妙蓮寺(読み)ミョウレンジ

デジタル大辞泉 「妙蓮寺」の意味・読み・例文・類語

みょうれん‐じ〔メウレン‐〕【妙蓮寺】

京都市上京区にある本門法華宗大本山。山号は、卯木山。開創は永仁年間(1293~1299)と伝える。開山は日像天文法華の乱後、現在地へ移転。

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精選版 日本国語大辞典 「妙蓮寺」の意味・読み・例文・類語

みょうれん‐じ メウレン‥【妙蓮寺】

京都市上京区にある本門法華宗の大本山。山号は卯木山。永仁三年(一二九五)日像の創建。五条西洞院の酒屋柳屋仲興の邸内にあり、妙法蓮華寺(柳寺とも)と称した。のち日慶が中興し改称。天正一五年(一五八七)には現在地に移転。

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日本歴史地名大系 「妙蓮寺」の解説

妙蓮寺
みようれんじ

[現在地名]上京区妙蓮寺前町

本門法華宗の大本山。山号は卯木山、本尊は十界曼荼羅。大門の手前左側に「華洛最初 日像菩薩脱履道場」の石柱が立つ。正式には大本山妙蓮寺という。開山である日像は、永仁二年(一二九四)日蓮の遺命をうけて弘教のため関東から京都に赴いた(日像門家分散之由来記)。翌年五条西洞院にしのとういん(現京都市下京区)の酒屋柳屋仲興が日像に帰依して邸内に一宇を建立(竜華年譜)、日像を請じて卯木山妙法蓮華寺と称した。当初、屋号をとって柳寺とも称し、山号も「柳」字を分けたものという(山州名跡志)。のち破却されたが、応永年中(一三九四―一四二八)日慶が大宮おおみやの四条あや小路(現下京区)辺に妙蓮寺を建て(妙蓮寺祖師記)、開山に庭田重有の子日応を迎え(庭田家系譜)、寺勢を盛返した。

妙蓮寺
みようれんじ

[現在地名]新津市東島 道下

新津丘陵の末端、西島にしじまとの境にある。日蓮宗、法久山と号し、本尊大曼陀羅。妙蓮寺縁起によると、正応元年(一二八八)日蓮の法孫日印の開創。もと真言宗であったが、寺主法久坊・妙蓮坊の両人が日印の北陸布教に際して日蓮宗に改宗し、日印を請じて開祖とした。日印は日朗の高弟で、本成ほんじよう(現三条市)も開創している。開創当時鎌倉幕府の庇護を受けて、徳治元年(一三〇六)には北陸道の総本山となり、隆盛を極めたという。

妙蓮寺
みようれんじ

[現在地名]富士宮市下条

富士山南西麓の台地上にある日蓮正宗寺院。富士山と号し、本尊は日蓮自筆板本尊。寺伝によれば、上野うえの郷を領していた土豪南条兵衛七郎・同七郎次郎時光が日蓮に帰依し、居館を寺にしたものという(測量日記)。永禄三年(一五六〇)四月一九日の清房判物(妙蓮寺文書)には「上野郷堀内妙蓮寺」とみえ、この頃まで当寺は堀内ほりのうち(南条氏居館)を冠称されていた。なおこのとき猿千代丸に寺地八貫三七八文と住持職が安堵されている。

妙蓮寺
みようれんじ

[現在地名]井波町藤橋

真宗大谷派。梅渓山と号し、本尊阿弥陀如来。もと瑞泉ずいせん寺地中一山五ヵ寺の一。当初は天台宗で現瑞泉寺の境内辺りにあったが、天正九年(一五八一)佐々成政の瑞泉寺進攻の折戦火にあい廃絶。寛永(一六二四―四四)頃に瑞泉寺八代准秀の推挙で瑞泉寺家司竹部豊前覚乗の弟覚応が現在地に真宗寺院として再興(「照円寺竹部系譜」井波誌)

妙蓮寺
みようれんじ

[現在地名]川之江市川之江町 旭町

享保六年(一七二一)の川之江村明細帳に「境内東西二拾間南北二拾一間御年貢地、一向宗妙蓮寺」「御堂五間七間、此本尊阿弥陀如来立像一尺八寸恵心作」とある。真宗大谷派、顕実山と号する。

妙蓮寺
みようれんじ

[現在地名]下関市大字蒲生野

蒲生野かもうのの南西部、ごうにある。浄土真宗本願寺派で長谷山と号し、本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、大内義隆の家臣原田右衛門之尉道信が本願寺実如に帰依、六字名号と法名道信をもらい、大永三年(一五二三)にこの地に一宇を建立したのに始まるという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「妙蓮寺」の意味・わかりやすい解説

妙蓮寺
みょうれんじ

京都市上京(かみぎょう)区寺ノ内通大宮東入ル妙蓮寺前町にある本門法華(ほっけ)宗大本山。山号は卯木(うぼく)山。日蓮(にちれん)の直弟子日像(にちぞう)が京都開教の最初に建立した五条綾小路(あやのこうじ)の妙法蓮華寺(1309創建)を開創とし、その旧跡に日隆らと妙顕寺を退出した日慶(1397―1479)が草庵(そうあん)を結び、応永(おうえい)末年(1415ころ)柳屋妙蓮尼(みょうれんに)の援助で1寺を建立して卯木山妙蓮寺と号した。天文法華(てんぶんほっけ)の乱(1536)で全焼したが天正(てんしょう)年間(1573~92)豊臣(とよとみ)秀吉の命で現在地に移転し、再建された。境内には塔頭(たっちゅう)8院が並ぶ。書院には長谷川等伯(はせがわとうはく)一派の筆と伝える襖絵(ふすまえ)があるほか、本阿弥(ほんあみ)光悦筆の『立正安国論』(いずれも国重要文化財)などの寺宝がある。

[浅井円道]

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百科事典マイペディア 「妙蓮寺」の意味・わかりやすい解説

妙蓮寺【みょうれんじ】

京都市上京(かみぎょう)区にある本門法華宗の寺。1295年五条西洞院(ごじょうにしのとういん)の酒屋柳屋が日像(にちぞう)(開基)に帰依して邸内に建立という。破却後,応永(おうえい)年中(1394年―1428年)日応(にちおう)を開山として大宮四条綾小路あたりに再興され寺勢を盛り返した。法華一揆(ほっけいっき)で焼かれたのち,再建されたが,1586年現在地に移転。紙本墨書伏見天皇宸翰法華経,本阿弥光悦筆《立正安国論》1巻などは重要文化財。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「妙蓮寺」の意味・わかりやすい解説

妙蓮寺
みょうれんじ

京都市上京区にある。本門法華宗の大本山で,山号は卯木山。永仁2 (1294) 年日像が開創。五条西洞院の酒屋の邸宅を寺としたので,その屋号から柳寺とも呼ばれる。応永 22 (1415) 年四条大宮に移建されて,大いに隆盛を示したが,天文5 (1536) 年兵火のため焼失。のちに秀吉の命により現在地に移された。

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