日本最古・最大の美術博物館。東京都台東(たいとう)区上野公園にある。1872年(明治5)9月、神田・湯島のもと聖堂大成殿を博物館にしたのがその初めで、1881年に現在地(旧、寛永寺本坊跡)に移転、イギリスの建築家コンドルの設計による新博物館が開館した。1908年(明治41)には片山東熊(とうくま)設計の表慶館(重要文化財指定。2049平方メートル)が竣工(しゅんこう)、また1923年(大正12)の関東大震災で罹災(りさい)した旧本館にかわって、1938年(昭和13)には現在の本館である新館(設計競技の当選作を伊東忠太(ちゅうた)らの委員が修正。2万2416平方メートル)が開館、この2館は第二次世界大戦の被害を免れ現在に至っている。この間、農商務省の所管から、帝国博物館、さらに帝室博物館と転じ、戦後は1947年(昭和22)新憲法公布とともに国立博物館と改称、さらに1950年の文化財保護法制定に伴い、同保護委員会の付属機関となって東京国立博物館と改称、ついで1968年の文化庁発足と同時にその所管となり、2001年(平成13)4月から独立行政法人国立博物館、2007年4月から独立行政法人国立文化財機構のなかの一つの組織となった。
施設の面でも1964年に法隆寺宝物館(1697平方メートル)、1968年には谷口吉郎(よしろう)設計の東洋館(1万2531平方メートル)が完成し、既存の2館とあわせて広大な規模に拡充された。法隆寺宝物館は改築され(3980平方メートル)、1999年(平成11)7月開館した。10万2623平方メートルに及ぶ敷地内にはこれらの施設のほか、旧池田屋敷の黒門、旧十輪院宝蔵の校倉(あぜくら)、慶安(けいあん)年間(1648~1652)に金森宗和(そうわ)がつくった茶室六窓庵(ろくそうあん)をはじめ、応挙館、九条館など由緒ある建築の遺構が移建されている。館内の保管陳列品は主として日本およびアジア諸地域の美術・工芸・考古資料などで、あわせて総数11万6268点、うち国宝87件、重要文化財634件(2015年3月末時点)で、ほかに外部からの出品寄託品も3064点に及んでいる。
博物館のおもな仕事は、これら収蔵品の収集・保管・展示のほか、調査・研究・資料収集などであるが、1984年2月には新しく資料館の建物が完成し、この方面の活動に一段と力を入れるようになった。また企画展のための特別展示場として平成館(1万7981平方メートル)が1999年(平成11)10月開館した。展示は平常陳列(各部門とも定期的に陳列替えが行われている)のほか、内外の特別展が催され、広く一般の観覧に供している。普及活動においても列品解説・講演・講座の開催、情報誌『国立博物館ニュース』、雑誌『Museum』(ともに隔月刊)、目録などの発行、映画・スライドの作成、地方巡回展など各種に及んでいる。
休館日は毎週月曜日(祝日の場合翌日)と、年末年始。
[永井信一 2017年1月19日]
『東京国立博物館監修『世界の美術館12・13 東京国立博物館Ⅰ・Ⅱ』(1966、1967・講談社)』▽『東京国立博物館編・刊『東京国立博物館百年史』(1973)』▽『東京国立博物館編『東京国立博物館百年史 資料編』(1973・第一法規出版)』▽『北村哲郎編『日本の博物館1 日本美の伝統――三大国立博物館』(1982・講談社)』▽『新潮社編・刊『こんなに面白い東京国立博物館』(1991)』▽『東京国立博物館編『東京国立博物館ガイド/本館編 一歩近づいて見る日本の美術』(1995・東京美術)』▽『『週刊朝日百科 日本の国宝41、42、44~47』(1997,1998・朝日新聞社)』▽『『週刊世界の美術館86 東京国立博物館』(2001・講談社)』▽『東京国立博物館編『Museum』隔月刊(大塚巧芸社)』▽『東京国立博物館編・刊『東京国立博物館紀要』各年版』
日本を中心とする東洋諸地域の美術工芸,考古遺物を保管・展示している日本の代表的博物館で,東京都台東区上野公園内にある。陳列館としては,もっぱら日本の古美術を展示する本館,同じく考古遺物を展示する表慶館,中国をはじめとする東洋の美術や考古遺物を展示する東洋館,1878年に法隆寺が皇室に献納した品物を展示する法隆寺宝物館の4館があり,1984年には研究者などに研究資料を公開する資料館が開館した。なお99年に特別展専用の展示室をもつ平成館が開館。
国立博物館の創設は1872年(明治5)にさかのぼる。この年3月,文部省は湯島の大成殿で博覧会を開催し,これをもって博物館の発足とした。しかしその後,所管が内務省,農商務省,宮内省と短期間で変わり,位置も73年に内山下町,81年に上野の寛永寺本坊跡に移るなど,変転を重ねた。ようやく近代国家をめざして歩みはじめた明治体制の方策模索を反映している。89年に制度が改まり,上野の館を帝国博物館とし,新たに帝国京都博物館,帝国奈良博物館を設置し,帝国博物館に総長をおいて3館を統括させた。これはさらに1900年,それぞれ東京帝室博物館,京都帝室博物館(京都国立博物館),奈良帝室博物館(奈良国立博物館)と改まった。これらの措置は帝室技芸員の任命などと一連のもので,列強の王室にみられる学術や芸術の保護・奨励の例にならったものと思われる。帝室の時代は長く,戦後に及ぶが,08年に正倉院の事務を総長の統理としたこと,23年9月の関東大震災によりコンドル設計の陳列館が破損したこと,24年皇太子の結婚を記念して動物園を含む上野公園を東京市へ,京都帝室博物館を京都市へ下賜したこと,38年本館が復興開館したこと,などがあって戦争期を迎えた。その間の館の性格の推移をふり返ってみると,それは天産物や工業関係品までを含める文字どおりの総合博物館から,鑑賞優先の美術博物館への純化の道であったといえる。これは一面ではいわゆる逸品名作を集めることになったが,他方,陳列が高踏的,感覚的に傾いたのも事実といわなければならない。
戦後は47年5月,国に移管されて国立博物館として再出発し,このとき奈良帝室博物館を分館とした。同時に文部省の国宝調査室,国宝保存修理室,美術研究所も合併した。しかし50年に新たに文化財保護委員会が設けられるとその付属機関になり,奈良分館,美術研究所はそれぞれ独立し,国宝調査・修理も文化財保護委員会(68年より文化庁)の事務となった。そして1952年組織規程が改正されて東京国立博物館になり,現在に至っている。収蔵品およそ9万件。月曜日は原則として休館。平常陳列のほか,年に数回特別展を開催している。なお表慶館は片山東熊の設計になり,1908年竣工,重要文化財に指定されている。2001年4月,京都および奈良の国立博物館とともに独立行政法人・国立博物館となった(05年九州国立博物館が開館)。
執筆者:原田 実
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独立行政法人国立文化財機構に属する国立博物館。東京都台東区上野公園内にある。東京帝室博物館が1947年(昭和22)5月国立博物館となり,52年から現名称となった。日本の美術工芸品を展示する本館,考古学資料とアイヌ資料を展示する表慶(ひょうけい)館(重文),法隆寺献納物を保存公開する法隆寺宝物館,東洋地域の文化財を展示する東洋館,文献・写真資料を収集保管する資料館や平成館がある。2001年(平成13)には京都・奈良の国立博物館を統合した独立行政法人国立博物館,さらに07年には独立法人文化財研究所を統合して,独立行政法人国立文化財機構に属することになった。
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…その背景には西欧の文化,教育制度を摂取しようとする明治維新の盛んな精神があったことは言うまでもない。こうして最初に生まれたのが1882年設立の現在の東京国立博物館で,その後奈良,京都にも国立博物館が設置されるが,ただそのコレクションはもっぱら日本,東洋の美術品に限られていた。維新における欧化の波は美術界にも及び,多くの芸術家が渡欧してヨーロッパの新旧の美術を学び,〈洋画〉という新しいジャンルも確立されたが,西洋の美術品を系統的に収集しようとする努力はほとんどなされなかった。…
※「東京国立博物館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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