってストーリーをダイナミックに展開していくと同時に,簡潔な詞書の内容を超え,自由な絵画の世界を繰り広げていくところに,この絵巻の画家の非凡な創造力が認められよう。すなわち,両手で巻き進めながら鑑賞される,絵巻の横に長く連続する画面に,筋を追って変化していく諸場面を遠く近くに次々と描く。そこに緩急自在なテンポを与え,機知に富んだ構図法で空間と時間とをみごとに結びつけ,たくみに鑑賞者を絵巻の世界へと誘導していくのである。そこでは,対象の形態や運動感を的確にとらえながら,自在にのびのびと引かれた描線の働きが,大きな役割を担っているといえよう。描線は細く柔らかく,太く力強くさまざまに引き分けられ,彩色はその線描を生かすようにぬられ,画面に美しいアクセントを与えている。各画面は単に説話の筋を追うにとどまらず,主人公をはじめ人物の動きや表情機微をこまやかに写し,さらには市井の庶民たちの生活ぶりをも愛情をこめていきいきと描き出して,それらが一層物語そのものの人間性の深さとなり,自然な共感をさそう。この絵巻の持つこうした性格は,寺院草創を神秘的に描いたり,開祖を理想化するといった一般の寺院縁起とは異なり,命蓮をめぐる三種三様の説話自体の興味のためにつくられたことを思わせ,おそらくすぐれた宮廷画家が伝統的な本格の技法の上に,卓抜な構想力を凝らして完成させたものと考えられる。制作の時期は,画中のいくつかの景物を手がかりとして,後白河院政期の1160年から70年ころと考えられているが確証はない。
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百科事典マイペディア 「信貴山縁起絵巻」の意味・わかりやすい解説

信貴山縁起絵巻【しぎさんえんぎえまき】

奈良県朝護孫子寺に伝わる平安末期の絵巻。3巻。作者は鳥羽僧正と伝えられるが明らかでない。醍醐天皇のころ大和の信貴山に住んだ僧命蓮(みょうれん)の法力譚(たん)や,姉との再会譚を描いたもので,上巻《飛倉(とびくら)の巻》,中巻《延喜加持(かじ)の巻》,下巻《尼公(あまぎみ)の巻》からなる。柔軟な描線を駆使し,多くの人物の変化に富んだ姿態や表情を躍動的に描く一方,色彩を細心に効果的に使う手腕は大和絵技法を代表するもの。作者は仏教的環境ともつながりが深いがむしろ宮廷文化のうちにあるらしく,この絵巻も寺縁起としてよりむしろ説話的興味のうちに作られたと思われる。庶民生活の鋭い観察とユーモラスな描写態度には,文化的過渡期である当時の空気が反映している。
→関連項目縁起物粉河寺縁起絵巻古本説話集

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「信貴山縁起絵巻」の意味・わかりやすい解説

信貴山縁起絵巻
しぎさんえんぎえまき

信貴山を再興した修行僧,命蓮 (みょうれん) にまつわる説話を絵巻としたもの。 12世紀後半の作。紙本着色,3巻。国宝。朝護孫子寺蔵。物語は 12世紀の『古本説話集』や 13世紀の『宇治拾遺物語』にも収められている説話。現存の絵巻は,命蓮の鉄鉢が長者の米倉を信貴山頂に運ぶ「飛倉の巻」,命蓮が剣の護法という童子を飛ばして,信貴山にいながらはるか都の帝の病を癒やす「延喜加持の巻」,弟の命蓮をたずねて旅をする尼公 (あまぎみ) が,東大寺大仏の夢のお告げにより命蓮と再会する「尼公の巻」の3巻から成る。人物の表情や動作をいきいきと描き,効果的な彩色法や,連続する画面に物語の時間的,空間的推移を巧みに表現する構図法とも相まって,説話絵巻の最高傑作の一つ。『源氏物語絵巻』とともに平安時代のやまと絵を代表する作品。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「信貴山縁起絵巻」の解説

信貴山縁起絵巻
しぎさんえんぎえまき

10世紀初頭,大和国信貴山にこもって修行した命蓮(みょうれん)上人にまつわる三つの説話を表した絵巻。3巻。制作時期は従来12世紀後半とされてきたが,近年,様式的見地から同前半に上げる説が提唱された。上巻は「山崎長者の巻」または「飛倉(とびくら)の巻」,中巻は「延喜加持の巻」,下巻は「尼公(あまぎみ)の巻」とよばれる。「古本説話集」「宇治拾遺物語」に類話があり,「今昔物語集」にも関連説話がみられる。構成力と表現力に優れた平安絵巻の代表作で,遠景から近景まで自在に変化する視点と,躍動的で表情豊かな人物の描写に特徴がある。縦31.7cm,横各879.9cm,1290.8cm,1424.1cm。朝護孫子寺蔵。国宝。

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旺文社日本史事典 三訂版 「信貴山縁起絵巻」の解説

信貴山縁起絵巻
しぎさんえんぎえまき

平安後期の絵巻物
3巻。信貴山に毘沙門天を祭った僧命蓮 (みようれん) に関する奇跡談を描いたもの。大和絵の流暢な筆致と躍動的な人物表現の巧妙さは絵巻物の傑作とされている。鳥羽僧正画ともいわれるが不詳。奈良県生駒郡の信貴山朝護孫子寺蔵。国宝。

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デジタル大辞泉プラス 「信貴山縁起絵巻」の解説

信貴山縁起絵巻

平安時代後期の絵巻。作者不詳。信貴山に毘沙門天を祭り、中興の祖として知られる僧、命蓮の霊験を三巻の絵巻物として描いたもの。国宝。奈良、朝護孫子寺所蔵。

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世界大百科事典(旧版)内の信貴山縁起絵巻の言及

【信貴山】より

…《信貴山寺資財宝物帳》によれば,寛平年間(889‐898)命蓮(みようれん)という僧が毘沙門天を安置した小堂に若少のころより籠山したことがみえ,しだいに寺を整備・拡張していったことが知られる。《古本説話集》《宇治拾遺物語》には信濃国出身の命蓮が信貴山に籠山して飛鉢の法を修し,剣の護法を使わして時の帝の病気を治すなどの霊験譚をのせ,《信貴山縁起絵巻》(国宝)はこの説話を絵巻としたものである。《持呪仙人飛鉢儀軌》という経には,覆鉢形の山容をもつ山に籠山修行すると竜王を意のままに駆使し,鉢を自在に飛ばすことができると説いており,命蓮はこの法を修した天台の行者であり,信貴山は江戸時代に至るまで天台宗の寺院でもあった。…

【漫画】より

…作者は天台座主となった鳥羽僧正覚猷(かくゆう)と伝えられ,それがほんとうかどうか分からぬなりに,江戸時代に入って巻物4巻に仕立てられて,その影響は鳥羽絵という様式を生んだ。また《信貴山(しぎさん)縁起絵巻》には,修行僧の托鉢用の器の上に米倉が乗って飛ぶ場面があり,空飛ぶ米倉の目の位置から世間をながめて,米の出し惜しみをする長者や,驚き騒ぐ村人が描かれて,漫画映画のような力がある。《鳥獣戯画》と《信貴山縁起絵巻》には,現代のW.ディズニー以後の漫画映画(アニメーション映画)に共通するおもむきがある。…

※「信貴山縁起絵巻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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