[ 二 ]は[ 一 ]の像がいかめしい武将姿であるところから、最初は優れた武将に対する表現であったものが、後に芸道その他にも広く用いられるようになったと思われる。
須弥山(しゆみせん)の中腹にある四天王天(または四大王天,四王天)の四方に住んで仏法を守護する4体の護法神。四大天王,四王,護世四王ともいう。東方に持国天(提頭頼吒(だいずらた)の訳),南方に増長天(毘楼勒叉(びるろくしや)),西方に広目天(毘楼博叉(びるばくしや)),北方に多聞天(毘沙門)が位置する。《増一阿含経(ぞういちあごんきよう)》や《阿育王経(あいくおうきよう)》には,四天王が釈尊のもとに現れて帰依したことや,釈尊の涅槃(ねはん)の後に仏法を守護することを釈尊から託されたことを記し,《金光明最勝王経》には,四天王が釈尊に対し本経を信奉する人々とその国家を守護することを誓ったことが説かれている。他の経典にも梵天や帝釈天とともに仏法の守護神として現れる。
日本では飛鳥時代以来,四天王に対する信仰は篤く,四天王寺や金光明四天王護国之寺(東大寺)が建立されるなど国家の平安が祈願され,多くの造像がなされ,堂内の四隅や須弥壇上の四隅に安置された。中国以東の像は,中国風の甲冑を着けて立つ武将像として造られる例が多い。姿勢と持物については諸説があり,日本に現在ある多数の作例の中からは典型的な形式を定めがたい。東大寺戒壇堂の塑像(国宝)の場合,持国天は右腰前で構えた剣の先を左膝辺で左手でおさえ,増長天は体の右側に立てた戟(げき)の長い柄を頭部より高い位置で右手で握り,左手は腰に当てる。広目天は左手に巻物を持ち右手に筆をとり,多聞天は左手を下げて剣を執り,右手は高くかかげて掌の上に宝塔をのせる。持国天以外の形像は,唐の金剛智訳《般若十六善神王形体》が説く四天王像の姿にだいたい一致する。東大寺戒壇堂像と同様に足下に邪鬼を踏む作例も多い。他の著名な作例としては,彫像に法隆寺金堂像,東大寺法華堂像,唐招提寺金堂像,興福寺像,教王護国寺講堂像などがあり,画像としてはボストン美術館に鎌倉時代の絵師重命(ちようみよう)が描いたと推定される四面の像(額装)が知られる。
執筆者:関口 正之
仏教語の四天王から転じて武将,臣下,門弟,特定の芸道などで特にすぐれた4人をいうようになった。単に四天という場合もあるが,中でも頼光の四天王が有名で,渡辺綱,坂田金時,碓井(うすい)貞光,卜部(うらべ)季武(屋代本《平家物語》,《古事談》巻二など)をいい,《尊卑分脈》の源(渡辺)綱の傍書にも〈頼光朝臣郎等四天其一〉〈頼光四天〉などと見える。《十訓抄》巻三には武将の四天王として源頼信,藤原保昌,平維衡,平致頼をあげ,《平家物語》巻九などに木曾義仲の四天王として今井兼平,樋口兼光,根井光親,楯親忠が見え,《源平盛衰記》巻四十八に源義経の四天王として佐藤継信,同忠信,鎌田盛政,同光政が見える。他に新田義貞の四天王として栗生顕友,篠塚伊賀守,畑時能,由良具滋,織田信長の四天王として柴田勝家,滝川一益,丹羽長秀,明智光秀,徳川家康の四天王として酒井忠次,井伊直政,本多忠勝,榊原康政,豊臣秀頼の四天王として木村重成,真田幸村,長宗我部盛親,後藤基次などがある。芸道では和歌の四天王(頓阿,兼好,浄弁,慶運),弓馬の四天王,茶道の四天王などがある。また近世の和歌では小沢蘆庵門の四天王,賀茂真淵門の四天王,香川景樹門の四天王などということがある。
執筆者:山本 吉左右
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インド神話時代から護世神とされ、仏教では須弥山(しゅみせん)の中腹にある四王天の主として、持国天(じこくてん)(東方の勝身(しょうしん)州)、増長(ぞうちょう)天(南方の瞻部(えんぶ)州)、広目(こうもく)天(西方の牛貨(ごか)州)、多聞(たもん)天(毘沙門(びしゃもん)天。北方の瞿盧(くる)州)をいう。四大天王、護世四王ともいう。帝釈(たいしゃく)天の外将で、上は帝釈天に仕え、下は八部衆(はちぶしゅう)を支配し、仏法、仏法に帰依する衆生(しゅじょう)、そして国家を守護する。梵天(ぼんてん)および帝釈天とともに仏法守護神として諸経に広く説かれている。それぞれの形像については、インドでは貴人の姿で表現されたが、中国、日本では武将形となり、さらに忿怒(ふんぬ)の相も付加されるに至った。後世、武将輩下の勇武の者4人を四天王と称するに至り、源頼光(よりみつ)の四天王(渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(きんとき)、碓井貞光(うすいさだみつ)、卜部季武(うらべすえたけ))、源義経(よしつね)の四天王(鎌田盛政(もりまさ)・光政(みつまさ)、佐藤継信(つぐのぶ)・忠信(ただのぶ))、織田信長の四天王(柴田勝家(しばたかついえ)、滝川一益(かずます)、丹羽(にわ)長秀、明智光秀(あけちみつひで))、徳川家康の四天王(井伊直政(いいなおまさ)、本多忠勝(ほんだただかつ)、榊原康政(さかきばらやすまさ)、酒井忠次(ただつぐ))はその好例である。また、和歌の四天王(頓阿(とんあ)、兼好、浄弁、慶運)というように、一道に秀でた者4人をいう場合にも用いられた。
[江口正尊]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
四王天とも。須弥山(しゅみせん)の中腹にある欲界第6天の四王天の主で,東方守護の持国天(じこくてん),南方守護の増長天(ぞうじょうてん),西方守護の広目天(こうもくてん),北方守護の多聞天(たもんてん)(毘沙門天(びしゃもんてん))の四つ。八部衆を率い,須弥山頂忉利天(とうりてん)の帝釈天(たいしゃくてん)に仕え仏法を守護する。寺院の須弥壇上の四隅に配置されるときには,忿怒形(ふんぬぎょう)で邪鬼を足下にするかたちに造られる。法隆寺金堂・東大寺戒壇院のものが有名。四天王寺が聖徳太子の誓願で建立されたとの伝承はよく知られる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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